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「当たり前」 三年 鈴木 駿

こんにちは。今回noteを担当させて頂く日本大学山形高等学校出身、経済学部3年鈴木駿です。これまでの大学活動を通して、今感じている事を書かせていただきます。
 
まず始めに自分にとって当たり前の生活とはなんでしょう?

今年はコロナという目には見えないウィルスにより昨年までとは違う生活が強いられています。現状、私たちが今まで過ごしてきた当たり前の生活ではなくなってしまっています。
そこで私は長い自粛期間の間、今までの自分自身の当たり前の生活について考えるようになりました。

大学に入学してから、朝練をして学校に行くという生活を送っていました。当たり前のようにサッカーができ、当たり前のように各カテゴリーで毎週リーグ戦が行われていました。今思うと当然のように何も感じることなくサッカーをしている。それこそが私にとって当たり前の生活でした。このような情勢になり、リーグ戦を開催するとなったとき、改めて私たちがリーグ戦をするということは多くの人が携わり、最善を尽くしてくれているのだと知りました。
私たちは周りの人たちの頑張りによってサッカーができています。これは忘れてはいけないことです。

この期間で私は自分の知らないところで誰かに支えられて当たり前の生活ができていることに気がつきました。

大学に通えて自分が好きなことができているのは両親のおかげ、しかしそれをわかっていても、日々生活していくことで感謝することを忘れてしまうことがあります。
当たり前とは怖いもので、それまでの感謝や情熱を忘れさせてしまいます。だから何不自由なく生活ができている時こそ、誰かの頑張りによってこの当たり前があるのだと思い出してほしいということです。今ある当たり前を大切にしてこれまでよりも大事に1日1日生活していきたいと思いました。

最後に私は大学に入ってから山形の高校とは全く違うレベルでのサッカーに置いてかれそうになりながらも追いつこうと必死に自分のために頑張ってきました。しかし、必死だった一年目は過ぎ三年生という立場になり、周りの状況も見えるようになったことを生かして行動していきたいと思うようになりました。

私の大学サッカーの時間は一年と少ししか残されていません。しかし私にできることは必ずあり、それは私自身が誰かの当たり前を創ることなのではないかと思っています。この残された時間で日本大学に当たり前を創り出していきたいです。

なんだかまとまらない文章となってしまいましたが、自分の思っていることを目に見えるものとさせて頂きました。

今後とも日本大学サッカー部の応援をよろしくお願いいたします。

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