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「2022」4年 近藤友喜


法学部政治経済学科4年近藤友喜です。

最後のnoteです。サッカーを辞めるわけではないのでサッカー人生ではなく今年の活動を振り返ってみようと思います。



ここからは2022年の活動に対する私の本音です。


少し長いですが、興味がある方は最後まで読んでいってください。



4年目にして大学サッカーに対するモチベーションがなくなった。


幼い頃からずっと一つの夢を叶えるためだけに生活してきた。それは、「プロサッカー選手」になること。

大学に入学してからもその夢がブレることはなかった。

でもその夢は自分の想像より早く大学3年生の6月に叶った。

大学サッカーをやる上での自分の中のゴールがプロサッカー選手になることだった。

昇格したいとか残留したいとか口では言っていたけど、そんなことは正直プロになるために必要なこと、くらいの認識でそこに執着はなかった。

だからこのチームでこれからなんのために頑張ればいいのか。心の中が空っぽになった感覚だった。


そんな状態で今シーズンが始まった。

1月から3月までは昨年末に怪我をした第五中足骨の骨折のためリハビリに時間を費やした。

4月には完全に復帰をし、本格的にラスト1年のシーズンのスタートを切った。

ただ、復帰後全力でサッカーに向き合えなくなっていた。

それは身体的な問題ではなく精神的な問題だった。

よくスタッフにこう言われることがある。

「今年のシーズンより2年生の時の方がチームのために頑張っていたしパフォーマンスも良かった」と。

普通は逆だと思う。4年になればチームの軸としてチームを背負う意識、引っ張っていく意識、そういうものが芽生えて、よりチームのためにプレーできるようになるものだと思う。

でも私の場合そうではなかった。

2年生の頃は、プロになるために必死だった。1年の時に「なりたい」と思っていた夢が2年の頃には「なれる」という認識に変わっていて、そのために個人の結果もチームの結果も必要だった。だから必死にチームを鼓舞するし危ないと思えばスプリントして戻る、チャンスだったら仕掛ける、そういう部分が当たり前のようにできていた。

だから周りから見てもチームのためにやっているというのが伝わっていたんだと思う。

でも4年になって、最大の夢であるプロサッカー選手になる夢も叶え、「なんのために頑張るのか」を見つけれずにいた。

それにその一つの理由だけで大学サッカーに対するモチベーションがなくなったというわけではない。

もう一つ明確な原因がある。

それは、今年に入ってこのチームには競争が全くなくなったということ。言い方は悪いがそんなにちゃんと練習をしなくても試合には出れる。

この競争がない環境が私には耐えられなかった。

今シーズンが始まる前スタッフから今年はフォワードで使うかもしれないと言われた。それをフォワードの選手に伝えたら、じゃあ今年はサイドハーフやろうとか、ボランチやろうとか、そう言って誰も自分とポジション争いをしてくれる選手はいなかった。シーズンが進みウイングバックをやり始めた時も同じようなことを言われた。

紅白戦では、「友喜にやられるのは仕方ない」そんなことも聞こえてきた。

全部冗談で言っているのかもしれない。

でも、私にとってみんなのこの関わり方が嫌だった。

こんな環境でサッカーをやっていても上手くならないしなにより楽しくなかった。

だから、練習を適当にやっていた時期もあるし、それでスタッフから「あいつはもういらない」と陰で言われている事も知っていた。

前期の関学戦は、スタッフから「俺はお前を使いたくない、友喜以外の選手たちで話し合って友喜を使いたいと思うなら自分たちでメンバー組んでやって」。そんなようなことを言われたこともあった。

4年生にもなってプロになる選手が何してんだろう。恥ずかしい。

今になってそう思う。

でも当時の私はこんなことがあっても結局何も変わる事はなかった。

それだけ日大でのサッカーは成長を感じなかったし楽しくなかった。

だからチームのためにも頑張れなくなっていった。


そんな中で、8月、9月と日大での公式戦がない関係で約2ヶ月間横浜FCの活動に参加させていただいた。

横浜FCでの活動は毎日が本当に充実していた。

同じポジションの選手には自分より足が速い選手、仕掛けが上手い選手、守備が上手い選手がいて自分がこの中で1番下手くそだと感じた。

でもこういう環境を求めていたし、自分の特徴がどうやったら通用するのか、何に強みを置くのか、どうやったら試合に出れるのか、そんなことを考えながら毎日全力で練習に取り組むことが楽しくて楽しくて仕方なかった。

それに経験がある選手の話を聞くことや、観ることで得られることもたくさんあった。

ありがたいことに、昇格がかかっている中多くの試合に出場することができた。

試合に出てもいつ出れなくなるかわからない緊張感もありこの競争に燃えた。

それまではメンバーに入りたいとか、試合に出たいという気持ちだったが試合に出始めて、出続けたい、結果を残したいと思うようになった。

でも現実はそう甘くはなかった。

関東2部リーグとは圧倒的に違う強度、スピード感についていくのが必死で自分の良さを出せたシーンは少なかった。

自分のせいで攻撃も守備もうまくいかない。そんな試合もあった。

甲府戦、山形戦では決定機を迎えたシーンもあった。でもそれすら決め切ることができなかった。流し込むだけなのにそれが入らない。自分のせいで勝ち点を落とした。

なんであんなに点を決めれないのか。チームの役に立てないのか。

本当に悔しい思いをした。


なんとかこの舞台で結果を残したい。

そう思っていたが、10月からは大学での公式戦もあり、横浜FCでの活動はここで終わった。

情けない終わり方だった。

意識的な部分も含め、全てにおいて力不足を実感した。

来年はJ1。これよりもレベルが高いリーグ。そこで通用するためには今のままでだめだ。

そう感じた。


10月になり日大に帰ってきた。

この2ヶ月で感じたことを無駄にしてはいけない。

大学でもやるべき事はある。

今年に入って、これまで気持ちの入らなかった日大の活動に気持ちが入るようになった。

横浜FCの活動に行っていなければこんなこと思わなかったし、横浜FCというクラブに進路をを決めて本当に良かったと思う。


そして現在、関東2部リーグでは昇格を目指せる位置につけている。

まずはこのチームを昇格させる事。

それができなければJリーグの舞台で活躍する事はできない。

自分1人の力でチームを勝たせる。それくらいの選手にならなければいけない。

そのために1日も無駄にはできない。

毎日の練習は楽しくないかもしれない。練習で成長できないかもしれない。

でももうそんな事は関係ない。

来年、自分がどうなりたいか、あの舞台で活躍するにはどの基準でプレーしなければいけないのか。

2年生の時同様、まずは自分のために。

それが必ずチームのためになるから。

そう信じて、ラスト1ヶ月走り続けます。






最後に。


両親。

まだ、ありがとうは言いません。

ここからが自分にとってのスタートです。

少しずつ親孝行をしていけたらいいなーと思います。

サッカーを辞める時、ありがとうと言います。

これからもよろしくお願いします。



横浜FC

2年間特別指定選手としてプレーしてきたクラブに来年ようやく正式に加入することができます。

形としては1年目ですが、3年目勝負の年のつもりで今年の悔しさも晴らせるよう頑張ります。

それとまだ今年の日大の活動は残っています。

もしかしたら有観客試合もあるかもしれません。

その時はぜひ会場に足を運んでいただけると嬉しいです!

よろしくお願いします!!



日大

仲良い選手も少ないし、今後社会に出て会う人も限られてるとは思います。

でもみんながそれぞれの場所でこの選手と一緒のチームだったって誇ってもらえるようなプロサッカー選手になります。

試合見にきてもらえたら嬉しいです。



あと一ヶ月頑張ろう!





最後まで読んでいただきありがとうございました!

近藤 友喜(こんどう ともき)
〈経歴〉
名古屋グランパスU12→名古屋グランパスU15→前橋育英→日本大学→横浜FC

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