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必ずしも叱らなくてもいいが、負荷はかけないと子どもはダメになる

今は厳しくすると保護者からクレームが来るので、先生たちは子どもたちに厳しいことを言わなくなってしまいました。

イチロー氏はこのように指導する立場にある者が厳しくしないことについて、次のように述べています。
「ある時代までは、自分で自分を厳しく律することができない人であっても、その人の近くにはきっと「厳しい大人(先輩)」がいて、その人の自堕落さや怠け癖をシバいてくれていた。だからこそ、自分を甘やかして易きに流れるような者でもどうにか脱落することなく、それなりのクオリティに仕上がることができていた。」

そして、イチロー氏はこれは酷なことであるとも言っています。

「自分で自分を厳しくコントロールできない者は(だれからも指導されたり矯正されたりすることなく)そのまま放置される」


だからといって、担任が今更ながら厳しく指導することは実際問題として難しいというのが本当のところです。
では、自分をコントロールできない子どもはそのまま放置してよいのか、それも違います。

子どもたちを厳しくしないでも、自分を律することができるような人間にするには、教員としてどのようにすべきなのでしょうか。


私は日頃から「子どもに負担をかけてはいけないが、負荷はかけなければならない」と先生方に伝えてきました。

例えば、私が担任をしていた時に自学ノートに自分がわかっていること、例えば、簡単な計算問題を解いてきたり、覚えている漢字を練習してきたりしたときにはすかさずその子を呼んで問いかけました。

「何のために、自学をしているの?」

すると、子どもは「学力がつくように」「勉強ができるようになるために」といったような答えを返してきます。
そして、私はその子の自学ノートを開きながら、次のように問いかけます。
「この計算問題を解いたり、この漢字を練習したりすることで、あなたの学力は伸びるの?」
ここで子どもは黙ってしまいます。
それは、安きに流れてしまっているからです。

私はさらに問いかけます。
「学力が付くようにするために、どのような自学の内容にすればいいのですか?」
このように、問いかけながら学力を伸ばすために自分が何をすべきなのかを考えさせていきます。

自学の内容が安きに流れたことについて叱ったりする必要はありませんが、

少なくとも今後どうすればいいかを考えさせ、それを実行させるという負荷は与えなければなりません。


校長としては、このような話をして、一人一人の先生たちが決して子どもたちに対して「放置プレー」をしないようにすることが求められます。

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