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「長い道のり」 二年 今泉 喜生

こんにちは。今回noteを担当させて頂きます流通経済大学付属柏高等学校出身、生物資源科学部2年の今泉喜生です。今回、このような機会は初めてで拙い文章ではありますが、私の今までのサッカー人生について述べたいと思います。

私がサッカーを始めたのは小学2年生の頃、兄がサッカーを始めたのがきっかけである。私にとっての兄はとても憧れの存在であり、共に超えたい存在でもあった。だからこそ負けたくないという気持ちで黙々と練習に励み、気づけば本気でサッカーを好きになっていった。
中学2年生になり私は大病を患った。
腎臓の病気である。私は1年間サッカーから離れざるを得なかった。私は悔しくて毎日泣く日々や親に対して八当たりする日々さえあった。
しかし幾度の治療を施し完治すれば毎日のように自主練習に励んだ。当時私は強豪校に入りたいという目標があり焦っていたからである。それでもなんとか中学3年時に流経大柏が決まった時は本当に嬉しかったのを覚えている。

流経大柏に入学し、待ち受けていたのは地獄のような練習の日々。私は何度も何度もやめたいと思う時だってあった。2年生の頃、先輩達が日本一を獲った。すごくかっこよくて背筋がゾクゾクしたのを覚えている。自分達の代でも日本一になりたいと強く思った。しかし、私は怪我が多い。
3年生に入り、インター杯直前に骨折をしてしまった。思ったより怪我の期間が伸びていて完治した時にはもう選手権予選に向けて盛り上がっている時期だった。私はそこで何もかも諦め、練習中も「早く終わって欲しい」や「だるい」と常に思っていた。終わってみれば、チームとしては全国準優勝という大きなタイトルを獲れた。嬉しかった以上に、情けなくて何やってるんだろうと後悔の方が大きかった。ここでサッカーは最後にしようと思った。
そんな時、私を励ましてくれたのが兄である。兄は、膝の怪我により大学でサッカーをやらず、高校サッカーで最後にした。私の経験と似ていることから兄は「後悔したまま辞めるな、やり切ってから辞めろ」という言葉をかけてくれた。そこで私はサッカーが好きでいる以上限界までやってやると強く思い大学でもサッカーを続けると決意した。
そして今の私に至る。1年生の頃は膝の怪我で1年間やってないんですけどね。それでも今はサッカーをやれていることが幸せであり、毎日がサッカーで楽しい。
でもまだ自分の中の勝負は始まったばかり。やるからには本気で勝負にこだわる。個人でもチームでも負けたくない。その為にも日々精進して高みを目指し頑張っていきたい。

長々と拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも日本大学サッカー部の応援をよろしくお願いします。

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