正の字をいくつ重ねても、かすりもしない座標があると知って


でかい顔で堂々と語られる正論への反発心、みたいなものがずっとずっとある。
「世の中で正しいとされてることを疑いなく信じ切れるひとって、いいよな。」
尊敬でも羨望でもなく、むしろ軽蔑を込めて、そう思う。

変な話、いまの自分の立場やこれまでの経歴は、端から見たらいわゆる正しいというか真っ当というか、そういう類いのものだと思う。
でも、なぜかずっと「正しさ」を振りかざされると息が詰まって、心の中で「正論言って偉そうにしてる奴なんか大したことない。」と悪態ついてきた。


正論のずるさって、相手に言い返す余地を与えてくれないところ。

それは正しくて立派だけど、そうはなれないよ、ダメなのは自分でもわかってるけど他にどうしようもなかったんだよ、みたいなことって、あるじゃん。
そういうのを間違いって切り捨てるのは簡単でわかりやすいかもしれない。
でも、って思うし、私はその「でも」をなくしたくない。

多分、正しいことを言うひとはそれを正しいと認識してる自覚もなくて、それが当たり前でそれ以外あり得ない、という感じなんだろうな。
それに乗っかれないひとだけが、ただただ、正しさに打ちのめされる。
だからきっと私も正論を振りかざしてることがあるんだろうな、これまでもあったな、というのを忘れずにいたい。
正しさでひとを追い詰めた記憶は、自分が犯した失敗よりずっと重たい後悔として残っている。
その相手には言いようがないごめんなさいを、正論を言うしかないときには少しずつ込めようと思っている。



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