見出し画像

「サッカーが好きです。埴田裕己です。」 四年 埴田 裕己

今季副将を務めました埴田裕己(はにたひろき)です。
人生=サッカーだったこれまでの思い、大学サッカー、同期のみんなへの感謝の気持ちを書きます。


【サッカー人生】

全身にニベアを塗りまくる季節。
本格的な冬に入りかけている。
時の流れは早い。
気づけば大学卒業がすぐそこまで迫っている。
同時にサッカーとも一区切り付けなければならない時期に来てしまった。


「人生第一章、閉幕」

プロサッカーになるという夢を持ち、小学校2年生から始めたサッカー。
15年間様々なことを経験した。
全国大会、昇格、降格、書ききれないほどの経験。
人生はサッカー中心に回っていた。

そして迎えた大学サッカー引退。一区切り。
歳をとるごとに環境が用意されてたサッカーもうできない。結果的にプロにはなれなかった。

一つの人生が終わる。

今までの努力は何だったのか。努力と言うまでもないものだったのか。

15年間たくさんのことを学んだ。
継続することの大切さ、難しさ。
気持ちの持ち方。
人間関係。
勝者のメンタリティ。
自分を持つこと。

けど、俺はサッカー選手になりたかった。
学んだことは無駄ではないが、無駄だった。


だが自信を持って言えることがある。
サッカーに向けてきた情熱は間違ったものではないということ。

その情熱は何倍も俺を大きくしてくれた。

腐らず挑み続けたこと。
必死に解決策を探し続けたこと。
人のためにプレーをしたこと。
負ける痛みを知ったこと。

人生の序盤を濃いものにしてくれた。


「人生第二章、開幕」

人生の中盤戦に入る。
今の俺には何が残っているだろうか。
サッカーとは関わっていきたい。
うまくいかないことの方が多いかもしれない。
努力は実らないことは知っている。だからこそ自分の足でいろんなものを掴みにいこう。

プロになれなかったサッカー人生。
その分下へ下へと根を伸ばしてきた。いつか大きな花を咲かせよう。
今まで支えてくれた人達のへの感謝も忘れずに、自信を持って挑んでいこう。

己に余裕を持ちなさいと付けられた自分の名前にふさわしい生き方をしていきたい。


【大学サッカー】
サッカー人生15年間で一番苦労した4年間。

先の見えないトンネル。
納得できない要求。
プレーが評価に繋がらない中での葛藤。
低くなっていく目標。

いつしかライバルでなくてはいけない自分を味方につけようとしていた。

こんなところでサッカーをしてるくらいなら海外行きたい。そう親に相談したこともあった。

プロになる手段ならこのチームに依存しなくてもいい。そう思っていた時期もあったが一歩踏み出せなかったのも事実。

そんなこんなで気づけば最終学年。
副将も務め、TR班の班長も務め、チームの練習も仕切った。100人を超える全体練習をプレーしながら仕切ることもあれば、Bチームの練習を仕切ってAチームの練習に参加していたこともあった。

一見、側からみたら先頭に立ってチームを引っ張っているように見えるが、正直自分自身は上辺だけだった。

俺って指導者じゃないよな?って何回も問いかけたし、関東一部のチーム体制の真似すればいいのに。ってこんなことをいつも考えながらやっていた。

悔しさや自分のプライドが邪魔をしてチームに100%コミットできなかったのだ。
いや、自分自身に勝てなかったというのが正しいだろう。

信頼されていない中でチームの為に動くことがこんなに大変なことなのか。

多分この気持ちは試合に出れない人にしかわからない気持ち。高校まで試合に出れないことがなかったから、初めて味わうこの気持ちの対処法がわからなかった。

サッカーそのものに対しては常に高い意識でやってきた。しかし、表には出さなかったがチームの為に心の底から行動することができなかった。

チームの為に全てを捧げることができない奴が試合に使ってもらえるわけがない。
中には自分のことだけをやってても試合に出れる選手もいるが、俺はそっちのタイプでは無い。自分でもわかっていた。

自分の弱い部分が1番強く自分に返ってきた。
そういった大学生活だった。

しかし、今振り返ってみるとわかることがある。
夢や目標に向かっていたからこそ、うまくいかない"経験"ができたということ。
苦しい大学生活での報酬は"経験"である。
この"経験"をどう変えるかは自分次第。
この"経験"深く胸に刻んでおこう。

大学サッカー、ありがとうございました!

【同期のみんな】
最後に同期のみんなへ。
4年間ありがとう。

寮での生活。
日々のトレーニング。
チームの仕事。
日付けが変わるまでやったグランドの落ち葉拾い。
激熱なミーティング。
学年会。
時には正面からぶつかったことも。

いつも刺激的でした。

俺を成長させてくれたのはみんなのおかげです。

特に今年はきつかったね。
必要性を否定され続けた1年間。
トップチームに4年が1人の時もあった。
試合に出ることができない中での葛藤。

悔しさを押し殺して頑張るみんなの姿、最高でした。
たくさんの経験を共にできたこと。俺の宝物です。
またみんなでサッカーしよう!

・埴田 裕己 (はにた ひろき)
・千葉県千葉市緑区出身
<経歴>
JSCCHIBA → 習志野市立習志野高等学校 → 日本大学

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?