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21エレクトーンの思い出 JさんとHS時代の到来とマンネリズム

私が中学に入ってから習うことになったJさんは、当時、普通の大学生だった。自宅が裕福だということで、最新機種のHSを発売と同時に所有していた。

HSの最大の特徴は、レジストレーションをフロッピーのような外部記憶装置に保存して持ち歩けることだった。見た目もFSに比べるとかなりスタイリッシュになった。

レジストレーションを組むのが好きだったJさんは、このフロッピーのような四角い外部記憶装置をたくさん持っていて、ジュラルミンケースのようなケースに入れて持ち歩いていた。

松田昌さんの「パルピニオン」とか「ニューヨークパッションストリート」とか「くまさんの散歩」などを弾いていたのは、このHS時代だと記憶している。Jさんが色々と考えてレジストを組んでいたからだ。発表会でも弾いた。

HS時代がやってくると、私のエレクトーンに対する興味が急激に弱くなってきた。新機種が出ると、自宅にある前の機種で練習するのは物足りなくなるからだ。また、その頃にはだいぶ上達していたので、エレクトーンの新曲を練習し始めて1週間も練習すれば弾けるようになってしまっていて、難しい曲を克服するというゲーム感覚のような面白さが半減していた。

自宅で譜読みをして、一通り弾けるようにして次の週にJさんとのレッスンに持っていって、そこからJさんがレジストを組み、何週間かかけて弾き込みながら完成させる、という、ルーティーンに陥っていた。出版されているエレクトーン用譜面は、かつてピアノも習っていた私にとっては難しくなかった。普通の大学生であるJさんから、奏法に関しての指摘は、毎回特にない。「弾けてるね」で終了。

なんか、おもしろくない。

マンネリ感が否めなかった。しかし、辞めるのもなんか違う、と感じていた。

ある時、T先生から「そんなに松田昌さんが好きなら、習ったらいいんじゃない!?」と言われた。中学生だった私は、飛び上がって喜んだ。T先生が松田昌さんを紹介してくれると思ったからだ。確か、T先生は松田昌さんも知っていると言っていた(注 本当かどうかはわからない)。

そのうち、松田昌さんに習えるかもしれない!この想いだけが、エレクトーンを続けるモチベーションになっていった。

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