この街の言葉を話せないまま、この街で生きていく

ぼーっとした性格だからか、仕事が全国転勤だからか、理由はわからないし誰でも体験することなのかもしれないけど、ときどき、「あ、そうそう、私はここにいるんだった。」とはっとすることがある。
聞こえてくる会話や、駅のホームの電光掲示板に表示される行き先、エスカレーターで左右どっちに立つか、そんな普段当たり前に流していることが突然意識に上がってくる。
数日前にも「あ、ここ大阪だ。」と通勤電車の中ではっとした。
大阪に住んで、もう数年経つのに。

大阪に来たばかりの頃、職場でみんな関西弁を話してて、街を歩いてても聞こえてくるのは関西のリズムで、想像していたよりもずっと、びっくりした。
(「関西弁」と一括りにするのは間違ってるんだろうけど、区別がつかないくらいの余所者ということで大目に見てほしい。)

今は流石に聞くのは慣れたけど、関西の言葉がうつることはないまま。
イントネーションもそうだし、会話のスピードが速すぎて、私が会話に混ざるとテンポを乱している気がする。
まぁ別に、無理して合わせることもないし、支障もないし、どうってことはない。
と思っていたけれど。

最近たまたま、関西弁の「知らん」は活用で意味が変わってくる、という話を聞いた。
「知らん」は「本当に知らない」、「知らんし」は「どうでもいい」、「知らんねん」は「知らなくて申し訳ない」、他にも色々あるらしい。
多分Twitter(Twitterじゃないですよ、というのはいいので)でバズってたとかそういう感じ。
ぐぐったら2021年のまとめ(https://togetter.com/li/1802995)が出てきたから、不定期で話題にあがるのかな。

そのときは面白いなぁと思って終わったけど、しばらくしてから、この街の言葉がわかってないってことか、と気づいて、ちょっと、衝撃的だった。
会話できてると思ってたけど、ニュアンスが伝わらないって結構致命的じゃないか、と。
それから数日、職場や通勤電車の中で関西弁の会話を聞くたび、それまでにはなかったもやもやを感じた。
疎外感、は言い過ぎだし、外国語に聞こえる、なんて訳ではないけれど、他人の言葉がわかってるのかわかってないのかわかんなくなった。

パートナー(私がここにいたい理由)は生まれも育ちもこの街で、当たり前に関西弁を話す「知らん」ネイティブだ。
同じ言葉が話せなくてももちろんパートナーとの会話は好き。
どちらかがぽつりと言った一言でふたりが同じことを思い浮かべて同じ表情になる瞬間がとても好き。
共有する時間が長くなるほど、文脈がなくても単語ひとつで伝わる情報量が増えていくんだって実感する。

パートナーはときどき突然気まぐれに関西弁講座をしてくれる。
私が話したことを関西弁の言い方で教えてくれるのだけど、学生時代リスニングが壊滅的なせいで英語が苦手だった私には、いつまで経っても定着しない。
多分めちゃくちゃな、アレンジが効きすぎのエセ関西弁を聞いて笑うパートナーをみてるとき、楽しかったり嬉しかったり、最初から同じ言葉を話せなくて良かったと思ったりしている。


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