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「原動力」 2年 平尾 勇人

こんにちは。

今回noteを担当させていただきます。
四日市中央工業高校出身、文理学部体育学科2年平尾勇人です。

このような機会をいただいたので、私の「原動力」について書きたいと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。



今まであまり人に話したことはないが、サッカーを語る上で欠かせない存在がいる。




それは3つ下の弟。






弟はサッカーが好きで、幼い頃から毎日のように家の前で一緒にサッカーをしていた。
そして弟はすごく賢かった。
私より勉強、行動、発言、全てにおいて賢く、いつも私が注意されるほど賢かった。
そんな弟が私は大好きで、すごく大切な存在だった。
そして何をするにも弟と一緒の生活。
それが当たり前だった。







2010年10月16日。

私が5歳で弟は3歳。

弟は急に40度の熱を出した。

家族は風邪を引いたのかなと思っていた。

しかし、病院へ行くと大学病院へ紹介された。













検査結果
急性リンパ性白血病。












私はまだ幼かったので、理解はできなかったが、家族の雰囲気で深刻な事は理解できた。

泣き崩れる母、姉、考え込む父。

あの光景は今でも鮮明に覚えている。










ここから弟の長い闘病生活が始まる。

何度も再発、入退院を繰り返す日々。

家族が集まれるのは日曜日の午後2時間ほど。

会うたび弟の身体は変わり果てていく。

抗がん剤治療で髪は無くなり、骨髄移植後は痩せ細り、それでも私と会う時は笑顔だった。

私は実際には見ることはできなかったが、1番近くで見守り続けてきた母から聞く限り、ものすごい苦しさや想像もできない痛みと戦い続けたという。

幼稚園、小学校に行きたい、私と同じようにサッカーを習いたいと泣き叫んだり、家に帰りたいと言っていた。
そんな姿を見るたび、変わってあげたいと思うほど、苦しそうだった。

当たり前に学校に行き、サッカーをして、家に帰る、この生活が弟にとっては当たり前ではなかった。
むしろ憧れだった。

私が小学2年生の時、サッカーが好きだった弟に初めて買った、緑のadidasのトレシュー。
靴紐を結んであげ、一緒にサッカーをした時のとても喜んだ弟の顔は今でも覚えている。

普通の人にとってはただのトレシューだったが、弟にとってはきっと特別なトレシューだった。

それぐらい当たり前が当たり前ではなかった。


しかし弟は病気に関して弱音を吐かず、私の前でずっと笑顔だった。







そんな生活が続き、家族全員が治ると信じていた。












でも、治らない。




2015年12月
担当の先生にもう治療する方法がないと言われた。

年は越せないと言われた。

それを聞いたのはいつもの日曜日の面会に行く前だった。
そして家で姉と父と一緒に泣いたのを覚えている。


泣いていた姉と私に、父は
「りくの前では泣かんとこうな」と言った。
本当に辛かった。





私は弟との時間を作るため、しばらくサッカーを休んだ。

そして先生に外泊を許可してもらい、家族でディズニーランドに行った。

弟は車椅子だったが、このまま治るんじゃないかと思うほど、楽しそうだったし、私もそんな弟を見て嬉しかった。







家族で話し合い弟を家に連れて帰ろうと決めた。






そして弟が家に帰ってきた。

リビングには大きなベッド。

酸素の機械に点滴。

体にはたくさんの管がつながっていた。

そして車椅子生活。

そんな状態でも笑顔で楽しませてくれる弟。

弟のベッドの横でゲームをして遊ぶ毎日は本当に楽しかった。

UNOして遊んだり。

時にはリビングで一緒に寝たり。

リビングで映画を観たり。

とにかくたくさん笑った。











2016年正月

年は越せないと言われていた弟が奇跡的に年を越す。

家族での穏やかな時間は過ぎていった。





















そして2016年1月6日、朝6時30分


弟が8歳で旅立った。 















覚悟はしていたが、受け止めきれない現実。

家族でベッドを囲み、声をかけ続けたあの時間。

最後に強く握ってくれた、あの手。

泣き崩れる家族。

お葬式の間はとにかく泣いていたのを覚えている。





そして弟が亡くなった1月6日。
それは私の11歳の誕生日。
私にとってとても大切な日に変わった。


私には人生のバトンを渡されたように感じた。









亡くなるまでの5年間、生きるか死ぬかの世界で本気で戦った弟。

人が本気で戦い努力する姿を命をかけて見せてくれた。

そして何もなかった私に「最後の最後まで信じて諦めない」というプレースタイルを与えてくれた。

弟が好きだったサッカーで最後まで本気で戦い、ギリギリまで諦めなかった弟のように、試合の1分、1秒最後まで諦めない。

どんなにきつい状況でも
どんなにしんどくても
弟が感じてきた辛さに比べたらなんてことはない。

兄として恥じないプレーと恥じない行動。

弟のため、チームのため、仲間のため、
そして自分の夢のために。

サッカーをさせてもらっていることに感謝して。

弟が本気で生きたかった今を全力で生きる。

きっと弟は私の中で生きている。

そう信じて夢が叶うまで努力し続けます。









弟の存在が私の「原動力」です。






以上が、私の「原動力」についてになります。拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後とも日本大学の応援のほどよろしくお願いします。


平尾 勇人(ひらお はやと)

〈経歴〉
つつじヶ丘sss→ラピド名張FC→セレッソ大阪u15→四日市中央工業高校

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