「もう一度あの場所へ」 2年 桑原 晃大
こんにちは。
今回noteを担当させていただきます。
ジェフ千葉ユース出身 スポーツ科学部2年 桑原晃大です。
まず初めに日頃より日本大学サッカー部を御支援していただいている全ての皆様、関係者の皆様に心より御礼申し上げます。
拙くまとまりのない文章ですが最後まで読んでいただけると幸いです。
私は高校時代にJリーグで2試合出場している。こんな風に書くと、何かすごいように見えるかもしれないが、たまたま色々な偶然が重なって試合終了間際の数分間、出場することができただけである。
しかしそれは、私にとって今でも鮮明に記憶に残っているし、私の原動力にもなっている。
私は中学、高校とジェフ千葉というクラブでプレーをしてきた。高校1年の時にトップチームの練習に初めて参加させてもらい、高校2年の途中からトップチームの練習に継続的に参加させてもらえるようになった。高校1年で初めて参加した時には、佐藤寿人さんや増嶋竜也さん、安田理大さんといった日本代表経験のある選手がいて、とても緊張したのを覚えている。
高校3年では、キャンプにも帯同させてもらい、多くの経験をさせてもらった。
その中で、感じたものは、はっきりとしたプロとの差だった。
差というのは具体的に言えば、一つ一つのトレーニングに対するマインド、一つのパスの質、ボールを受ける前の準備、スピード感、エゴの出し方、コーチングの声、さらにはピッチ外での過ごし方まで、どれをとっても自分とは違う。
そしてプロの選手は、これを当たり前のように行う。
このプロとの差、当たり前の基準を、高校生のうちに、肌で感じることができたのは、今振り返ると、とても恵まれていたと思う。
それからもトップチームに呼ばれる回数が多かったこともあり、もしかしたら、昇格させてもらえるかもしれないと思っていた。
しかし、現実はそう甘くはない。
高3の6月ごろに面談でトップチームに昇格はできないと言われた。自分でも通用していないのは分かっていたが、改めてそれを突きつけられると、やはり悔しかった。
それでも、その後もトップチームの怪我人などの事情が重なり、トップチームで練習させてもらう機会が多くあった。
そして、2022年8月17日のJ2リーグ、ヴァンフォーレ甲府戦、私はベンチ入りすることになった。
ベンチ入りがわかった前日の夜からとても緊張していた。
試合当日を迎え、スタジアムに入った時、アップ終わりでロッカーに帰る時、サポーターが自分の名前を呼んで、
「頑張れ」
と応援してくれる。とても、嬉しかった。
試合が始まるとスコアレスでゲームが進んでいった。
このゲーム展開なら自分は出れないなと思っていると、試合終了間際、ディフェンスの選手が負傷し、自分の名前が呼ばれた。
その瞬間、一気に緊張と興奮が込み上げてきた。
ピッチに入ると、多くの先輩方が、声をかけてくれたので、集中して試合に入ることができた。数分間だったが、とても楽しい時間だったし、ずっと試合を見てきたフクアリのピッチの中から見る景色は、最高だった。
それから月日は経ち、今、私は、日本大学サッカー部でプレーをしている。現状はAチームではなく、1、2年生を主体としたIリーグチームに所属している。
決して順風満帆ではない。
どちらかと言えば向かい風だ。
もっとIリーグのチームの中で圧倒的な存在であることを、ピッチの上で証明し続け、現状からの変化を見せることができなければ、Aチームで試合に出て活躍することはできない。
気づけば大学生活も一年と半年が経ち、折り返しが近づいている。
この大学で会えた仲間と共にタイトルを獲り新しい歴史を作れるように。
大学を卒業する時に、あのときああしていれば良かったと後悔しないように。
先にプロになった2人に追いつけるように。
必ずまた、最高だったあのフクアリのピッチにプロとして、自信を持って黄色のユニフォームに袖を通して立てるように。
1日1日を大切に、常に野心を持ってギラつきながら、自分に矛先を向けて残りの日々を全力で過ごしていきたい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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