片付けをしたら、いまの自分がちょっとわかった。

先週末に片付けをした。
一人暮らしを始めた大学時代から荷物は多い方ではなく、社会人になって一年ごとの転勤を繰り返したこともあって、割と身軽。
それでも数ヶ月ごとに見直すと「これはもういいかな」と思う服や本が出てくるから不思議。

今回は、ずっと捨てないと決めていた荷物に手をつけた。
前の前の引越しのとき、この子たちを入れた段ボールには「永久保存」って書いたな、と思いながら。
中身は、もらったお手紙、プレゼント、別れの季節に受け取った色紙、それから手帳。

全部のお手紙を読み返した。
古いものだと15年くらい前。
可愛いレターセットも、小さく折り畳まれたメモ帳も、ノートの切れ端も。
お手紙って、嬉しいよなぁ。
書くのも受け取るのもすごく好き。
読んでるうちに、何度か涙が出そうになった。
結局ひとつも捨てられないな、と思って、元に戻した。

お手紙はたまに読み返すけれど、手帳を見返すのはすごく久しぶりだった。
そういえば最近、紙の手帳をほとんど使わなくなった。
学生時代、特に大学院のときは、常に手帳を持ち歩いてて、新しく学んだことや考えたことをひたすら書いていた。
開いたら、当時の自分がわーっと蘇って、感情がめちゃくちゃになった。

大学後半から大学院にかけては、とにかく自分と向き合う日々だった。
手帳には、悩んでもがいて傷ついて少しずつたくましくなっていく自分が刻まれていた。
それまでの私はずっと、他人から有能だとか良い子だとか評価されることに必死で、目の前にいる相手の顔色を頼りに、自分の言動が正しいか間違ってるかを判断して生きてきた。
そんな自分が情けなくて嫌だったけれど、当然そうなるだけの体験をしてきていたから、そんな自分を手離すのは、怖かった。
ちょっとずつちょっとずつ、そんな自分と向き合って、ひとにダメなところを見せられるようになったり、期待される方じゃなくて自分にとって大事な方を選んだり、そんな試行錯誤の日々だった。
余談だけど、トライアンドエラーじゃなくてトライアルアンドエラーなんだと初めて聞いたとき、とてもしっくりきたのを覚えている。
主観的には命懸けのトライアルとエラーが詰まった手帳は、とても一度に全部読み返すなんてできなくて、また時間を取って向き合うことにして、元に戻した。
元に戻してばかりじゃないか、という感じだけれど、そもそも「永久保存」だったものだから仕方ない。
それでも、社会人になって仕事のスケジュールしか書かなくなっていた手帳数冊は、捨てることにした。

それから、これは自分でも驚きなのだけど、大学時代の日記を捨てた。
当時、その日にあった良いことを3つ書くという日記をつけていた。
「久しぶりに◯◯とLINEして元気出た」
「バイト先に◯◯さんが来て声掛けてくれた」
「お昼に生協で◯◯先輩に会えておしゃべりして楽しかった」
そんな簡潔な数行なのだけど、当時の自分なりにしんどい日々を支えてくれた思い出たちに、胸が熱くなった。
そこに出てくるひとのほとんどが、いまは疎遠になってしまった。
でも、大事だった。
ちょっとした会話、もらったLINE、気に掛けてくれたことに救われていた。
でももういらない、と思った。
うまく言えないけど、どうでもよくなった訳じゃなくて、もうこれがなくても私は大丈夫って思えた。
いろんなことに支えられてどうにかこうにか乗り切った日々は、ちゃんといまの自分につながってるから、あの日々が積み重なっていまの自分があるって思えるから、ひとつひとつを振り返れなくなってももう大丈夫。

私の永久なんて5年足らずで変化して、いまの自分に必要なものだけが残った。
いまは絶対捨てられないと思うものも、いつか自然と手離す日が来るかもしれない。
それでいい、と思う。きっとかなしいことじゃない。


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