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「夢」 2年 瀬之口 史紋

こんにちは。

今回、noteを担当させていただきます。
藤枝明誠高等学校出身、経済学部経済学科2年瀬之口史紋です。

このような機会を頂いたのは初めてなのでうまく言葉にできているかわかりませんが、いままでのサッカー人生と今の自分の気持ちを正直に書きたいと思います。

最後まで読んでいただけると幸いです。



「プロサッカー選手になる」



今までは何の迷いもなく簡単に言えていたこの言葉。
日本大学サッカー部に入部して1年と半年が経ち、今になってこの言葉の重みや価値をものすごく感じるようになった。



私は近所の友達の影響で小学生の頃にサッカーを始めた。小、中学生の時は地元のクラブチームに所属していた。
初めの頃は、ただ友達とボールを蹴るのが楽しくてやっていたサッカーも、学年が上がっていくにつれて、サッカーを本気でやりたい、プロサッカー選手になりたいと思う気持ちが芽生え始めてきた。

高校は、中学時の監督の勧めもあり、静岡県の藤枝明誠高等学校に入学した。
サッカー部の部員数は同期72人、3学年合わせると250人を超えていた。親元を離れ、サッカーを軸にして行う生活は正直不安だらけだった。

入学をして数ヶ月が経ち、周りの環境にも少しずつ慣れ始め、サッカーの調子も上がってきた。
運も良く、1年生の夏にAチームに上がることができた。
その頃からサッカーに自信を持てるようになり、たくさんのいい経験をさせてもらった。
1年生の頃は選手権でメンバーとして全国大会を経験し、2年生では、多くの試合に絡ませてもらい、自分たちの代ではチームの中心としてプリンスリーグで過去最高の成績をおさめることができた。

たくさん悔しい経験もしたが、個人として大きな挫折もなく充実した高校サッカーを送れたと思う。

高校を卒業し、大学生になった。

日大サッカー部に入り、初めての全体練習。

その日、
自分のサッカーに対する考え方が大きく変わった。

プレースピードが全く違う。走りもタイムに入れない。
自分の自信のあったドリブルや、足元の技術でどうにかできる問題ではなかった。

正直、初めの1ヶ月はどうすればサッカーが上手くなれるか、、、なんて考える余裕もなく、必死に食らいついて耐え抜いた記憶しかない。
それと共にこれくらいハードに練習をしないと大学サッカーで戦えないと強く感じた。


慣れないスピード感や練習の強度についていくのが精一杯になり、去年1年間Iリーグで試合に少ししか絡むことができなかった。


今までほとんど経験したことのなかったベンチ、
メンバーから外れた時は今までで1番悔しかった。きつかった。
簡単にプロになるって言っていた昔の自分が恥ずかしくなった。


しかし、この悔しい経験があったおかげで自分を少しは変えることができたと思う。
自分の苦手なこと、足りないところを改めて見つめ直し、ボールを蹴る時間も最初の頃より長くなった。


この変化が多少報われたのか、年末のIリーグ全国大会ではスタメンとして出場し、全国3位になることができた。

今年は去年より試合に絡めるように。

スタートとして出場したくさん点を取り、チームを勝たせられる選手に。

大好きなサッカーを楽しめるように。


そして、プロになって活躍している小学校の時のチームメイト、海外でプロになり活躍している高校の先輩、そんな人達を追い越せるように夢に向かって努力していきたい。




最後に


今まで自分が大好きなサッカーを続けられたこと、たくさんのいい経験ができたことは両親や弟、大切な人達の支えがあったからです。
特に、弟にはたくさん我慢させたことがあったと思います。今まで自分に関わってくれた人達に恩返しができるよう毎日を大切にしていきます。これからもたくさん迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします。

拙い文章でしたが最後まで読んで頂きありがとうございました。今後とも日大サッカー部の応援をよろしくお願い致します。

瀬之口 史紋(せのくち しもん)

〈経歴〉
FC J-WIN →CamelliaFC→藤枝明誠高等学校

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