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犬と暮らした

 実家ではずっと犬を飼っていた。
 私が小学生の頃、学習塾近くのペットショップで売られていたポメラニアンだ。ペットショップの内装は白基調で清潔感があり、店員は白衣を着ていて何だかラボのようだった。狭いケースには可愛らしい犬たちが並べられており、帰り道に外からチラチラ眺めるのが日課だった。
 当時の私は、全部自分で面倒みるから犬を飼いたい、とクソガキの常套句を叫びながら親を説得しようとしていた。ひどい時は寝ている両親の耳元で囁いていたらしい。洗脳か。わかりきった話なのでさっさと書くが、結局ほとんど母が面倒を見ていた。申し訳ない。
 私はあるポメラニアンに目をつけた。小さくてオレンジ色の、きゃんきゃん吠えるかわいい子。おやつを口に咥えながら吠えるもんだから、ポトリと落しては静止しまた咥えるを繰り返していた。かわいい。そして値段を見た。
 6万円。
 ひっくり返った。や、安い。私の父は大層な倹約家なので、金のかかることが嫌いだ。かつ動物もあまり好きではない。そんな父を説得するのは大変だと思っていたが、子ども心にイケる、と思った。週末、気乗りしない両親ををペットショップまで引っ張った。最後まで渋っていた父も、値段を見て拍子抜けしたのか許してくれた。そうして二十年前、我が家に小さなポメラニアンがやってきた。
 二十年前なので、悲しいがもう亡くなっている。小さな身体で十五年生きた。散歩していたら、わんちゃんなんで斜めに歩いてるの?と近所のお姉さんに指摘された。検査したら、水頭症とわかった。どうやら良くも悪くもなるものではないらしく、背骨が湾曲していたが至って普通に暮らすことができた。小さいけれど犬一番気が強く、どんなに大きな犬にも人にも吠え散らかした。よく噛むし、吠えるし、しつけできたのはお手と待てくらいだったが、おやつ欲しさに両前足を挙げていたのであんまり意味がなかった。散歩嫌いの内弁慶で、外に出たらぶるぶる震えて人間にしがみついた。家族以外大嫌いで、家族が大好きだった。受験勉強のときも、就職試験のときも、居間で勉強している私があぐらをかけばその窪みにすっ飛んできてぐうぐう寝た。足が痺れるから、とちょっと動いたら噛まれた。洗濯物を取り込むと、山の上に登って得意げな顔をした。お気に入りのボールはチョコレートの甘い匂いがするやつ。色々なおもちゃをあげたが、結局はそればかりで遊んだ。居間のテーブルには、犬が前足をかけて削れた跡がある。
 何度か大きな手術をした。体が小さく、歳なのでもしかしたら麻酔に耐えられないかもしれないと獣医さんにいわれたが、ちゃんと目を覚まして帰ってきた。腹に包帯を巻かれ、エリザベスカラーをした犬は人間なんてもう信じるかと言わんばかりに機嫌が悪かった。
 晩年はもう満足に歩けなかった。動く前足でお水の近くまで近寄り、こぼしながら飲んだ。昔は粗相するたびに怒ったが、家族皆黙々と片すようになった。昔のような負けん気はないが、それでも気に入らないことがあると小さく怒った。どんどん痩せていったが、ずっと可愛かった。
 亡くなった日、家族みんなが居間にいた。病院で注射してもらったその晩、痙攣して、動かなくなった。家族みんなでわんわん泣いた。私は会社を休んで、母と火葬場に行った。そこでもわんわん泣いた。葬儀場の方が本当に丁寧で、優しくて、救われた。薬の影響で少し色のついた骨を並べて、骨まで可愛いね、とまた泣いた。
 温かくて小さな犬と暮らした。今天国にいるあの子の頭に花が降り注いでいるといい。いや、花より好きだったドギーマンのジャーキーだといい。


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