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「感情」4年 長澤壮竜

今回noteを担当する、法学部政治経済学科4年長澤壮竜です。是非読んでみてください。


18年ぶりの関東1部昇格を決めた11月12日。いつものメンバーでゲームをしていたら、酔っ払ったおチビさん×2が部屋を訪ねてきた。そこから熱く語りだして、だるい。うんうんって流しながらゲーム続けるんだけど、それでもめげないから、なおだるい。でもふと言われた「たけくんは個人的な感情を見せないからすごいよね。」って言葉は耳に入った。隠してるわけじゃないけど、たしかに言動に大きく表れるタイプでもないから、そういう風に見えてたのかな。そんなん思ってたらnoteの順番がちょーど回ってきてた。最後だし、ただただあったことを振り返って並べてもつまんない。せっかくの機会だから、4年間で印象に残っている感情についてランキングでもつけながら書いていこうと思う。


1年目
まずは入部当初。名門前橋育英の肩書きを身に纏って、みんなと合流。同期と一緒に練習する機会もまだ少ないまま、割と早めにTOPチームに昇格。この時、みんなからは堂々としてるように見えてたのかな。すげえ、強そう、上手そうとか思われてたのかな。でも、遅れて合流したこと、顔見知りの選手がいなかったこと、自分含めて同期の通い生が2人しかいなかったこと、、、。実は、めちゃくちゃ不安だった。ただ、数日後にはその不安が嘘のように過ごすことができていた。今年の代の強みは、間違いなく「仲が良いこと」だと言える。今となっては、入部当初からその片鱗は見えていたんだなと感じる。あともう1つくらい挙げるなら、あっさりしてしまった連帯坊主だったけど、本当はめちゃくちゃ嫌だったってことだな。ふうま、けんと。俺たちは一生忘れないぞ。

2年目
公式戦に多く出れるようになった年。この年の思い出はなんと言っても、インカレ。メンバーに入れず引退をしたはずの4年生がサポートメンバーとして残ってくれた。年をまたいで一緒に戦ってくれた。生意気なキャラだからありがとうなんて面と向かって言えなかったけど、この時、すごく感謝したのを覚えてる。それに加えて大学サッカーを引退した今、この決断の重みがよく分かる。これはランキングでいうと3位だな。2年越しに言います。ありがとう。特に海人くんは卒業後も何度も気にかけてくれて、ありがとう。試合も観に来てくれて、ありがとう。行こう行こうって言うだけで全然ご飯連れてってくれないけど、ありがとう。

3年目
3年目も相変わらず残留争いをした。後がないスリルやヒヤヒヤ感がたまらないんだよね、なんて今は笑って言えるけど、最中は生きた心地がしない。特に、ここでの降格は最終学年を都リーグで迎えることを意味してるし、スリルなんて感じられる状況じゃない。正直、負けた翌週は雰囲気も激ヤバ。週中に変わるはずのない、下位の勝ち点と残りの試合数を数えては不安に陥るの繰り返し。最終節までもつれたが、なんとか残留。この残留の安堵感はすごくて、ほんのすこーしだけ泣いた。そいえば、あの橋田でさえも泣いてた。1位が最後に来なくて変だけど、橋田が泣いてんだもん。さすがに1位です。

4年目
最終学年を迎える。チームとしてチャレンジしてきたビルドアップだが、2年目も3年目も前期に勝ち点が積み上げられず、終盤にかけて徐々にビルドアップを減らさざるを得なかった。が、それによって勝ち点が積み上がり、残留を果たしていた。みんなが言う「蹴った方が勝てる」はまさにその通りで、リスクを回避しながら速い選手や大きい選手を生かすスタイルはチームに合っていた。ボランチでビルドアップの中心にいた自分としては、自分のプレーが否定されたようで、悔しかった。そんな中で始まった今シーズン。ロングボール多用の縦に早いスタイルを確立していき、悪くない結果が続く。そんな中、まだまだ自分中心のゆったりサッカーがしたい葛藤を持つ、『お子様』な自分。それを変えたのは主将梶谷が教育実習に行っていたあの1ヶ月間。トレーニング中はもちろん、前後や寮生活も自分が引っ張らないといけなかった。そして慶應に負けた後にスタッフから求められた「4年生の存在感」。難しい注文だった。時にはホワイトボードとマグネットを渡され、「お前らでメンバーを決めろ」なんて時もあった。電話で1時間ほど話し込んだ時もあった。長文メッセージのやり取りで意図を伝え合った時もあった。今でも、注文に応えられたかは分からない。ただ、この期間は間違いなくチーム全体を見渡せる『大人』な自分に変えてくれた。めちゃくちゃ悩んだしストレスも溜まったけど、考え方が変化した。よって、第2位。その時期を乗り越えると、そこからチームは連勝を続け、後期は9勝2敗と堂々の成績を収めた。そして昇格。今までは考えもしなかった勝点40超え。昇格争いなんて夢のまた夢で、必死に関東2部に食らいついていた自分たちが、ようやく辿り着いた関東1部昇格。欲を言えばその舞台に立ってみたかったな。とは思うけど、その想いは後輩にたくそう。あ、昇格は実感が湧かないからランキング外。



ここからはnote恒例の感謝タイムです。
ありきたりですみません。


同期のみんな、おつかれ。ありがとう。
思い描いていた大学生活とはいかなかったかもしれない。目標は一緒でも、各々がそこを目指すための各々の4年間を過ごした。それぞれに分岐点があり、ターニングポイントがあった。十人十色という言葉のように、それぞれにそれぞれのランキングがあると思うし、あっていいと思う。順位付けも違うし、ランクインする事柄も違くて当たり前。みんな、4年間を振り返ってみてほしい。目標を達成した今、毎日のきつい練習もあの時の後悔も、マラソンもクロカンもシャトランも全部ひっくるめて「充実してた」って言えるんじゃないかな?

後輩のみんな、がんばれ。ありがとう。
関東1部、厳しい戦いが待ってるだろうけど、がんばれ。きっと、練習もより一層厳しくなる。けど、いい選手がたくさん揃ってるから大丈夫。個人的には丸山を応援してます。先輩とばっかり仲良いから同期に友達がいないかもしれないけど。まあ、仕事の対価が大きいから頑張れるよね?笑もちろん選手としても活躍期待してます!

スタッフのみなさん、ありがとうございました。
高校3年の夏、声をかけてくれたのを1度断っておきながら、最終的に行き場のない自分を拾ってくれたスタッフの方々。個人的には、常に気にかけてくれた川津さん。DENSOカップでも、貴重な経験をさせていただきました。頼りなく安定感のない僕を信じ、下級生の頃から使い続けてくれた小田島さん。代理人料を払わなくてはいけないくらい最後の最後までお世話になった和田さん。この3人の方々には、特に感謝しています。時には理不尽に思えることも言われたし、ストレスを感じることもあったけれど、素晴らしい人間性を持つ指導者に出会えて良かったです。本当にありがとうございました。

家族のみんな、ありがとう。
寮生活をしていた高校時代から大学では通い生になり、家族が近くにいるありがたみと安心感を感じました。でも、徐々にその環境を当たり前に感じつつあった3年の春、突然に入寮が決まり、個人の洗濯や食事はもちろん、お金のやり取りをする中で、改めてありがたみが身に染みました。コロナもあってなかなか試合を観せることはできなかったけど、終盤では自分のプレーとチームの勝利を見せることができてよかったです。


みんなのnoteにもあるように、素晴らしい仲間と指導者に出会えたおかげで、素晴らしい4年間が送れましたということです。ただ、日本大学サッカー部の歴史を作るためには、来年こそが本当に大事な年になります。1年で降格しては意味がありません。1部に定着し、上位争いやインカレ出場の常連校にならなければなりません。

なので皆さん!
今後は、より一層のご支援とご声援を宜しくお願い致します!

長澤 壮竜(ながさわ たける)
〈経歴〉
府中新町FC→FC東京u-15むさし→前橋育英高校→日本大学

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