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「FOR THE TEAM」4年 藤村祐世

11月12日 大学ラストゲーム。
18年ぶりの1部昇格がかかった大事な一戦。
試合終了のホイッスルが鳴った。
歓喜の輪が広がるなか、天を仰いだ。

「ああ。終わった。」そう囁いた。


嬉しかった。楽しかった。ただただ楽しかった。



でも悔しかった。申し訳なかった。


たくさんの感情が頭の中を駆け巡った。
その瞬間涙が止まらなかった。












みなさんおはようございます。こんにちは。こんばんは。


今シーズン副主将を務めさせていただきました。

三重高等学校出身   4年   藤村祐世です。



今回はこれまでのサッカー人生を書いてみたのですが、あまりにも長くなりすぎたので、

高校少しと大学サッカーを通じて思ったこと感じたこと嘘偽りなく綴っていこうと思います。


それでも、長いので時間がある時にお読みください。



拙い文章ではありますが最後まで読んで頂けると幸いです。


本当に長いですけどいいですか?
読むなら覚悟してください。笑







藤村祐世=サッカー
小さい頃から周りからはこう思われていただろう。
それくらいサッカーが大好きだった。



サッカーとの出会いは幼稚園。

兄の影響でボールと遊び始めた。
小学、中学と兄の背中を追い続けた。
高校は兄の背中を追い続けたのか否か。






それではどうぞ!!!!!

















〜高校生〜






サッカー人生の中で大きな分岐点。


 





       "三重高校or四中工"






どちらの監督からも直々にオファーをもらった。
正直、四中工に行くのをビビってたりもしてた。





周りからは絶対に四中工に行け。


そう言われ続けた。
けど、そう言われると行きたくなくなるのが人間です。








だから、ここでも三重高校にいる兄の背中を追いかけた。
兄とサッカーするのが大好きだったから。
どこいっても自分なら全国に出れると思ってたから。
兄弟で四中工をぶっ倒して全国に出ると誓った。




高校1年生でリーグ開幕からAチームで試合に出続けた。





インターハイで全国に出た。
信じられへんくらい嬉しかった。
1年生からいきなり全国での試合を経験できた。
ここで俺ってうまいんやなって勘違いをしていた。







高校2年生。


インターハイでまた全国に出た。
初戦で前橋育英に0-7でボコられた。

全国レベルをなめていた。



意味わからんかった。


前半自分のミスでゲームを壊し0-4

ハームタイムで泣いた。

俺は上手いと思ってた自分が恥ずかしくなった。







そして冬




四中工を倒し、



三重高校で創部初の全国サッカー選手権大会への切符を掴んだ。




県大会決勝の試合終了のホイッスルが鳴った。





歴史的快挙なはずなのに。
小さい頃からの夢を叶えたはずなのに。


素直に喜ぶことができなかった。



なぜなら自分が活躍できなかったから。


ただただ時間だけがすぎていく試合だったから。



この光景だけは今でも鮮明に覚えている。



なんで素直に喜ばなかったのか。



今思うとめちゃくちゃ後悔している。
あんな瞬間2度とないのに、、、、






自分でも兄弟で全国サッカー選手権大会出場を果たしたことは誇らしく思う。




両親の喜んでいる顔をみてサッカーやってきてよかった。そう思った。



そして迎えた高校最後の年。



インハイ三重県大会決勝リーグ残り2試合。
チームで問題が起きコーチが練習も試合にも来なくなった。


キャプテンと自分中心に練習メニュー、スタメン、交代全てを自分たちで考えた。


めちゃくちゃ大事な試合でありえないような経験をした。けど、楽しかった。



結果はインハイ3連覇。
地元三重で開催される全国インターハイ出場を叶えた。


この時にはもう全国へ出て当たり前。
そう自分の中では思っていた。



そして、冬。

あっという間に最後の試合。


今年も全国に出れると思っていた。



そんなに甘くなかった。

県ベスト8での敗退。



自分自身2ゴールを決めてベストなパフォーマンスだった。けど勝てなかった。


正直言葉が出なかった。
人生で1番泣いた。
家に帰ってから1人でシャワーで涙を流した。
寝る時にも泣いた。
こんなに悔しい思いは初めてだった。



高校では全国大会に出たけど全てが1回戦敗退。


全国で活躍することはできなかった。





けど、めちゃくちゃ楽しい3年間を過ごせた。
最高の仲間に出会えた。最高の経験をした。
三重高校に行って良かったと心底から思っています。
ありがとう。





〜大学生〜


日大なんて行く気はなかった。



正直関東に出てくることすら全く考えてなかった。


東海か関西の大学しか選択肢はなかった。


しかし、高校のコーチ監督全員が関東にいけ。



そう強く背中を押された。



さらには小学校から一緒にサッカーをし、
高校ではライバルとして戦ったけんとに日大で一緒にやろうというその言葉で日大に入ることを決めた。
あの時は誘ってくれてありがとう。





正直関東に来ること自体が不安で仕方なかった。


初めて地元から離れ、超ホームシックになった。


なんなら4年いる今でも少しホームシックだ。笑




そして迎えた大学サッカー1年目。

正直周りのレベルの高さにびっくりした。

あれ、俺ってこんな下手くそやっけ。絶望した



とにかく慣れるまではパスコンすら怖かった。

1年生の頃は1度もAチームの練習に参加することはなかった。悔しかった。


けどどこかプレーしたくないという気持ちがあった。


正直ビビってた。


2年目。
新チーム始動して初の試合。
とても調子が良かった。


関東リーグメンバーに登録された。
開幕スタメンだと自分でも思っていた。





しかし、開幕直前


コロナウイルスで2ヶ月活動自体がストップした。



そこからベンチにすら入れない日々が続いた。


正直出れない意味がわからなかった。


なんで自分よりもあいつが出てるのかと思うこともあった。



出れないならもっと練習すればいい。そう思った。

とにかく自分の長所のキックを練習しまくった。



そしてやっとの思いで掴んだ後期開幕スタメン。


前半での負傷交代。


悔しかった。なんで今やねん。


この日は鮮明に覚えている。




なんでかって?







忘れるわけないやん、あの大きな背中。









後藤さんのおんぶを。








そうして2年生が終わり迎えた3年生。





新チーム始動直後に自分が社会人登録であることが伝えられた。






正直言葉が出なかった。
なんで社会人登録なん?そう思っていた。




絶対に関東に出る。見返してやる。
これが自分の中で火をつけた。
とにかく必死だった。




そして、リーグが始まる前に社会人登録が抹消され天皇杯のメンバーに入った。嬉しかった。




試合1週間前、また怪我をした。
絶望した。また怪我か。



ずっと痛みを我慢していたが限界だった。

結局天皇杯予選にも出れず、関東リーグの登録すらされなかった。



それから3ヶ月後練習復帰したが、、、、



また怪我をした。ハムのミートグッパイ。



復帰して、またハムのミートグッパイ。



3年生の大事な時期に怪我に相当焦っていた。
このまま全くAチームに絡めないとも思った。






復帰してからはずっとIリーグで試合にでた。



相手が弱すぎてつまらなかった。



けど、結果を出すしかなかった。





Aに上がるために。

自分を信じてやり続けた。とにかく必死だった。





後期開幕前にやっとの思いでAチームに上がることができた。やっと戻って来れた。嬉しかった。



そこから順調に試合に出ることができた。



しかし、1つどうしても気になって眠れない日々が続いた。





それは、

センバとボランチポジションが定まらなかったこと。

贅沢な悩みでもあると思う。





ボランチで出た試合は全て途中交代。
センバならフル出場。
自分の中ではよくわからなかった。
理解できなかった。




何でボランチで使ってくれないのか。
そう心の中では思っていた。





今までセンターバックなんかやったことなんてなかった。





だからボランチで出れないのなら試合に出なくていい。
ボランチじゃないなら出る意味がない。
そう思っていた。







そして、不安が残ったまま大学ラストシーズンを迎えた。



新チーム始動。




この1年間ボランチをすることは無くなった。





センターバックという新しいポジションで本格的に戦っていくことがわかった。



今年はセンバか、、、そう思っていた。

なかなかモチベーションも上がらない。
楽しくない。


けどやるしかない。



そんな葛藤の中



今年はもうボランチを諦めてとにかくセンバで頑張ろう。
そう割り切った。



今ではこの時センバに割り切って本当に良かった。

こんなにも活躍できたのはこの気持ちの切り替えがあったから。


「ナイス自分」







前期が開幕してなかなかうまくいかない日々が続いた。




ああ、今年も残留争いをするのか。正直そう思っていた。




けど、慶應戦をきっかけに一気にチームが変化した。







さらには、チームが勝ち続けることにより、自分自身心境の変化をし始めることになる。






それは「チームのために戦う」





この言葉が自分自身の心に火をつけた。





自分の活躍は二の次。



チームが勝つならそれでいい。


そう思えるようになってきた。





今までのサッカー人生正直チームのために戦うよりも


"自分がどれだけ活躍できるか"



それだけを考えてプレーしてきた。


チームが負けても自分は良かったから別に良い。
自分が出てない試合だったら負けろ!そう思っていた。


正直みんなもそう思うことは、サッカーをしてきてあったはず。




けど、この考えって本当に邪魔だったなと今では思う。




チームが勝つために、とにかくチームのために、





その結果自然と自分のパフォーマンスも上がってる。




これに後輩たちには気づいてほしい。





ほんまに騙されたと思って、
チームのために戦ってほしい。





そうすれば絶対自分に返ってくるから。





俺はそれをこの4年間で学んだ。





気づくのが遅かったと後悔してる。






だから、仲間のために、チームのために、全力で戦ってほしい。








そして「チームのために戦う」

を完全に体現できたエピソードがある。


第19節のvs城西。


前半スコアレスで迎えた後半13分。


私の「芸術的なループシュート」で先制点を与えてしまった。
いわゆるオンゴール。


立ち上がれなかった。



ここを落としたら昇格が厳しくなる。


そのプレッシャーと責任に押しつぶされそうだった。



なかなか気持ちが立ち直れない自分にベンチから



我らがキャプテンの


「下を向くな!前を向け!お前がやらなきゃ誰がやるんだ」という言葉が胸に刺さった。




ありがとう。梶谷。

この言葉にどれだけ救われたか。


この言葉がなかったら昇格がなかったかもしれない。


やっぱり仲間っていいなそう思えた。



今までのどんな試合よりもチームのために走った。

とにかく走った。



自分が取り返さないと。





その強い思いが見事に功を奏して後半27分に同点ゴールをアシスト。




そして後半43分に逆転ゴールの起点になった。
結果2-1で逆転勝ち。



昇格に向けて大きな大きな一歩を踏み出すことができた。



本当に嬉しかった。嬉しくて涙も流した。



チームのために走り戦うことがこんなにも気持ち良かったのか。



なんで今まで気づかなかったのか。


チームの勝利。仲間スタッフの笑顔。


こんなにも素晴らしいものに。。




自分自身のパフォーマンスはもちろん大事だが、



チームが結果を残さない限り意味がない。




それくらいチームの結果って大事。






ボランチじゃこのことを知ることはできなかった。



ここで、初めてセンバになって良かったと思えた。






こんな感じで大学サッカーが終わりに近づくにつれ、




仲間、チームの大切さに気づくことができた。









最後に、、、



本当に1部に昇格できて良かった。



入学当初はハズレの代と言われるくらい期待されてなどいなかった。




それでも結果を残した。

みんなが真面目に取り組んできたおかげ。


18年ぶりの1部昇格やで??


あの俺たちが、あのクソ雑魚世代が。



胸張って卒業しようや。






昇格というプレッシャー、責任がめちゃくちゃある中で試合をできて、とても楽しかった。




本当に最高のシーズンを終えることができた。




こんな素晴らしい環境、



素晴らしい仲間、




かっこいい先輩たちとサッカーできて、




本当に楽しかったです。




そして





「本当に日大に来て良かった。」







もう一度大学選び直す機会があっても、



自分は日本大学を選ぶだろう。




それくらいこの4年間色んな経験をした。



辛い、楽しい、苦しい、悔しい、嬉しい、臭い、眠い、







けどやっぱり今考えると全ての経験が「幸せ」だった。






そう思えるのも最高の同期がいたから。






本当にありがとう。愛してる。














今思い返せば、



高2の選手権出場を素直に喜べなかったのも、


チームのためよりも自分のために戦ってたんだろうな。



もったいないな。





気づくのが遅かったな。







ということで、





私の大学サッカーが終わりを告げましたが、




最後に一つだけ、、

これを言わないと気が済まない。

夜も眠れない。













あーーーーーーー、













けどやっぱり































「ボランチやりたかったな。」














ここまで読んでくれてありがとうございます。

あとほんの少し最後までお付き合いください。
よろしくお願いします!!!!








今まで藤村祐世に関わってくれた方々、
本当にありがとうございました。
今の自分があるのも、
こうしてサッカーを通じてたくさんの方々と出会い、成長することができたからだと思っています。



そして最後に



同期へ

本当に日大に来て良かった。
いまこうして思えているのは、
顔面が強すぎるキャプテン、キノコ頭のインキャ、
小さなムードメーカー、汚部屋のイケメン、
筋肉ムキムキゴリラ、跳躍力お化け、
クリエイター、インスタグラマー、ばたけ、
ツッコミ担当滋賀県民、友達いない山梨県民、
股抜き仙人、スピードお化け、真面目な偽善者
ジョグで体をぶつけ合ったファンタジスタ。
他にも様々な頼もしく、楽しい仲間がいたからこそ4年間充実した生活を送ることができました。

練習後のぐだり。食堂から寮への帰り道。
この少しの時間が本当に幸せでした。
もうこれがないと考えると涙が止まりません。

本当にありがとう。大好きです。
これからも一生よろしくお願いします。





後輩へ

最後に1部という最高な置き土産を残せたんじゃないでしょうか。
最初は頼りない4年生やったけど、最後には大きな背中を見せることができたんじゃないでしょうか。

来年は1部という素晴らしい舞台でプレーできるなんてめちゃくちゃうらやましい。

みんなの中から1人でも多くの人がプロに行くことを楽しみにしてます。

応援しています!

アリへ
中学同じチームで、大学でまた一緒にプレーできるってめっちゃ考え深いよな。
来年もっと険しい道になると思うけど、
自分信じて努力し続けて活躍してくれ。
お前ならできる。
ソシエタ魂見せつけてくれ。
ほんまに応援してる。頑張れ。
あとはるきのしつけもよろしく笑









最後に家族へ


まず、兄貴たちへ
サッカーという素晴らしいスポーツに出会わせてくれてありがとう。
2人のことを常に真似してきて本当に良かった。
悪いところも良いところも全部自分にとっては大事な大事な見本でした。本当に尊敬しています。
本当に2人の弟で良かったです。
最後の試合見に来てくれたのが本当に嬉しかった。
本当にありがとう。
そしてこれからも、兄弟3人仲良く行きましょう。
近々、3人で飲みに行こう。



両親へ
サッカーを何不自由なく続けさせてくれてありがとう。
どんな時も自分の味方をしてくれて、応援してくれてありがとう。
大学でサッカーやってる姿4年ぶりに見せれて良かった。遠いところからありがとう。
毎試合YouTubeで絶対みてLINEしてくる親父。
どんなかわがまま言っても嫌な顔せずになんでもしてくれるマミー。
数えきれないほどのありがとうがあります。
本当にありがとう。


最後に一つだけ、

ゆうせいが
「楽しんでればそれでいい」この言葉に本当に救われました。
けど、ほんとに悔しかった。
三兄弟の最後の砦として、
プロになれなくてごめん。本当にごめん。
それくらい自分の中で責任があったし、家族や周りからの期待に応えられなかった。
ボランチをやってたら、、、センバでは無理。
こういった言葉を並べて逃げていた。そんなんじゃ到底なれるわけがない。けど、厳しいことくらいわかっていた。でもそうするしかなかった。だって、そうするしかこの辛い現実を受け止めることができないから。
けど、サッカーをやる限り少しでも可能性があるなら努力し続けるので、これからも応援して下さい。

こうして、照れ臭くて文字でしか伝えることができないので、今言っときます。

この家族に生まれてきて本当に本当に幸せです。

大好きです。今まで本当にありがとう。

そしてこれからもよろしく!











ここまで読んで頂きありがとうございます。
とても長くなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
ここまで読んだ人は僕のことが好きな人たちばっかなのでしょう。ありがとう。



最後に

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これからも日本大学サッカー部の応援よろしくお願いいたします!!
ありがとうございました!!

藤村 祐世(ふじむら ゆうせい)
〈経歴〉
小俣sss→ソシエタ伊勢SC→三重高等学校→日本大学

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