芬語講師、フィンランドへ行く 2
2日目朝
時差で早く起きてしまい、寝床でゴロゴロ無為に時間をつぶしていました。晩ごはんを食べずに寝たのでひどく空腹です。
調べると宿泊先近くのHakaniemiマーケットホール前の広場で屋外カフェが朝早くからやっているではありませんか。これは助かる。
「クレジットカード使えますか」
とフィンランド語で聞くと「あれ? 日本の方ですか?」と日本語が返ってきました。
現地で暮らしていらっしゃる日本人の方が接客してくださいました。
少しばかり世間話をしながら注文です。目移りします。フィンランドのライ麦パンもカレリアパイも並んでいて、つい両方頼んでしまいました。
5月半ばで観光シーズンには早いようで、周りにいるのは仕事に行く前の地元の方々という感じです。
思っていたより暖かいし天気がいいし、このまま友達に会いにオウルに行ければなぁ、と思っていました。私はYKIテストを受けに別の街へ行かなくてはいけないのでした。
Kotkaへ
宿泊先へ戻り準備を整えて、スーツケースを引きながらKamppiのバスターミナルへ向かいます。
あらかじめ予約していたOnnibusに乗り込んで東のKotkaへ向かいます。都市間バスは私も初めて使いました。いつもは夜行列車でヘルシンキからオウルに行くだけなので…。
私は一度YKIテストの凄まじい受験枠争奪戦に敗れたのですが、どうにかKotkaのキャンセル枠を確保することができました。こんなことがなければ縁がなかったであろうKotka。新しい街は少し楽しみだったりします。
バスの乗客や中継地点Porvooの街の人の服装に目が行きます。袖のないワンピースを着ている女性も多く、もう皆夏の装いです。一方私は長袖のタートルネック。確かにちょっと暑いし、もう少し半袖持ってくればよかったなぁ。
それにしても、どこもかしこも夏を待ち構えている。
14時くらいにKotkaに着きました。こっちも天気がいい。
どこかお昼ごはんが食べられる場所は、と探しているところ「桃源」という中華料理屋さんが目に留まります。へえ、ランチビュッフェもやってるのか。空腹に中華、とても魅力的。
入店すると、平日のためか席は空いてました。どの料理もおいしそう(ビュッフェのテーブルの写真撮り忘れました)。
そして中華料理の反対側のテーブルには、寿司ビュッフェコーナーが!
フィンランドで寿司が一般的になったきっかけの一つとして中華料理屋さんが始めた寿司ビュッフェがあるという話を聞いていたので「おお、これがかの寿司ビュッフェ!」と興奮して写真に収めました。
お寿司おいしかったです。もう少し酢飯にお酢と砂糖がほしいなぁと欲張りなことを思ってしまいましたが、フィンランド人にはちょうどいいのかもしれません。
私が食べ終わる頃にはお店も賑やかになってきました。お寿司をとっていく人もちらほら。お寿司が日常に馴染んでいる様子はどこか不思議なんですが、日本とフィンランドが近くにあるようでうれしいですね。
バスに乗りたい
街にはコインロッカーのようなところはなく、ひとまずホテルにチェックインすることにしました。ちょっと郊外のホテルを予約してあります。
アプリで路線もバス停の位置も確認したし、バスの一日券も買ったし、完璧。
バスが来て、スーツケースを引っ張りながら乗ろうとします。
「このバスじゃないよ。あっちあっち!」
運転手さんが言います。
「いや、このバスでいいはずで」
「道一本向こうだからね!」
「え、あ、はい」
運転手さんの迫力に気圧されて降りてしまいました。
もう一度アプリで確認しますが、バスの路線は間違っていないはず。
次に来たバスに乗ろうとしますが、また断られてしまいました。
バス路線は合っているはず…。でも初めての街でこう立て続けに断られてはどんどん自信がなくなってきます。
同じバス亭で待っている、ちょっと気だるい雰囲気の少年に聞いてみました。
「すみません。このバス、ここに向かいますよね? 間違ってませんよね?」
「合ってますよ。どこ行くんですか」
気だるい雰囲気のまま答えてくれる少年。
「ここに予約してあるホテルがあるんです。でも運転手さんに違うって言われて」
Kotkaの中心街はKotkansaariという島に収まっていて、私の宿泊先は橋をひとつ渡った先のMussaloにありました。運転手さんは私がどこかKotkansaariのホテルに向かうんだと思ったのでしょう。
大丈夫ですよ、と少年に言ってもらって気持ちを強くした私は次のバスに乗りこみます。学校帰りの高校生たちでバスはいっぱいでした。
数学が、物理が、という高校生のおしゃべりに懐かしさを感じつつ、目的地にバス停で降ります。
運転手さんが止めるのも頷ける、何もない場所に出たぞ。
同じバス停で降りた高校生の男の子が「Do you speak English?」と声をかけてくれました。「英語は、かなり下手ですね」と恥じながらフィンランド語で答えると、フィンランド語で「どこに行くんですか?」「ホテルKotolaですか?」「だったらあの道をまっすぐです」と地図アプリを開きながら教えてくれました。ありがとう少年。心配をかけてしまった。
スーツケースをゴロゴロ引きながら歩いていると、車から「Where are you going?」と大きな声が。中華の雰囲気ただよう女性が声をかけてくれました。この先にホテルがあるんですよ、と答えると安心したようで、少し世間話をしてから女性は手を振って去っていきました。私は優しい人たちに心配をかけながら生きている。つくづくそう思います。
Hotel Kotola
色々ありながらもホテルに到着しました。週末は常駐のスタッフはいないようで、あらかじめ送られていたキーコードで部屋に入ります。
部屋は広くて清潔でベッドも寝心地がよく、私はシャワーを浴びてベッドに寝転がりながら明日のテストの勉強をしたのでした。
勉強しているうちに眠くなってしまい、明日は朝も早いことだし、と晩ごはんを食べずに寝てしまいました。
3日目、YKIテスト後
テストの内容はまた別の記事で書こうと思います。
試験は15時前には終わり、公園でぼんやりしていました。
テストの合間に試験官をしていたフィンランド語の先生と世間話をしていると、日本からきた私を面白がってくれ、テストの片付けが終わった後でよければKotkaを案内するよと言ってくれました。ぜひ!と即答し先生のお片付けが終わるまでKotkaの中心街でひとり暇をつぶします。
試験官の先生は数人いて、中には第一言語がフィンランド語でない方もいらっしゃいました。フィンランド語の音の中にほんの少しロシア語の名残のような音があって、フィンランド語が母語じゃないのにフィンランドで先生だなんて何て立派なんだ、としみじみ思っていました。
フィンランド人のフィンランド語じゃないから変だった、ということでは決してありません。
私に声をかけてくれたのもハンガリー人の先生でした。まさかこの流暢さでフィンランド語が第一言語じゃないなんて、本人から聞くまでまったく気づきませんでした。そのくらい発音もまるで母語のよう。
ショッピングセンターを冷やかしているとハンガリー人の先生から連絡が来て、合流し一緒にKotkaを回ります。
「フィンランドの海は灰色だがKotkaの海は青い、ってよく言ってね」
先生の解説通り、どこもかしこも青い。ヨットが趣味の人も多いのか、海沿いにいるとウエットスーツ姿の人とよくすれ違います。
「歴史ある建物だよ。建てられたのはいつ頃だっけなぁ。あと下のガラス張りの場所、いい場所なんだけど、どこもあまり商売が長続きしないんだよね。なんでだろう」
「家賃高いんじゃないんですかぁ?」
こんな話をしていると、通りすがりのウエットスーツのおじさんが「建てられたのは1898年だよ」と教えてくれました。
「ありがとう!それにあの場所、どうしてどのお店もすぐつぶれちゃうんでしょう」
「まあ、最近はロシアからの観光客が来ないからなぁ」
そうか、そういうこともあるのか。確かにKotkaでは観光地にロシア語表記が必ずありました。「でも次入るお店はもう決まってるってさ」
「そうなんですね」
Kotkaの人間じゃないのになぜか私も安心して、おじさんにお礼を言い、私たちはまた海沿いを歩いていきます。
歩き続けると海沿いに公園が見えてきました。かつては港近くで重油を保管する場所だったそうです。
海沿いの公園を一通り周り、晩ごはんを食べに中心街に戻ります。
ちょうどこの時期Kotkaでは街中でストリートフードフェスティバルが開催中でした。私は見つけられなかったんですが、聞いたところによると、たこやきのキッチンカーも出店していたそうですよ。
そういえば「Kotkaはすてきなkesäkaupunki(夏の街)だよ」とフィンランド人の友達が言っていましたね。kesäkaupunkiとは夏過ごしやすい街、夏に楽しいイベントが多くある街のことをいいます。
「そんなのフィンランドのどの街もそうじゃないか」
「それもそうだ」
と笑っていましたが、きっと5月くらいからこういうイベントが増えてくるんでしょうね。
帰りは先生にホテルまで送ってもらってしまい、お礼を言いつつ別れました。明日もチェックアウトのあと迎えに来てくれるそう。いやぁ申し訳ないな、とも思うのですが、こういうとき遠慮するとフィンランドの人は怒るので素直にお礼を言い甘えることにしました。
テストに観光に、なんだか目まぐるしい一日だったな、と寝床で思い出を反芻しているうちに寝てしまったようです。
次の記事に続きます。
気が向いたとき書いているので本当に更新頻度はゆっくりです。