2005年、西大和学園で起こった不審死に関して

 福知山線脱線事故追悼のニュースが流れるたびに西大和学園高等学校での不審死について考えてしまう。何故ならその年、同級生で柔道部の田中康平君が不審死したからである。

 田中康平君は柔道場の部室で朝、変死体として発見された。その日担任の西田は柔道部顧問の西川を連れずに田中家に訪れ、
 「西川も心を痛めていまして」
 と言い放ったらしい。

 田中康平君の同級生、土居秀平君が卒業後に語る所によると、西和警察署にて
 「お前が田中君を殺したんだろ」
と言わんがばかりの事情聴取を受け、
 またボヤく所によると田中康平君はその日誰とも組んでいなかったという。
 察するに、田中君は休み時間中のいじめが原因で亡くなったと思われる。
 というのは、その日の部活の大半は柔道部顧問西川の監督下になかったからである。何故なら西川は最初に柔道部に顔を出したものの、隣の剣道場にて小学生の親御さん向けの説明会の為椅子を並べており、他の柔道部員は様子のおかしい田中君を部室に残して帰り、見回りも部室までは来なかったからである。
 つまり、田中君の死因となった柔道技ないし暴力の発生時間は特定できない。

 学校側の説明会も形だけのもので在校生たちや親たちも死因等に関しては全く知らされることはなかった。
 ただ、教育新聞によると司法解剖の結果、急性くも膜下出血と食道裂傷が認められたらしく、
 察するに急性くも膜下出血によって痛覚が失われた状態でもう一度投げられ食道が千切れたと。

 学校は生徒を守るものであるが法の裁きからまでは守っていいはずがない。柔道部以外の生徒への事情聴取は行われなかったと記憶しているが、万が一それで法の裁き受けるチャンスを逃してしまった生徒がいるならいたたまれないことである。

 よく考えてほしい、柔道技か何かによるいじめで殺人をしてしまった生徒のことを。確かに、少年院や刑務所へ行くことを免れて何食わぬ顔をして今後の人生を送る事は可能になったのかもしれない。しかし、田中君を殺害したときの手応えは生涯忘れられぬはずだ。贖罪の機会は永遠に失われ、近親者にも言えぬ秘密の手応えだけが残るのだ。
 自分は特段田中君と仲が良かった訳でもないが、田中君の親友K君の様に毎日校長室に陳情することもなかった。これは自分の恥である。

 田中君について覚えていることといえば、学校行事でアメリカへ行って帰国の時のことだ。自分は両替機にアメリカの紙幣や硬貨を突っ込んでしまい土産がない等と慌てふためいていた。その時、田中君はペニー(1セント硬貨)を一枚くれた。それだけである。

 自分は彼が亡くなってからそのペニーを持ち続ける勇気が出ずにいい加減にゴミ箱に突っ込んでしまった。


 思うに、彼は優しすぎたのだ。自分も当時、休み時間中に柔道技をかけられる程度にはいじめられていたが、大げさに痛がったら周りが助けてくれた。彼は優しいが故にまともに柔道技をくらって亡くなったのだと自分は思う。

 一般的に規則や規律が厳しい学校の方がいじめは多く、深刻である。何故なら精神的に弱い児童は学校の厳しさを受け止められずに、体力に劣ったりいじめをいなせない児童をいじめる仕組みになっているからである。
 他の児童も学校側の厳しい要求に応えるのが精一杯でいじめを諌めたり先生に相談もできないものである。
 何故なら、規則や規律が厳しい学校の教員は多忙を極めるからである。

 最早、17回忌も済んだような話だが、少年院か刑務所の中から文通によって遺族の方からの一定のお赦しを得ることもできた可能性を思うと悔やむに悔やまれない。だからこそ、今尚罪と共に生きる加害者に憐れみを覚える。
 
僕には何をどうするべきなのかもわからないので、覚えていることや感じていることをここに書き記しておこうと思った次第である。

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