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「サッカー人生」 二年 藤村 祐世

はじめまして。三重高校出身、経済学部金融公共学科 2年藤村祐世です。

今回このような機会をはじめていただき、うまく文章にできないかもしれませんが、自分のサッカー人生について書いていきたいと思います。

まず、この場を借りて今まで支えてくださった両親に感謝の気持ちを伝えたいと思います。私は3人兄弟で兄がサッカーをしていたということで必然的にサッカーを始めることになりました。2人の兄とも歳が近いため私たち兄弟にかかるサッカーの費用やサッカー以外の費用はとても多いはずです。
しかし、1番に私たちのことを考えてくれて何不自由なくサッカーを続けさせてくれたこと、また試合には必ず応援しにきてくれていた両親に感謝の気持ちでいっぱいです。
現在大学生になって改めてサッカーを続けさせてもらっていることがどれだけ幸せか身に染みて感じています。本当にありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。

私は小中高と1つ年上の兄と同じチームでプレーしました。私は小さい頃から兄の真似ばっかりしていて、その頃からずっと背中を追い続けていました。
高校1年生のときには、自分が試合にでていて兄は試合にあまりでていないという状況が続きました。私はとても複雑な思いで試合にでているときもありました。
しかし、毎日の練習や家に帰ってからサッカーの話やそれぞれの思いややりたいことを話しをすることでそのような思いも自然と消えていきサッカー面やそれ以外で常にリスペクトするようになりました。
高校2年生の時には同じピッチで試合することができて、目標であった、三重高校で初の選手権出場を兄弟で達成することができました。その時は本当に嬉しかった。
両親にも良い姿を見せれたのじゃないかと思います。兄とサッカーができていたことは自分にとって本当に幸せでした。

高校3年になってからはずっと試合にでていたということもあり、変な余裕ができて1つのプレーに対する責任やチームの為に走る、戦うなどの今まで当たり前にしてきたものがだんだんと曖昧になっていた。結局全国大会に出場しても全て1回戦負けという結果で終わり、私の高校サッカーの幕を閉じました。
この3年間、私は誰よりもどうしたら上手くなるかだけを常に考えてプレーしてきたつもりです。だからもっとうまくなりたい。大学でもサッカーをすると決めました。

大学に入ってから、私は1年間社会人チームでプレーすることになり、最初は試合に出してもらっていましたがリーグ中盤で急に試合に出場する機会がなくなりました。自分にとっては試合に出れないということが初めての経験でした。
その時に私はチームより自分が目立てば良いだろうと思い、試合でも自然と自分が目立つようにプレーしていた。チームが勝つことより自分が目立つという思いが強くなっていました。
案の定私はこの1年間でAチームに絡むことが1度もありませんでした。とても悔しかったが、仕方ないと思っていました。しかし、それよりも私個人の力のなさを感じた1年間でもありました。

だから、上手くなる為に常に考え行動することだけは誰にも負けないと決めました。あと3年間これを継続しもっと力をつけ人としても成長したいと思います。そして、チームが勝つためにプレーする。どんだけ地味でもチームさえ勝てれば良いそういう姿勢でプレーしていきたい。大学サッカーをしている意味をもう1度確認して頑張りたいと思います。

長々と拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。今後とも日本大学サッカー部のご声援よろしくお願いします。

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