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28エレクトーンの思い出 進路選択と潮時

高校2年生になっていた私は、進路選択を迫られていた。

音楽を続けたい、でもマンネリを打破したい、私はもっとできるはずだ、やめるのは何か違う、という思いがぐるぐるしていた。ヤマハ音楽院もいいかもしれない。

しかし、答えは自然とでていた。感情が付いていかないだけだ。

T先生からは、食べていくのが大変だからという理由で、何年にも渡って音楽の道に進むのは反対だ、と言われてきた。先生は今で言うところのシンママだったので、稼ぐ苦労は嫌と言うほどしてきたのだろう。音楽しかできない子だったら音楽の道もいいけど、勉強ができる子には絶対に勧めない、と何回も何回もいっていた。

井上先生も、音楽で食べていくのは本当に大変だ、と何度もおっしゃっていた。普通の生徒には言いにくいだろうけれど、私は昔の知人から託されて裏口入会した生徒だったので、ざっくばらんに色々と話を聞かせてくれていた。

うちの両親は音楽をしないし、まさか私がこんな長きにわたってレッスンを受けるとは思ってもいなかったようなので、音楽の道に行くといったら反対されただろう。相談はしなかった。

ヤマハ音楽院にも憧れたけど、ほとんどの生徒が大学進学する高校に通っていた私にとっては、専門学校に進むという進路は考えられなかった。

でも、本当にやりたいことならば、専門学校でも構わないのではないか!?という青臭い考えもよぎった。

あるレッスンの日、井上先生に「普通の大学に行こうと思っている」と伝えた。先生は「17歳としては真っ当な考えだ」というようなことを言った。私は、ここで音楽が終わってしまうということに感情が付いていかなかったが、やはり普通の大学に行くことは真っ当なのだな、と思ったのをよく覚えている。

井上先生のところをやめたのは、高校2年の時だった。

このようにして、長きに渡ったエレクトーンの日々は、一旦終わることになった。


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一旦休憩。
続きは気が向いたら書きます。

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