「ちゃんとした大人」へのコンプレックスをひとつずつ手放していく

「ちゃんとした大人になれない」という思いが、昔からずーっとある。
同時に「ちゃんとしてないと思われたらいけない」というのもあって、どうにかこうにかちゃんとしてる振りをしてきた。
頑張りどころが「ちゃんとしてる振り」なので、当然ちゃんとした大人に近づくことはなく、上達したことと言えば、ちゃんとしてない部分が露呈したときに心底申し訳なさそうな顔をすることくらい。
「ちゃんとした」には程遠い、どうしようもない大人になってしまった。

そもそも「ちゃんとした大人」って何だ、という話だけれども、たとえば、パスワードを忘れないとか、登録してるサブスクを把握してるとか、エレベーターや車で上司を上座へスマートにエスコートできるとか、野菜の相場がいくらか頭に入っているとか、政治経済やスポーツに関する世間話を当たり障りなくこなせるとか、契約書や保証書をなくさないとか、晩ごはんをアイスで済まさないとか。
自分で書きながら、申し訳ございません、と全世界に謝りたい気持ちになってくる。
どこかで、謝れば逃げられると思ってるんだろうな、どうしようもない。

でも、ようやく、本当にようやく、「私が何とかするんだ」という気持ちが芽生えてきた。
言葉にすると陳腐だけど、自分としてはかなり革命的なことだった。
なんだかんだで苦手から逃げ続けてきた人生だと思っていて、他人に頼ったり甘えたり、比較的得意なことでチャラにしようとしてきたりしたから。

日々見聞きするいろんなものが気持ちの変化をもたらしてくれたのだろうけど、自分の中で「ちゃんとした大人に、なりたいんだっけ?」という疑問が湧いたこともすごく大きいと思う。

「ちゃんとした大人になれない、それは恥ずかしいこと」と思ってきたけれど、別に私、ちゃんとした大人になりたい訳じゃ、なかった。
でも、お金の管理ができないせいで働いてても常に不安がつきまとうとか、家のどこに何があるのかわからなくてずっとすっきりした気持ちになれないとかは、嫌だった。
そっか、ちゃんとした大人になることじゃなくて、自分で自分を嫌になってしまうところを変えていけばいいんだ、と気づいてから、よし、と思えるようになった。
ちゃんとした大人にはなれる気がしないけど、私なりにちゃんとやっていくんだ。
たまには、晩ごはんがアイスの日があってもいいんだ。

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