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「手紙」 4年千葉 武


11月19日。関東社会人参入戦決勝。

N.対COEDO川越FC戦。

N.は前半に失点を許すも宮原(横浜FCユース/4年)の劇的な2ゴールの活躍によって勝利を収め


日本大学サッカー部では初優勝・昇格。大学生単体チームとしては東京からは初めて関東社会人参入の切符を手にした。


試合前、この決勝戦を勝利で終えた先にはどういう感情を抱くのだろうか。そう思って試合に臨んだ。


試合終了のホイッスルがなり、優勝を決めた瞬間。込み上げた感情は正直に言うと何もなかった。

ただただグラウンドの上に立ちすくんでいると仲間が自分の元へ駆け寄ってきて



「ベガ。ありがとう。」
「ベガ。よかったね。」
「ベガ。やったね。」

こんな言葉をかけてくれた。

自分を中心にできた輪の中でかけられた言葉には重みがあって、自然と目に涙を浮かべた。

この瞬間何もなかった感情に一つの感情が芽生えた。


感謝の気持ちだ。


頂の景色は絶景だったが、それ以上に後ろについてきてくれた仲間の顔は最高に輝いて見えた。


こんな仲間に出会えてよかった。ありがとう。


この感情はみんなに伝えないとな。


恥ずかしいけどnoteに書くか。そう思った。




ご挨拶遅れました。



こんにちは。

ベガルタ仙台ユース出身。

スポーツ科学部4年千葉 武です。

今年は社会人チームのキャプテンを務めさせて頂きました。


このキャプテンシーを生かして、数々の女性の相談を聞き、100発100中で落としてきました。(嘘)


そんな冗談はさておき


今回のnoteは冒頭で述べたように感謝の気持ちを大切にしたいということで


手紙という形でこれまで千葉 武に関わってきた方にメッセージを残したいと思います。


どんな人でも、全て読んでもらえたら嬉しいです。



それではどうぞ



同期へ

4年間本当に楽しかった。
出身チームのジャージを身に纏ってサブグラでミニゲームをした初日が昨日のように感じる。
卒業したくないな。

みんなが頑張る姿をみて、自分も頑張ろうと思えた。

大怪我から懸命にリハビリをして復帰をし、今ではチームの顔として試合に出続けている同じ学部の2人。


常に筋トレや自主練を怠らず、努力を惜しまなかったTOPチームのみんな


チームのために多くの仕事をしてくれた丸山


必死にもがき、多くの葛藤と闘ってきた社会人チームのみんな


個性の色が強い代をまとめ上げてきたキャプテン


色々なことがあったけど、その度に歯を食いしばって懸命に今を生きる姿を見てパワーをもらえた。


ありがとう


語ると長いのでこの辺にしときます。学年会で熱く語り合おう。








後輩たちへ

まず、社会人チームとして関わってきた3年生。
うめ。はるき。いのけ。ジェイ。あらい。かんぺー。きょうせい。たつみ。みや。ほくと。

お前たちのおかげで優勝できたと思ってる。本当にありがとう。

お前たちがお互いに指摘しあったミーティング。そこに今年の全てが詰まっていた気がする。

社会人チーム立ち上げ当初、ただただチームに所属している3年生から、チームを牽引する3年生に生まれ変わったのは、みんながチームの事、4年生のこと、他人の事を考えるようになったからこその変化だと思う。
残り1年、チームの主軸としてチームのために徹する人間であってほしい。
期待してるよ。


「慈英特にお前」




1、2年生

正直みんなを見て、未来は明るいなと感じる。

何だか上から目線で申し訳ない。ごめん。

だけど、まだまだ脆い部分がある。

それはリーダー的存在が少ないこと。

今後強い日大サッカー部を作り上げるためには、もっともっとみんなの先頭に立って引っ張り上げる存在が必要だと思う。

幸い、このチームはそういった選手を評価してもらえる環境にある。だからこそこのチームの絶対的存在になるためにはこの能力は必要だと思う。

常に自分が引っ張っていく気持ちを持って強い日大を作り上げていってほしい。

最後までみんなには厳しい人間だったけど、みんなとサッカーができて楽しかった。ありがとう。






家族へ


まず初めに一番に感謝の気持ちを伝えなければいけないのは間違いなく4人だね。本当にここまでいろんな形でサポートをしてくれてありがとう。

男手1つで育ててくれて、何不自由なくサッカーを続けさせてくれたお父さん。

小さい頃からなかなか試合に出ることが出来なかった俺の試合を、いつ出るか分からないからと毎試合見にきてくれたね。

いつも帰りの車でボロクソに叱ってくれて、家に帰った後には練習も付き合ってくれて、どこまでも優しいお父さんだった。

母が亡くなって一番辛かったのは間違いなく父さんだったはず。それでも辛い顔一つ見せずに三兄弟のために懸命に働いてくれてありがとう。感謝してもしきれない程に感謝している。

震災で被災した実家の前で、4人で肩を組んでこれから4人で頑張っていこうなと意気込んだ日から本格的にプロサッカー選手を目指し、お父さんに恩返しをすると誓った。

蓋を開けてみればプロサッカー選手にはなれず、情けない気持ちでいっぱいだ。

でもお父さんが何不自由なくさせてくれたサッカーから学べたものは本当に多くあったし無駄ではなかったと心の底から言える。

サッカーをやっていて本当に良かった。

これからはサッカーの道とは別の道を歩むことになるけど、少しずつお父さんに親孝行できたらと思ってる。これからもよろしくね。







兄2人

至温、丈市朗。2人には散々サッカーで泣かされたのを覚えてる。1対1をしてもまともに勝てた事はほとんどなくて、負けず嫌いの俺は2人のことを蹴り飛ばしたり、勝つまで挑み続けた。

いつかこいつらに勝ってやろうと2人の背中をみて過ごしてきた。

しっかりものの丈市朗は家庭を持ち幸せな家庭を築いて、おちゃらけ至温は福岡で懸命に働いている。俺は2人のその背中を見て進路を決めた。

どこまでも弟思いの2人には今後も迷惑をかけるけど、その大きな2人の背中をいつまでも追って行きたいと思う。これからもよろしく。






天国の母へ

お母さん。いつも天国で見守っていてくれてありがとう。

正直、当時小学3年生だった俺には受け入れ難い事実だったな。サッカーなんてやってる場合じゃなかったし、できる環境ではなかった。

津波に流されて亡くなったと聞いた日。

何とも言えない感情と失望感、全てを失った損失感に追われ、全てがどうでもよくなった。

でもここまでサッカーを続けてこれたのは生前お母さんが常にかけてくれていた言葉があったから。

「常に全力で」

一見浅いように見える言葉だけど、今考えると深いんだなと感じる。

サッカーをここまで全力で取り組んできたからこそ得られた仲間がいる。経験がある。実績がある。全て、全力でサッカーに振り切ってきたからこそ見える景色だった。

どんなに苦しくても、辛くても、どんな困難も、逆境も、全力で正面から向き合っていきたいと思う。

あなたの生涯を通して教えてくれた事。今後も大切にして行きたいと思う。






チームへ


「今年のチームの目標は何にしようか。」

4年生の幹部のミーティングでこんなことを話した。

「どうしようか。」

ある選手が

「どのカテゴリーの勝利もみんなが喜べるチームって良いかもね。」

そんな事言った。

この言葉から各チームの勝利を同じ熱量で喜べるチームを作っていこうと目標を立てた。

11月5日関東社会人サッカー大会2回戦。


あの日の応援は最高だった。


1から4年生、スタッフ、学連、保護者の皆様全員で1つの勝利を喜べた気がした。


あれこそがチームが目指した姿であり今後も日大サッカー部の伝統として残していくべきものだと思う。


選手やスタッフ、選手同士、お互いを理解するのは難しくても


お互いに目指す場所は同じである。


目の前の勝負に勝つこと。これだけは同じ目的だ



分かり合うことは難しくても、分かち合うことは可能である。



どのカテゴリーにいたとしても、どんな状況に立たされていようとも、日大を愛し、日大の勝利のためにできることをやろう。


それが必ず人の心を動かし、結果に結びつく。



全ては日大のために。









バモ日大。





最後まで拝読いただきありがとうございます。
チームとしてはインカレで日本一を目指せるチャンスがあります。
是非会場で選手たちが闘う姿をご覧ください。




最後にいいねもよろしくお願いします。



千葉 武(ちば たける)

〈経歴〉
デュオパーク高森FC→ベガルタ仙台jr→ベガルタ仙台ジュニアユース→ベガルタ仙台ユース

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