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いいライブだったので書きたいことがいっぱい出てきたという話。

「いいアンサンブルに必要なのは、音楽的に独立していることです」

と教えてくださったのは私にトランペットを教えてくださっている先生である。

大人5人がメロディー楽器を取る2020年11月27日の赤坂ビーフラットでのライブでは、それぞれ音色も違うしソロで吹くことも違う。

まろやかな音色・きらびやかな音色・自由なメロディ・真面目なメロディ・表現したがりなメロディ
でも、一斉にテーマを吹くときにはピタッとニュアンスがそろっていてウオオと思った。

ライブでは「大人の」会話が成り立っていたと思う。
みんな音楽的に独立していて、競い合うこともなく、しかしお互いに影響を与えながら、一つの音楽を作っている。というように感じた。

感じた、というのは、子供が大人の会話を全部理解はできないし、私はそれを、雰囲気で感じ取っただけだからだ。

私は、大人の会話してるのを聞く子供のような気持ちでライブを眺めていた。

むかーし、小学校低学年くらいの頃、大人が集まって楽しそうな話をしたり、難しい話をしたりしてるのを、
何を話してるかわかんないけど傍から見ていたときのような気持ちだった。

まあそんな子供でも雰囲気だけはわかる。
早く大人になってそういう会話に混ざりたいなと思ったり、何を話してるか知りたいなと思ったりしたものだ。

【トランペットを習いだしたときの話】


ライブを見て色んなものが溢れ出してきた。特に、先生から習い出した頃からよく聞かされていたことなんかがグルングルンと頭を回って一気につながった。そんなことを書いてみようと思う。

トランペットを習い出した頃を振り返ってみる。

リゾートホテルの現場マネージャーから東京の本部へ移動となり、東京生活が始まったのは7年前。20代後半の頃にジャズはチョロっと習ったことがあるんだけど、現場の仕事は曜日も不規則で、またやたら忙しくてすっかり吹くことすら忘れていた。

それが、本部のオフィス仕事で規則正しい生活になり、また、生まれて初めて販促の仕事を行うことになり、どうやって考えたらいいの?という思いから、「コピーライター養成講座」なんかを受けたりした。これが楽しかった。新しい世界がドゥオオオ!と広がった。しかも講師の方が手掛けたCMもすごかった。カンヌ取りました!みたいな方が普通に教えてくれる。

また別の日、たまたま仕事でゴルフ場視察に行くことがあり、そこで快晴のゴルフ場の爽やかな空気を目の当たりにした。「ゴルフ…習いたいな」と思って全くの初心者状態から習い出した。長野へ引っ越すまでの間ずっと習い続けた。理屈もわかりやすく、今でも記憶に残るとてもいい経験になった。

東京っていうのは、幾ばくかの金を払うと、スゴい方から教えてもらうことができる夢のような街だと気づいてしまった。

そして、再びトランペットを習いたい欲求にかられ、レッスンに通うことを思いついた。いろいろなホームページを探し、迷いに迷いつつ、とりあえず見学に行くことにした。2016年5月に探し始めて、見学に行ったのは7月とか8月のことである。

さすが東京だけあっていろんな方がレッスンをされている。

そんななか行き着いたのは「ヤマハ大人の音楽レッスン」

なんでそんなスタンダード感あるところを選んだのか私もよく覚えていないが、見学の予約のとりやすさとかが一つのポイントだったような気がする。予備校時代のわたしの経験上「体験授業とか体験レッスンのたぐいは本受講の前に絶対受けたほうがいい!」でございまして。

1つ目の見学はビッグバンドのレッスンだった。

超うまい先生が隣についてくれつつ、見学の私も吹かせてくれる。ご本人のバンドの中で私は汗をかきながら吹く。これまたやたら上手い女性のプレイヤーの方もいて、フリューゲルホルンの柔らかい音色を生かしたメロディーにヌオオと思った想い出。

しかもその先生は、はるか昔の高校時代に部室に転がっていた吹奏楽の雑誌「Band Journal」などでもお名前をお見かけしたような・・・。すごい方であるが非常に優しくしてくださった。

でも、気づいてしまった。私はどっちかって言うと、少ない人数で吹きたかったのだ。

「吹いて覚える」よりも、ひとつひとつ教わりたいんだなってことに気づいた。

で、別の日にお二人目の先生のレッスンを見学した。

その日はたまたまマンツーマンだった。脇に座って話を聞く私。

非常に参考になる話が繰り広げられたのだが、見学だしメモを取るのもはばかられたので、一生懸命覚えておいてあとからEvenoteに書き出した。

■アドリブは、フレーズがいくつもあってそれを引き出しにする、って考え方もあるけど、そうじゃなくて、自分で作るもの。

■自分で作るにあたって、コードとかをいちいち考えていると、時間がかかってしまう。なので、曲は覚えてしまうこと。覚えた上で、鼻歌を歌うように、音楽を作る。

■例えばオリンピックの話をしようとするときに、オリンピックのルールについての本を見ながら話をしていたら会話についていけないような感じで、コードを見ながらふいていたら、そんな話をしたいんじゃないよ、となる。(ただし、それを絶対にやるな、というわけではない。)

■コミュニケーションであるという前提を忘れないで。

■一番いいのは、マイナスワン演奏などを使わずに、一人で頭の中でコードを歌いながら、メロディを吹くこと

■カラオケのように楽しむには、マイナスワンも楽しいけどね

こんな感じだったと思う。

当時の私には物凄い参考になる話で、コレだ!と思って通うのを決めた。
ジャズトランペッター 原朋直 先生との出会いでした。

【「(ジャズではなく)音楽を勉強します」と言われた最初のレッスン】

初回のレッスンは2016年9月だった。
一番最初のレッスンのときはあまり演奏はせず、オリエンテーション的にお話をして貰った。

■ジャズを使って音楽を演奏する。
しかし、同じジャンルにずっといなきゃいけないことはない。
ジャズから入ってフュージョン、人によってはクラシックへ進む人もいる。
■ジャズとかいうジャンルも、ただの音楽の1アイテムに過ぎない。
■つまり、「ジャズ」の勉強というよりも「音楽」を勉強します

こんな感じだった。

クラシックでも、楽譜の情報はわずかしかなく、「山」「ふたつ」「色」「緑」など、ものすごく限られた情報しかない。それらを使って、自分の山を自分の想像で書いていきましょう、という話もあった。

そうそう。楽譜に記録されてる情報ってわずかしかない。それは吹奏楽やってるときから思ってはいたんだけど、吹奏楽のときは、先生から「こうやって吹きなさい」という指示があって、それに従わなければならない面が強い。まあ集団演技なので、揃ってないと音楽になりづらいからだと思う。

で、以前ジャズを習っていたときも、譜面の情報を追うのが精いっぱいで、「ジャズをやってた」って感じじゃなかったと思う。

今後やっていくこととか目標なんかも示された。

自分のこれからやっていくことと目標について、絵を描くというたとえ話を用いて、こんな感じで伝えられたと思う↓

■思ったように絵をかけるようになるためには、筆の使い方とか色の使い方とかいろんなことを勉強する必要がある。

【これからやること】
■曲を「覚えて」、絵を描く練習をする。
⇒⇒楽曲を「暗記して」(テーマとコード進行)、その上で、色々やる
⇒⇒アンサンブルをやる

【目標】
■目標は、その曲を吹くとき「何も考えないで」好きに絵をかけるようになること。

覚えるにあたってドレミファソラシドがまずはわかんないと大変なので、ダイアトニックコードをまずは覚えましょうという話をされた。まずは譜面を見ると思うけど、覚えてこそ意味があるので覚えましょう。まずは12キー分の譜面を書きましょうと言われうおおと思う。というのも、1つのキーに対してコードは7つ、1つのコードに構成音4つ。しかし、これが超重要なんだなってのは、レッスンが進行するたび実感する。

そしてレッスンの最後に、

「面白がってやるのが大事」


っていうお話をされた。

課題だからやる、っていうのは時間がもったいない。はぁはあ言いながら覚える必要はない、遊んでるみたいに吹くのがいいよ、ということだった。

その当時私は、昔の部活の影響もあって「先生から言われたように吹くのが正しい」と思いこんでいたから、どういうことかよくわからなかったのだが、練習を積み重ねるうちに次第に意味合いがわかってくることになる。

【私生活で揉まれつつ、アートとしての音楽との付き合い方について教わって、マインドがすっごい変化したという話】

通い始めて早4年。
途中転職し、長野に引っ越した際もこのレッスンは辞めたくなくて、上田からバスやら新幹線に乗ってレッスンに通い続けた。


しかし、長野へ引っ越してからの生活はあまり順調ではなかった。仕事がやたら合わず、自治会の役も突然仰せつかり、土日も仕事や行事でどんどん潰れ、とにかく、やたら疲れていた。せっかく作った家庭もうまく行かなかった。

月1回、東京へ行って仲間とフットサルしたり、このトランペットのレッスンを受けるのが心の依り何処だった。その貴重な週末も自治会や仕事で潰れていくこととなる。

結局2年半ほどの長野での暮らしの末、再び東京に戻ってくることとなるった。

とにかくレッスンが心地いい。このために東京に戻った要素が大きい。
こんなに心地よくていいんだろうか?
音楽やる!っていうのはもっとシビアなもんじゃないんだろうか?と思った思い出がある。

私は中学・高校と吹奏楽部に所属していた。
吹奏楽部は基本集団演技なんで、結構「こうしなければならない」ルールが多い。音についても同様である。「こういうことが出来るのが上手くて、より上手いことがいい事」「こういうふうに吹け、って言われるとおりに吹くのが偉い」と思っていた。私だけだろうか。すくなくとも私はそういう呪縛に囚われていた。

ある日、思い切ってその思いを質問してみた。「それはそれで、そういうこともある」という感じの答えだったと思う。その時は咀嚼できなかった。

後に、別の人からこんな話をされた。
「人生の時間の経過の中では、必要なときに必要なことが起こるようになっている」そうで。

なるほど、中学生や高校生が「こうしなさい」という環境で音楽をやることについて、どう捉えたもんかと思っていたが、各人のそれぞれのタイミングにおいて、それぞれの状況がある。そして、それがその人にとって必要なことだったりする。

その時に望む体験でなかったとしても、それでいいんじゃないのかねと、いうことがわかるようになった

しばらく通いながらお話を伺いながら、実はコアの部分は同じで、それをいろんな角度から説明してくださったり、音を実際に出して教えてくれたりした。大事なことはそんなに多くない。ただ、練習のための時間をどれだけ投下できるかについては、個人差があると思う。

音楽をやってるときの気持ちも変化した。

以前は、「うまくなるために」吹いている部分が大きかったと思うが、今は「面白いな」「自分はどんな音を出したいかな」「いまのは良かったな」など、【自分が何が心地いいか知りたくて】吹くのである。自分の感性の追求である。

地道な基礎練習のときや、ダイアトニックコードをとにかく吹く練習をしているときも、「これを覚えこんだら、もっと自由になれるんじゃないか」と思いながら吹いている。これもまた変わっていくかもしれない。

感性を追求する=自分と向かい合うためには、いちいちケースから楽器を出して吹くんじゃなく、「吹きたいな」と思ったときにパッと手に取りたいなとおもうようになった。手持ちの楽器は銀メッキなので、出しっぱなしにしておくと色が黒くなってしまう。

そこで、出しっぱなしでも変色しない真鍮の楽器をネットで色々物色した。結局、中古トランペット屋さんで素晴らしいものを発見しその場で購入。YTR-332。40年ほど前のYAMAHA(当時は日本楽器製造株式会社)のモデルでお値段なんと9,000円。手入れもよく音程も良い。

買ってよかった。
「思ったときに、パッとふける」っていうのはスゴイ大事だなと思う。やめたいときにすっとやめられる。これだと練習が嫌にならない。

20220601写真追加。コロナでザワついてた2020年3月初旬の都内。動きが取れなくなりそうな予感があってそそくさと渋谷まで足を伸ばして買いにいった。


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(これは愛用のBach180ML37 SP。高校のときに買った思い出の選定品。時間が経過しているシルバーメッキなので、出しっぱなしだと数日ですぐ色が変色する)
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自分の内側から出てきたこと、音、思い…を「愛でてあげる」のが大事だっていうのも、先生からされたことがある。

話を聞いたときに、すぐに消化できたわけじゃないけど、言葉を思い浮かべながら吹いていると、だんだんそうなってくるから不思議である。

音楽をやっているときの自分に、前より優しくなった気がする。優しくていいんだと思う。

話が壮大になるが、人生に意味を求めがちだったのにその思考もなくなったことも記す。

人生に意味はない。むしろ、一瞬一瞬の時間の経過そのものに意味があるんじゃないかと今は思っている。

見る、聞く、読む、味わう、体験する、感じる。思考する、感情が起こる、覚える、忘れる。

それぞれのモーメントがミルフィーユのように積み上がって、その人を形成する。

人それぞれのアート・オブ・ライフが存在するんだろうと思うようになった。そのアートを形作っているのは、時間そのものだ。

そんなことを思ってからは、1ヶ月、1日、1時間がなんかとても大切に思われるようになった。

同時に実感する。いつか必ず死んでしまう。時間切れは必ず訪れるのだ。

生きるってのは面倒なことだなと思ってはいるが、出会うもの、出会う人を「スゴいな。面白いな。」と自分にポジティブに刻むことは、なかなかに得意なんじゃないかと思っている。逆に、こうしろああしろと言われることがあまり得意ではない。これはまだまだ修行不足。

とはいえ最近、本当は人生の8割くらい「どうでもいい」んじゃないかと思うようになった。残りの2割が大事。大事なところでエゴを出す。これもある人から教えてもらった話。

私のアート・オブ・ライフを作らなきゃ。

ーーー

小さな子供のための音楽教室はどんな感じでレッスンを行うのか。人に聞いたところでは「さあ、好きな音をだしてみましょー^^」という雰囲気らしい。

私が通うのは「大人の音楽レッスン」と銘打たれている。
大人なりの空気感がありつつも、基本的には好きにやろうっていう空気は、同じだと思う。ただし!そこは大人のレッスン!先生がソロを吹いているのを聴いて、その瞬時の雰囲気の創出に、ウワァァ・・・この雰囲気を醸せる様になるまでにどんだけ修行してきたんじゃァァ・・・!!と人生レイヤーの分厚さに圧倒されながら、子供の雪合戦みたいな私のソロにウンウンと耳を傾けてくれる。そうやって脳みそをシェイクして、吹いて、リフレッシュして、次の1ヶ月間の仕事に向かい、またシェイク。
そんなふうにして、この4年、過ごしているのである。

おしまい。

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