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存在のない子供たち

12歳の子供が、自分を産んだ罪で両親を訴えるというかなり衝撃的な話です。

面倒を見れないのがわかっているのになんで産むんだと。

確かにその通りで、フィリピンなどでも、貧困なのに子供だけはやたらに多い。他にやることがないのかもしれないけど、それにしても計画性に欠けること。

レバノンのスラム暮らしが延々と描かれるのですが、まぁこんなところに生まれたらとてつもないハンデです。
この環境から抜け出すのは並大抵ではないだろうし、殆どの子供は、汚いスラムの中で老いさらばえていくしかなく、大人になったらなったで、同じような子供を無計画に再生産して、まさに泥沼の境遇が繰り返されます。

さらに問題なのは、子供だけではなく大人も無力だということ。スラム暮らしの人間など誰からも相手にされない!と法廷で叫ぶ両親の言葉も実は一理あると思います。
欠乏感が人間の認知能力を大きく損なうと言いますが、スラムの生活には欠乏感しかありません。
こんな絶望的な状況に長年閉じ込められて大人になった人間に、まともな判断ができるとは到底思えません。
まさに貧困スパイラルの無限地獄。

だいたい、こんな環境に置かれる子供が可哀想だと言っておきながら、その環境で大人になった人間に対しては、世間一般の標準的なクオリティーを当然のように求めるのはいかがなものかと。

とにかく主人公のゼインには悪い事しか起こらない。それは非常に理不尽ではあるけど、この環境においては全てが起こるべくして起こっています。何かに関われば関わるほど不幸が降りかかってくる。存在どころか夢も希望も未来もない。

蛇口をひねったら茶色い水がドバッと出てきたシーンなんて、もう本当に、死にたくなるような絶望感。

この状況を突破する唯一の方法は外国へ逃れる事なんでしょうが、合法的に移住するお金などあるわけがないので、当然のことながら不法移民の問題が発生します。

命がけの博打です。

しかし、よくよく考えると、主要人物の1人であるエチオピア人女性は、より良い暮らしを求めて不法移民としてレバノンに来ていたわけで、このレバノンスラムよりさらに下があるわけです。。。
考えるだに地獄です。

 主人公の少年は役者ではなくて、似たような境遇にある難民の子供なんだそうです。彼の醸し出す雰囲気がこの映画に決定的な役割を果たしていますが、それが素人の子供だと言うのだからびっくりです。

なんとなく南米出身のサッカー選手のような佇まいだなぁと思って見ていましたが、そういえばアルゼンチンのアグエロも、同じような年齢の時にスラムの賭けサッカーの天才プレイヤーとして家族を食わせていたようで、彼がプロチームにスカウトされた時は、家族の食い扶持がなくなるので大いに困ったようです。
余談。


7.5

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