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「夢」 四年 楜澤 健太

12月23日、結果が来た。プロサッカー選手にはなれなかった。16年間続けてきたサッカーを1月のインカレを最後に引退することが決まった。

今回noteを担当させて頂きます、法学部4年の楜澤健太です。文章を書くのが苦手でまとまっていませんが、読んでいただけると幸いです。

プロサッカー選手を目指し始めたのは小4の時だった。テレビで日本代表の試合やJリーグを見て憧れたとかではなく、ただ単純にサッカーが楽しくて好きだったからだ。父に、「プロになりたい!」と伝えると次の日から毎日2時間ほどのメニューを考え、小4~小6の間は1年のうち360日ぐらいは父と共に自主練習をした。サッカーが上手くなっていく実感はなかったが、小6の時に県選抜に選ばれ、北信越選抜に選ばれ、ナショナルトレセンにも選ばれた時に毎日練習をしていればプロになれるかもしれないと思うようになった。
中学でも輝かしいとまでは言えないが、チームでは北信越2位、個人では中日本トレセンまでいく事が出来た。
高校は帝京長岡に進んだ。プロになるには注目されなければならない。毎年全国に出場している帝京長岡でスタメンとして出場し結果を残せればプロに行けると考えたからだ。しかし全国に行けたのは3年の時のインハイ、選手権だけだった。基本的に3年の時の選手権では進路が決まっているため、インハイでどれだけ結果が残せるかで変わってくる。
しかし、インハイ前に怪我をしてしまい3日前にやっと全体練習に参加できた。結果は散々だった。高卒でプロを目標にしていたが自分の実力不足や管理不足によりなれなかったため、あと4年かけてさらに成長して絶対に夢を叶えてやろうと思っていた。

大学4年の12月23日、練習参加をしたチームから連絡が来た。プロにはなれなかった。今までの16年間全てを否定されたような思いだった。夢を叶えられなかった。しかし、夢を叶えられなかったことよりも辛かったのはいつでも応援して支えてくれた両親に伝えることだった。
高校、大学と何不自由なく今までサッカーをしてこれたのは間違いなく両親のおかげなので、サッカーで恩返しをしたいと決めていたがそれを果たせることはなくなってしまった。
両親に「ごめん。ダメだったわ」と伝えると普段サッカーに対して厳しい父が「そうか。よく頑張ったな!」と言った。泣いてしまった。
16年間支えてくれて本当にありがとう。
別の形で必ず恩返しします。

今までのサッカー人生を振り返ると指導者や仲間に恵まれていました。古沢監督、谷口先生、川津監督、小田島コーチ今でも連絡をしている西村監督、臼井コーチに出会えたこと、そして沢山の仲間とも出会うことが出来ました。ここまで自分が成長できたのは指導者、仲間たちのおかげです。ありがとうございました!
今までサッカーやってきてよかった。

プロになってもサッカーを辞める時がいずれ来る。それがちょっと早くなっただけだと言い聞かせながらサッカーが中心ではなくなった第2の人生を頑張っていきたいと思います。

拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
まずは目前に迫っているサッカー人生最後の大会を全力で戦ってきたいと思います!

・楜澤 健太 (くるみさわ けんた)
・出身 長野県長野市大豆島
<経歴>
・長野FCガーフjr→AC長野パルセイロu-15→帝京長岡高校→日本大学

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