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生きる未来を思い描けない

地元に初雪が降った。

東京にいた5年間、1番地元が恋しくなるのが冬だった。
東京は雪が降らないから、いつまでが秋で、いつからが春なんだか分からなくて、ずっとどこか気持ち悪かった。

地元に帰って1週間もしないうちに風邪をひいた。
寒過ぎた。

その風邪も10日以上治らなくて、そろそろ厄介になってきた。


地元に帰ってすぐ免許をとりに行くつもりだった。田舎は車がないと人権もないからね。
スーパーも病院もコンビニも歩ける距離じゃないし、自転車が乗れる立地じゃない。厳しすぎる。

だから免許とらなきゃなって、当たり前のこととして思ってたんだけど、まだ教習所に行けていない。

ずっーと気が進まない。

なんでかなって、

あぁ生きるつもりがないんだなって。


東京にいる時、辛くて寂しくて苦しくて、夜寝ることもできなかったけれど、学校にもバイト先にも私の居場所があった。私の席があって、私の存在が認められていて、必要とされていた。休むためには連絡が必要で、休めばゆっくり休んでねって言われた。
社会の一部として生きていた。
苦しかったけれど、社会の、世界の一部として存在していた。

それが今、全てを放り出して、誰の特別でもなく、社会の一部でもなく、ただここに存在している。

とても身軽で、辛さも苦しさも無い。

無いけれど、存在する必要も感じなくなった。

3ヶ月という期間を決めて、今、好きな場所で好きな人たちの側に居させてもらっているけれど、それが終われば私はひとりになる。

生きているか分からない。

職につくことも、免許を取ることも、まず生きている前提が必要で、生きる覚悟がいる。

ただふわふわと、何もかもが要らない気がしてしまう。

この存在も、ふわっと消えれば、最初から存在しなかったかのように、世界は何も変わることなく回り続けるんじゃないかって思ってしまう。

誰も気付かないんじゃないかなって。

誰の人生も脅かすことがないのなら、私は最初から存在しないものとして背景に溶け込みたい。

あまりにも、春、生きている気がしない。

あまりにも、今、生きている実感がない。

ただ生きるだけの、生き方が分からなくなった。

あまりにも平和すぎるのかもしれない。
自分の命に対する、涙が想像できなくなった。

あと2ヶ月で何かが変わるのか。
変えようと思えるのか。
変える勇気と、生きる勇気が持てるのか。

分からない、分からないけど、分からないから、あと2ヶ月はふわふわとゆらゆらと生きていようと思う。
大好きな冬だけはこの身で感じたい。

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