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6 ピアノの思い出 エレクトーンでは音大に行けないと知りショックを受ける

5歳か6歳の頃から習い始めたエレクトーン。すぐさま音楽が好きになり、将来は、音楽の先生になりたいと思い始めた。

そして、そのためには、「音大」というところに行く必要がある、ということがわかった。小学3年生の頃だった。

しかし、それと同時に、「エレクトーンでは音大に行けない」ということもわかった(この数年後、国立音大が電子オルガン科を創設して、エレクトーンでも音大に行けるようになったと記憶している)。

エレクトーン大すき子だった私は、とてもショックを受けた。このままでは音楽の先生になれない。それなら、今からピアノをやるしかないではないか。

親に頼み込んで、エレクトーンと同じ音楽教室で、ピアノを習い始めたのが小学3年生の頃。音楽をしない親には、感謝している。

さすがに、ピアノは買ってもらえなかった。当面、自宅に既にあるエレクトーンで練習することになった。

私を担当することになったピアノの先生は、国立音大の声楽科を出たS先生だった。

ピアノはあまり上手ではなかったようだ。弾いてくれることもなく、私に与える曲は簡単なものばかりで、物足りなかった。30分のレッスン時間のうち、15分を歌の練習に使われてしまっていた。私はそれがとても嫌だった。歌を習いにきているのではないのに。

程なくして、エレクトーンでピアノの練習をするには鍵盤が足りなくなってきた。両親にピアノ購入を頼み込み、ようやく、祖父のポケットマネーで購入してくれたピアノに心底がっかりした話は、こちらに書いた通り。

ヤマハの一番安いアップライトピアノは、鍵盤はもっさりしていて、全然音が鳴らず、初めて弾いたその時に、心底がっかりした。

おかげで、ピアノは好きだったが、家での練習は苦痛を覚える生徒になってしまった。

ちなみに、このS先生とは、エレクトーンのT先生の独立問題に絡んで、1年もしないうちにお別れすることになる。


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