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ELSE "IF" SORO LIVE~僕らは何度も、君に恋をする。~を見て

まずは、この記事を開いて頂きありがとうございます。
そして、初めましての方は初めまして。
以前に別のものをお読み頂けた方は、再度開いて頂きありがとうございます。

まず始めに、これは2022年8月31日に「エルセとさめのぽき」チャンネルで行われた、『ELSE "IF" SORO LIVE~僕らは何度も、君に恋をする。~』に対する個人的な感想となります。

また今まで展開された夏の三部作の内容や、ライブのスクショ等を使用し、実際に歌われた曲順で感想を書いているため、ライブのネタバレを多分に含む内容となっております。
未視聴の場合やネタバレが気になる方はご注意下さい。

なのでまずはこちらを見てから。

この感想を見るよりも1080pの全画面&(周りに迷惑をかけない程度の)大音量で一時間ほど視聴して頂いた方が話は早いと思います。

なんと言っても全編無料で公開されておりますので。
まずは視聴して自分の中で漠然とした感想を掴んで頂けたらこの記事の内容は見なくても十分でございます。
その上でこの記事を読む余裕のある方がいましたら、私の感想を読みながら「あーそうだよねぇ」とか「そういう解釈もあるか」とか「いや違う、私はこう思ったな」みたいに首を縦に振ったり横に振ったり斜めに振ったりしながらお付き合いして頂けたら幸いです。↓

それでは宜しくお願い致します。


0:まずIFとは、夏の三部作とは何か

本来の予定ではここに書き纏めたかったのですが、いざ書いてみると予想以上に長くなってしまったので別途記事を作成致しました。

ざっくりとではありますが夏の三部作とは何か?という事に触れている内容ですので、『実は夏の三部作はあまり知らない、そういう企画?があった事と『夏の三部作』って言われている楽曲しか知らない』という方はどうぞ。

1:再び訪れる少女

夏の三部作が公開された後、謎の少女が現れ消えてからは音沙汰もなく半年、「また来年」が来て、過ぎ去り、「またまた来年」が訪れた頃。

夏の三部作のニ周年が祝われ、『夏の三部作』という物語があり、あの子という存在を含め『一夏の思い出』として記憶の片隅へと追いやられていたその時……

突如として我々の前に姿を現しました。

あの時の少女が、あの時と何一つ変わらない姿で。

エルセ2ndワンマンライブ2022では『IF僕らは何度も、君に恋する。』のライブを行うという告知(と今日会えるかも……?という臭わせ)だけだったので、正直驚きました。

それと同時に、

またあの少女に会える

というのが楽しみで仕方ありませんでした。
それからは断片的に、でも確実に、あの子という存在を感じるツイートが続き

プールサイドではしゃくあの子。

プールサイドの写真

興味津々な少女と図書室で一緒に過ごす。

前夜祭として夏の三部作 MV同時視聴配信を行いつつ「夏の三部作って何ぞや?」と振り返ったり、前夜に開かれたスペースではプレゼントとして招待チケット(を模してエルセちゃん作の画像)が届けられたりと、期待が高まっていきました。

2:海辺で見たまぼろし

2-1:「あの日の海岸」

期待に胸踊らせながら時間はあっという間に過ぎ去り、夏も佳境へと向かう8/31、ついにその時がやってきました。

物語は夏休みの昼下がり、忘れ物を取りに来た自分は、学校の教室にいた少女に学校探検をお願いされたので一緒に出発するというもの。

学校の、同級生なら目の前にいる少女は誰なのかぼんやりと思い浮かぶ筈なのだが、クラスどころかこの学校の生徒なのかすら全くと言っていい程に検討が付かない。

でも何故か何処かで見たことがあるような不思議と知っている少女に、我々が撮影した写真を見せて欲しいとせがまれる……が、そんなものは今持ち合わせてはいないはず。

だが呼び寄せられた様に、ふと目の前に「忘れ物」として取りに来た筈であろう一枚の写真立てが、ロッカーの上へと現れた。

そこに写っているのは「まぼろし」。
撮った覚えはないのだが……何故か見覚えがある。

そこに行った事のある二人は、その当時をゆっくりと振り返えろうと写真を覗き込むのであった……。

そして不思議な光に包まれていき、光が晴れると共に現れるのは、まぼろしを撮影したであろう砂浜。
そしてそこに佇むのは少女……ではなくエルセちゃんであった。

2-2:個人的な感想

ちなみにこのIF…に関するストーリーをこの配信の前(以後、二年前)から知ってはいたんですが、少女の存在は誰なのかについては公式からハッキリとした言及がなかったんですよね。

つまり二年前から、夏の三部作及びIF…というストーリーにはエルセちゃんに良く似た少女が絡んでくるって事は知ってるんですけど、誰も少女の正体どころか名前すら知らないという状態です。

そして写真を覗き込んだ瞬間に「まぼろし」冒頭のワンシーンがフラッシュバックする演出が、頭の片隅にしまい込んでいた記憶を引き出し「何かを思い出している」様に思えてゾクッとなりました。

ここでは「まぼろし」
そして「nagi」

の二曲が披露されました。

夏らしく明るく力強く、真っ直ぐこちらへと響いてくる歌声で歌い上げるだけではなく、曲中こちらを煽っては盛り上げようとする逞しい姿を垣間見ることができました。

普段は深い海の底で暮らしている少女が外へ出掛ける際は「さめのぽき」さんから、何やかんや不思議なぱわ~を受けて陸へと上がっていくのですが、『2nd ワンマンライブ』を始めとした色んなライブや出会いを通じて成長し続けている姿を、未知なる世界である外の世界……その第一歩として海から続いている砂浜へと上がってきた事で表現し、ぽきさんの力を借りずとも自らの力だけで外へ出られる様になったという成長を現しているとも取れる様に感じられました。

3:プールサイドの水玉り

3-1:「あの夏、できなかったこと」

二人でぼーっと眺めている写真から、ふと我に返る。

「昔の事を思い出していた」という少女に対し疑問符が浮かび上がり、「やっぱり覚えてないんだね」と少しだけ落胆される。

撮影された写真の事はともかくとして、目の前にいる少女の事や、一緒に過ごしたという記憶に関しては断片的に残っている様な気がするものの、まだハッキリとは思い出しせない。

そこで少女は、更に学校探検を進めて色んな場所を一緒に見て歩こうと(半ば強引ではあるものの)提案するのだった。

恐らくは、こちらの記憶の奥底に眠っている糸を辿る為に。

そして次に訪れたのは、屋上にあるプール。

普段は鍵の掛かってる筈の扉も今日は何故か解放されていて、水泳部が使った形跡がないのに新しい水が足首まで浸かる程度にうっすらと張っている。

そして、「夏っぽい事がしたかった」と、水の張ったプールをステージに見立てたスペシャルライブを始める少女。

プールに水を入れる為のバルブを全開にし、
歌い踊る姿に見惚れたり、カラッとした夏の青空に風船や降り注ぐぽきさん人形、打ち上がる花火が上がる非現実的で、まるで『奇跡』が起きているとも取れる光景な筈なのに、不思議と「それが当たり前」の様に受け止め見届けていたのだった。

3-2:個人的な感想

私や一部の方は夏の三部作をリアルタイムで通ってきているので少女の事は知ってる筈なのに、ここでは知らない事にされててモヤモヤする場面。

今回はたまたま学校に訪れた学校の生徒の視点なので、突然現れた少女の事は知らなくても無理はないか……とは思ったんですが。

少し話は逸れますが、日本の妖怪やヴァンパイアみたいな怪物って本当の名前を正しく認識してないと戦っても何度でも復活して倒せないという設定や仕様みたいなものがあり、本名(真名)=正体みたいな演出が度々あります。

それをなぞらえると、2-2でも書いた通り誰も名前までは知らないから(少女の正体について)答えられない以上、「知らないよね」って認識になるのは間違ってはいないんですよね。

それに加えて『今回初めて夏の三部作に触れた』という方は少女の事に関して聞かれた所で「いや知らない」となり知っている前提でストーリーを進めてしまうと矛盾や置いてけぼり状態になってモヤモヤしする可能性が生まれてしまう。

そうならない様な配慮も含め、「知ってるけど知らない」という演出に落とし込んだ形にしたのではないか?とも思えました。

ここでは「drop」
そして「君の街まで」

の二曲が披露されました。

放出され続ける水をバックに、うっすらと水の張ったプールの中で当たり前の様に「エルセ」ちゃんの曲を披露する少女の姿を当たり前の様に受け止めてましたが、何で知ってるの?って思う不思議な光景でもありました。

IF…という事もあり「ぽきさんと出会わなかった世界線」や「裏人格、イマジナリーフレンド」、「別の世界線のエルセちゃん」といった匂わせを感じたりもしながら。

唯一ぽきさん(人形)と対面したシーン

そして難しいと言われている水の表現や、昼間は見辛い筈の花火がハッキリと見えていたりという演出の凄さに驚いたり、撮影タイムに入り「いぇーい」と可愛いポーズを取る姿にほっこりしたりと、バーチャルだからこそ可能な表現や演出を目の当たりにし、かがくのちからってすげー!おじさんになりました。

4:星海の世界で

4-1:「目に見えないもの」

屋上のプールで繰り広げられていた光景から一転し、ふと気が付くと図書室へと移動していた。

目の前にいる少女は「疲れた~」と言いつつも、貸し切り状態で行われたスペシャルライブにご満悦の様子。

初めて図書室に来たという少女は無数の本に興味深々の様子だが、この学校の生徒なら、ましてや学校に通っていればこういう光景は一度でも見たことがあるはず。

だが少女から告げられたものは意外なものだった。

「私はね、この世界の人じゃないの」

突如としての告白に困惑するも、少女は続ける。

「だから君達たちに会うのはこれで二回目」

全く記憶にない上にどこかの漫画やゲームみたいな事を急に言われて理解が追い付かない。

さっきも信じられない程に幻想的で神秘的な出来事を見てきたばかりだけど、ここは夢の中なのだろうか?

そして、いつの間にか少女は一冊の本を手に取っている。

どこかで見たような装丁が施されているけど、記憶が曖昧な上にあまりにも唐突な告白をされたばかりで理解が追い付かず思い出せない。

少女がそれを開くと、記憶の彼方へと引き込まれ……吸い込まれていくのであった。

そこには丘の上で満点の星空と共に佇む少女……ではなく、エルセちゃん。

そして星座や光の束でできている魚や鯨が本物の様に動き出し回遊しており、星……というよりは、もはや銀河の一部を切り取った様な夜空が広がっており、あたかも海の中に様な錯覚に陥るのだった。

4-2:個人的な感想

まだ全貌は明かされていないものの、少女の正体について踏み込んで来たと思われる回。

自分の中では『少女は別世界線のエルセちゃんで、一時的に世界線が交わっている』説がまだ崩れてないんですが……本当に正しいのかそろそろ怪しくなってきました。
夏の三部作の予告映像やSUPERNOVAのMV中では、一時的にとはいえ二人が目を合わせたり話し合っている様な描写があるので、お互いに存在を認知し合っているとも考えられるんですが……それならこのライブ中に二人揃って出てきたり、出会った様子がないのは何故?と新たな疑問が浮かんできて結局の所は憶測の域を越えられず、ライブの圧倒的な光景とは別に内心モヤモヤしていました。

ここでは「SUPERNOVA」
そして「そして、物語は続いていく」

の二曲が披露されました。

SUPERNOVAのMVを見た人なら分かると思いますが、星空の下ではなく本当に星で出来た海の中にいる様な、遥か彼方にある銀河を独り占めにしている様な錯覚に陥るんですよね(鮫であるぽきさんが映ってないのは寂しいですが……)。

ただでさえ美しい満点の星空が広がる中で、スパチャシステムの『流星』や『花火』が加わる事によって更に華やかさが増して目の前が圧倒的な光景へと変わり、本当に「凄い!」と色々な感情が置き去りになりました。

そんな中でも、これだけ描写しているにも関わらずエルセちゃんがアップになった時も髪の動きすら処理落ちしている様には見えなかったのがまた凄い所で、先のプールの水を含め個人的には負荷がどの程度のものなのか気になりました。

5:「また来年ね」

「もしも」と共に少女が独白を行い、自分の正体について明かしました。
まぼろしの海岸
かつてのプールサイド
SUPERNOVAの星空
はじまりの向日葵
8月31日、「夏」の終わり

そして場面は学校内から一転し、夏の三部作のワンシーンや今までのライブで使用されてきた舞台が次々と流れていき、少女と今までに築いてきた思い出が甦っていく、或いは、新しくできた思い出を振り返っている様な演出なのでエモさが堪りませんでした。

せっかく少女との思い出や存在を思い出したのに、少女は姿どころか言葉すら交わすことなく「また来年ね」と一言だけ言い残して姿を消してしまった事も併せて。

今思えば少女がと一緒にいる時だけ、画質も映画風といいますか……何かセピア風に見えている様に感じたのも、遠い過去の記憶を遡っていたという演出だったのかも知れませんね。

少女の正体が明かされると同時に、自分の仮説が崩れ去りました。
少女が学生の成りをしている割には学校の事を知らなさすぎたり、こちらを「よく知ってる」割には会ってる回数が少なかったり、エルセちゃんと二人並ばなかったり、一向に少女の名前が明かされる事がなかったり、こちらが少女の事を一切覚えてなかったり、色々と考えていったら辻褄が合うんですよね。
メタ的な視点も加えると、「少女」とは夏の三部作に登場する為に生み出されたキャラクターで、他かキャラクター同様に物語を動かすための舞台装置の一種だという立ち位置……という先入観に染まりきっていたので、「やられた」と感じました。

ここでは「8月31日」が披露されました。

あれだけ華やかで派手な演出を行っていたのでPCも別れが辛くて限界だったのでしょうか、「8月31日」の時点でちょっとカクつく状態が散見され始めたり、演出の一部が表情されなかったらしいのでちょっと心配でした。

……が、数分で立て直した様で一安心。

少女の正体を思い出した事による嬉しさと同時に、今年はもう会えなくなってしまった寂しさが一気に押し寄せた事に加え、静かに去ってしまった少女をエルセちゃんを筆頭にして皆でお見送りしている様で、情報量の多さと感情の奔流がヤバかったですね……。

「夏」を送り出すエルセちゃん。

更にエルセちゃんが夏という季節やこのライブに対する想い、このライブだけではなく今までの出来事で生み出されていった思い出について語り、

「例えどんな事があっても、8/31が皆の所にあったという事実は絶対に消えない」

という言葉が、胸に深く突き刺さるんですよね。

またこのライブを見返したい、覚えていたい、一生忘れたくないという、さながら記憶の楔として。

そしてアンコール曲として

「OUTRODUCTION」が披露されました。

当時はまだMV化やサブスク化がされておらず、収録されたCD(それでも当時は絶版状態)またはライブでしか聞くことのできなかった幻の曲でした。

お互い同じ場所にいるが、お互いの道が交ざり合うことはないので顔を合わせる事はない。

歌詞の内容や「さようなら ありがとう」というフレーズがピッタリで、少女の後ろ姿がチラッと映っていたりという演出が『IF…』という物語を締め括るのにこの上ない曲だったと感じました。

少女の持っていた本と、人形だけが少女が存在したという証

「8月31日」をライブのエンドロールに聴きながら感じる余韻も凄まじく、これを切っ掛けに『夏』という季節が好きになったり、大きく意識する様に変わった方もいるのではないでしょうか。

最後まで見なきゃ見られず、ある意味もう二度と見る事のできないもの。

(この後に深海フェスの開催告知や、新メンバー「LuicA」さんと「唯恋ひな」さん加入の告知の告知があった事で驚かされたのはまた別の話)

6:「そして、来年」

翌日に行われた後夜祭では『ELSE "IF" SORO LIVE~僕らは何度も、君に恋をする。』の裏話やネタばらしが行われ、エルセちゃんが二年間の中で感じてきた事や思っていた事に加えて、少女に関して触れる事がありました。

少女の存在については夏の三部作やライブを通して物語を見た人なら見当が付いてると思いますし、エルセちゃん自身も皆に問いかける形式で、具体的な正体に関して明確な言葉として言及する事はなかったので「夏の象徴、夏そのもの」等、自分の中で感じ取ったものが正解なんだと思います。

個人的に後夜祭も含めてこの物語が完成・完結したと思っているのでまだ見てない人は、併せて見てみて下さい。

そして少女が「また来年ね」と言い残し、皆の前から姿を消してしまってから一年経過しました。

今年で夏の三部作が公開三周年となりましたが、夏の三部作の事を何人が覚えているのか、あれから何人がファン……エル信者に加わったのか、何人が去ったのかは分かりません。

あれから三度目の夏となりましたが、自分もあれから、あの少女との出会いから何が変わったかのか分かりません。

もしかしたら何も変わってなかったり、寧ろ退行しているのではないかと思っていたりもします。

一年経ちますが、ライブのアーカイブは無事に残り続けていたので聖地巡礼……とまでは行きませんが、私の様に夏の三部作やライブアーカイブを見ながら振り返っていたり、少女という存在を傍らに強く意識したり、姿が見えずとも少女の存在を感じ取る方が数多くいらっしゃったのではないのでしょうか。

そして、本当に少女が訪れた方も。

7:あとがき

ここまで長く書くつもりはありませんでした、はい。
もっとお手軽サクサクにしようと思ったんですけど、どこで間違えてしまったのか。。。

そして夏の三部作を通して見た印象なんですけれども、今回のライブはエルセちゃんの物語という事で、スパチャの演出であった「ぽき人形」が降ってくる程度で「さめのぽき」という存在が一貫して出てきてないんですよね。

「エルセ」ちゃんと「少女」が主役であるのですが、それとは別に『夏の三部作』中では「少女」と「さめのぽき」さんが(SUPERNOVAの世界では、少女がぽきさんを一方的に認識してる様に思えたのですが)お互いに顔を合わせたり、話すという事がありませんでした。

勿論スタッフだったから裏方として動いていたというメタ的な要素はあると思いますが、「さめのぽき」という要素を必要最小限まで排したからこそ『エルセちゃんの物語』としての深みや没入感が増した様に思いました。

もう一つは「少女」という存在は不定形であり、今回はエルセちゃんに非常に似通った存在として登場しましたが、エルセちゃんにはエルセちゃんの、ぽきさんにはぽきさんの「少女」像というものが存在しており、「エルセちゃんの抱く少女」と「さめのぽき」さんが相互認知したり、一緒に映ってしまうのは一種のパラドックス的な要素になりかねないという意味もあったのかなと個人的には思いました。
(単純にエルセちゃんの物語だからぽきさんは極力出なかっただけで、多分そこまで深く考えていないと思いますが)

そういう細かな演出にも、IF…としての深掘りする要素や拘りが隠されていたのではないかと。

次に、ライブの開催からこれを書き上げるまで一年置いてしまった件について。

その理由は単純で、冒頭の導入記事を書き上げるのに時間がかかってしまったから。

記事自体は翌日から制作に取りかかったのですが、これを追うに当たってまずライブ以前の、『夏の三部作』を知っているという大前提が必要になりました。

その為0:にある『夏の三部作』を纏めた記事は、本来この記事の冒頭・予習も兼ねたものを書く予定のものだったのですが、動画や過去のツイートを漁ったり切り貼りしていく内に予想以上に長く、ここに掲載しても重くなってしまって読めなくなる可能性が出てきたので急遽別記事として切り離す事にしました。

そして『夏の三部作』を知らない人でも分かる様にと色々と纏めたり付け加えている内に時間が過ぎてしまい、そもそも遅筆だった事も相まって書き終え投稿したのが9/23でした。

切り離した事で本記事が殆ど未着手の状態になってしまい、そこから書くとなると早くても10月半ば、そして個人的な事情があって11月、年を跨ぎ……と完成に至らぬまま月日だけが過ぎ去ってしまってしまったので、頑張って完成させて出した所で「今更感」が強かったんです。
既に幾つもライブを行っておりましたし。

そしてこの記事を書く上でもう1つ構想があり、それがIF…と同じく時間が経ってから……例えば一~二年後にふと掘り返した方が面白いのでは?というもの。

『IF…』に関しても夏の三部作公開→ライブまでも二年経過しており、夏の三部作1周年(と3周年)では大きなお祝い事は何もしておりませんでした。

後夜祭でエルセちゃんがチラッと話していた事なのですが、プロぶる内だと『ELSE "IF" SORO LIVE~僕らは何度も、君に恋をする。』という企画は動画だけで終わらす予定ではなく、必ずライブまで持っていくという構想があった様です。

恐らくは企画として動画を公開し一旦寝かせた上で皆の記憶からも程よく朧気になったであろう1~2年後、この様な形で発表するサプライズ的な形式を取ったのではないか?と考えられました。

ですが視聴者視点だとそういう内部事情は一切知らないので、一夏限りの突発企画だったものが突然リブートしたので面食らった様な状態になりました。

ならいっそそれを真似てみたら、『夏の三部作』を忘れていないという事のアピールにもなるし、個人的にもその方が記事完成が間に合わないという事を言い訳を払拭できるし面白いかも…?という考えに至り、この考えを採用したという形です。

お陰でライブを通じてプロぶる界隈の動向を振り返る切っ掛けにもなりました。

『Project BLUE』の一年を振り返ってみると

  • 新たに「VORTEX」プロジェクトが立ち上げられCFが成功、大規模でハイクオリティな3Dライブが行えるスタジオが設立され、既に10回以上のライブが行われる。

  • 新人「LuicA」さん「唯恋ひな」さんの二人がデビューし、解散してしまった『447 Records』からリリー・レモネードこと「リリモネ」が加入。

  • 残念ながら「EDGAR」さんが活動を終了、引退。「唯恋ひな」さんが無期限活動休止。

  • 「エルセ」ちゃん自身も新モデルとなり大人びた印象を持つ様になる

と、たった一年とはいえここまで大きくなり、色々と変わったのかと驚かされました。

PICO VRライブストリーミングを用いて日常的にVR空間へと進出する配信も始めておりますし、まだまだ伸び盛りなProject BLUE、これからの活動にも可能な限り注目したい所存です。

それでは長々と、最後まで見て頂きありがとうございました。

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