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「自分の全て」 四年 坪谷直樹


こんにちは。

今シーズン主将を務めました坪谷直樹です。

日頃より日本大学サッカー部へ多大なご支援を賜り、誠にありがとうございます。
また、このような社会状況のなか、活動にあたってご尽力いただいた大学関係者の皆様、
関東大学リーグや東京都社会人リーグ開催にご尽力いただいた大会関係者の皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。
引き続きよろしくお願い致します。



いよいよ最後のnoteが自分に回ってきました。
引退ミニゲーム大会を最後に活動を終え、約1ヶ月が経った今このnoteを書いています。
このような文章を書くことはこの先当分ないと思うので、自分のありのままの想いを書こうと思います。

長くなってしまったので、途中まででも全然大丈夫です。
是非、読んでいって下さい。




それではいきます。



自分の経歴を少し話す。

小学2年から地元の少年団でサッカーを始めて、
中学では大宮アルディージャのJrユースにセレクションに合格しそこから6年間大宮の下部組織でサッカーをし、日本大学にきて計15年サッカーを続けてきた。

言葉は適切じゃないかもしれないが、正直に言うと、しんどいサッカー人生だった。
試合に出続けていた年は、小学生の頃を除くと中学2年が最後。
最初のユース昇格の合否は保留で、1週間の練習参加ののちになんとか昇格した。
ユース1.2年次は公式戦出場はゼロ。高校3年の開幕はスタメン出場したもののその後の出場はまばらで、チームはプレミアリーグ降格。
中高合わせて、自分たちの力で全国大会に出たことはなかった。
今でも苦い思い出は焼きついている。
大学4年間で、トップチームのスタメンに名を連ねたのは1年次に1回と4年次に1回。
どちらもたまたまだと自分の中では思っている。

慰めて欲しいと言うわけではなく、振り返るときつかったな〜なんて思う経験が多かった。


そんな中でもやってこれた原動力が2つある。


1つが

「プロサッカー選手になる」



という夢があったから。


大宮の下部組織に所属していた自分は1回目のチャレンジでプロになることはできず、
大学サッカーで最後の挑戦をしようと考えて入部した。
誰がなんと言おうと自分は、この大学でプロを目指していた。
そのためには、大学で試合に出て活躍するしかなかったが試合に出ることもできなかった。

将来を考えていく中で、大学3年までに試合に出られなければプロを諦めようと自分の中で線引きはあった。

大学生活半分をトップチーム公式戦出場1試合で終え、
迎えた大学3年。関東リーグ登録外。

焦りというよりは、当時の自分だったら当然の結果だった。

それでも社会人リーグで出場機会を掴み、なんとなく前より自分のプレーに自信が持てていた。
そんな矢先、後期関東リーグのメンバーに追加登録してもった。
最後のチャンス。そう感じた。

その週の紅白戦、スタメン組に自分の名前があった。
やってやる。そんな気持ちでしかなかった。
いざ紅白戦。気持ちとは裏腹に思うようにいかない。
チャンスのシーン、パスがズレた。このシーンは今後一生忘れないと思う。
そのまま紅白戦が終わったり、翌日のトレーニング、スタメン組に自分の名前はなかった。
その週の関東リーグにはベンチ入りしたものの出場はなく、その試合を終えた。





この時、僕はプロサッカー選手を諦めた。
間違いなくこの瞬間に。





その後、ベンチ入りも出来ず関東リーグは全ての日程を終えた。
年明けに行われた全国大会にも登録はしてもらえたが、メンバー入りは愚か、会場にも連れていってもらえなかった。



今振り返ると、自信を持って言っていたはずの「プロサッカー選手になる」という言葉も
心の底から思えていたようで思えていなかった自分もいた。
自分自身の理想と現実のギャップ。それでも気持ちだけは諦めてはいけないという思い。
いろんな葛藤の中で、夢を追いかけていたと感じる。


そんな中、誰よりもブレてない奴が自分の近くにいた。
今現在、日大からプロになることが決まっている2人だ。
この2人はプロになることに対してブレる姿を見たことがない。
それぞれキャラクターは違うものの、熱量は凄まじかった。
そんな2人でも苦しい時期はあったと思う、それでもきっと彼らの目指す場所は常にプロだった。
それに比べると、自分のプロに対する熱量は弱かった。
きっと、その差は大きかったしそれがこの結果なんだと思う。

そして、プロサッカー選手の素晴らしさを4年になって改めて感じた。
プロを諦め、就職活動を始めた。ありがたいことにいくつかの企業から内定をいただき、最終的には自分の第一志望に進むことが決まった。
プロ選手は、サッカーで生計を立てていく。
頭の中ではわかっていたが、今まで全てを捧げてきたサッカーを選手として評価されプロになってお金を稼ぐということは本当に価値のあることだと改めて感じたし、それと同時に厳しさも感じた。
ユースの先輩や、いままで対戦してきた選手で衝撃をうけた選手でも、プロになれない選手やなれても長く活躍できず契約満了など本当に厳しい世界だ。
だからこそ、目指す価値があり夢がある。
プロサッカー選手を諦めた今、素晴らしさをより強く感じたし、いつまでも憧れ続けるんじゃないかと思う。

プロになる同期には心の底から応援してるし、プロを目指す後輩には全力で頑張って欲しいと思っている。



そしてもう1つの原動力。

それが

「チームの為に行動し続ける」


こと。


これは誰にも負けない。


試合で出れない期間が多かった自分は、常に自分にできることを探しやり続けた。
チームスポーツにおいてこの力は大きかったのではないかと今は感じる。
この原動力のおかげで、
ここまでなんとか生き残ってきたのかなと思うこともある。

だからこそ今年、

”キャプテン”

と言う大きな役割を任せてもらえた。

正直1年前、2年前の自分を振り返ると、自分がキャプテンをやるとは思っていなかった。
それは周りを含めてそうだと思う。
入部する前は目標にしていたが、
学年の副責任者を務める程度でキャプテンになることに現実味はあまりなかった。

キャプテンをやることは覚悟がいる。
やらなければ責任を負わなくて済むことが多い、自信もあったわけでもない。
だけど、目の前にチャンスが有る限りやろうと覚悟を決めた。

覚悟を決めたとはいえ、やはり簡単な役割ではなかった。

7月、自分の公式戦のメンバーに入れず、他会場の審判派遣に行った。
「キャプテンがメンバー外で審判しにきてるの?審判団入るか?」
と笑い話をされたこともあった。

しかし、本当にその通りだ。
関東大学リーグ24大学のキャプテンの中で、こんなに試合に出てないのは自分くらいだと思う。

周りにキャプテンをやってると言うのも常になんとなく嫌だった。

自分の理想のキャプテン像とはかけ離れていた。
自分が1番わかっていた。力不足なことを。

納得いっていない部員もいたと思う。


それでも、
このチームのキャプテンは自分、
やらなければいけなかった。


思うようにいかなくても、それでも、やるしかなかった。

”チームの為に”

きっとそれが自分に求められてたことだと思うし、それしかできなかった。

チームが勝つ為ならなんでもしたかった。

心の底からそう思っていた。


「試合に出たい」「試合で活躍をしたい」というのは、サッカーをやっていれば自然な感情。
でも試合に出れるのは11人とプラス数名。
ほとんどの選手は試合に出ることができない。それがこのサッカーというスポーツだ。
ただ、それでも何か自分自身でここに価値を残さないと、あまりにもこの4年間に割りに合わない。
多くの時間とお金を費やし、大学生の時間をサッカーに捧げているのであればどんなに不細工でも自分の価値を証明したかった。
それは1人の男として、そして今年はキャプテンとして。

大学サッカーは試合に出ていなくても、いくらでも価値を示せる場所だと思う。


だから自分は
ピッチ内で、声は切らさないようにし、紅白戦では相手チーム役に納得がいってない選手にも鼓舞し続けた。
公式戦ではスタメンの選手が気持ちよくプレーできるように、できるだけストレスのかからないようにいろんなマネジメントしたり、監督・コーチとの連携をとるようにした。
ピッチ外では、今まで少なかったミーティングを増やした。
4年がやらないような雑用でも自分にできることはできる限りやってきたと思う。

それでも思うようにはいかなかった。
結果はもちろんだが、それ以外にもたくさんのことが。
色んなこととを考え悩み続けた結果、なかなか寝付けない日もあったし、起きたらなぜか涙が溢れていた日も。

生きていて、1番大変だった1年だった。
それと同時に、人間として1番成長できた1年でもあった。
こんな経験は2度とできないと思うし、挑戦してよかったと思う。

ただ、もう1回やれって言われた即答ではいとは言えないけど、、、(笑)

それはさておき、


自分が今できる最大限の”キャプテン”をやった。


これは胸を張って言える。




生きていれば、どんな些細なことだとしても後悔したことがあると思う。

俗に言う、たらればのようなことだ。

あの時こうしてれば。
あの試合で勝ってたら。

できないことに言い訳を作ってしまうのが人間であるし、人間の弱い部分だ。

たらればを考えるのはわかる。
自分も考えることもある。

他大学に行ってたら、試合に出れてプロになれたかも。

環境やサッカーのスタイルに合う合わないはあると思う。
それは完全否定はできないが、力のある選手・人は、どんな環境でも結果を残す。
前回のnoteにも書かせてもらった、それに屈しない圧倒的な力を持つ人だ。

ただそれ以上に、

1番大切なのは、

”与えられた場所で、自分ができる最大限のことをやり続けられるか”



なのではないかと大学サッカーに教えてもらった気がする。


日本大学に来て本当に良かったと思っている。
ここに来なければ、いまの自分はいない。



大学サッカーをもって、自分のプレイヤーとしてのサッカー人生を終える。
もしかしたら、またサッカーがやりたくなってやるかもしれない。
そしたらその時はその時で。


今は、サッカーのない人生にワクワクしてる。


これからの人生の方が長い。どんなことが待っているのか。

サッカーから学んだたくさんのことを自分の力にして、
これからも熱苦しい人間として頑張っていきたいと思います。



自分が今、伝えられる最大限を綴りました。



読んでいただいた方に、何か少しでも心に届いていたら嬉しいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

(まだ少し続きます)







このチームはまだまだ強くならなければなりません。
自分が入学してきた頃に比べると確実に成長はしている。
しかし、
まだ1部に上がって結果を残せるほどのチームではないし、本当の意味で変われていない。
このチームに関わる全ての人がこのチームを強くできる。

僕はこのチームが好きだ。

いままでサッカー部を守ってきていただいた先輩方に感謝を忘れず、想いを繋いでいかないといけない。
だから、全員がもっと変わらないといけない。成長しないといけない。
簡単ではないけれどその一歩を踏み出せたときにこのチームは大きく変わる。
そんな未来を自分も一緒に作りたいと思っています。







最後に、



これからの日大を背負っていく後輩達へ。

自分はこのチームを変えると意気込んで入部し、あっという間に4年間を終えました。
思い描いていたような大学サッカーではなかったと1年1年そんなことを考えていたら、本当に4年間はあっという間に終わってしまいます。
自分の目標を持つことは大切だけど、それ以上にこのチームをもっと変えていって欲しい。
4年間でも足りなかった。

1年生
例年にないほど真面目で仕事ができる学年。来年はもっといろんなことに貪欲に、上を目指せる学年になって欲しい。
2年生
今年は本当に何度頭を悩まされたことか、、、来年は上級生としてチームを支えないといけない。
チームを動かせる力を良くも悪くも持っている学年。これからが本当の勝負!頼むよ!
3年生
いよいよ最終学年になる。想像以上に大変な1年になると思うけど、自分たちのカラーを大切にしっかり話し合いを重ねること。
いいチームを作ってください!

自分が残せるものは全て残し、伝えられることも全て伝えて稲城を出たつもりです。
うざいくらい言ってきたと思う(笑)

1番言いたいこと、
それは

もっと何事にも熱くなって欲しい

その内に秘めた熱量をどんどんチームに還元して、このチームを強く強く変えていって欲しい。
期待しています!!!





4年間を共にした同期へ。

お世辞にも全員と仲がいいとは言えない同期達、ここでなにか書くつもりはなかったけどもうこんな機会もないと思うのでちょっとだけ。
ただでさえ人数がどの学年よりも人数が多いのに、くせ者だらけで本当に1度もまとまったことがないと思う。唯一まとまるとしたら学年会の時くらいかな。本当に自分勝手なやつばっかで、仕事はしない。1年生のときに坊主にならなかったことに少しは感謝して欲しいくらいです(笑)
いまでも思い出したらムカつくくらい、色々ぶつかりあったし色んなことがあった。
ただ、みんなサッカーが好きでサッカーに対して熱くて。それは間違いなかった。
だからこそ、もっと4年が象徴となれるチームとして関東リーグを戦いたかった。学生スポーツ最終学年の底力をこの学年の底力をもっと見せつけたかった。これが1番悔しかった。そういう学年を作れなかったのは、リーダーをやらせてもらった自分仕事で、全てにおいて力不足だったと思ってる。申し訳ない。

いまでも耀がキャプテンだったらどうなったのかと考える、耀のキャプテンシーに本気で憧れた、どう考えても敵わなかった。納得いかなかったと思うし、それでも耀はなにも言わずいつも通りの耀だった。感謝してもしきれないけど、本当にありがとう。直接は照れ臭いのでここで伝えます。

いろんな意味で、この同期に出会えたことがこの4年間に必要不可欠でした。
4年間おつかれ!そしてありがとう!










最後が長くなってしまいました。

ここまで自分に関わってくれた全ての人に、
感謝しています。
少しでも、恩返しできるようにこれからも自分らしく日々精進していきます!

最後まで読んでいただきありがとうございました!



最後は、やっぱりこれで締めたいと思います。。。


どんな時も熱苦しく!Vamos!!日大!!!


坪谷 直樹 (つぼや なおき)

<経歴>
大宮日進サッカースポーツ少年団→大宮東FJC→大宮アルディージャJr.ユース→大宮アルディージャユース→日本大学

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