見出し画像

贅沢すぎる観劇との再会



さて、珍しいお誘いをいただいたお話。

職場のスタッフさんから、お芝居を観に行かないかとお誘いをいただいたのは春のこと。休憩時間などにお芝居の話など聞いていて、ふと私が「いいなーお芝居、久しぶりに行ってみたいなあ」なんて言ったのを覚えていてくれて、とあるお芝居に誘ってくれたのだ。
なんというありがたい…。

今までなら、嬉しいけど時間が日程が難しいなぁとお断りをしていたが。
この、春からの生活環境の変化もあり、私は「我慢する」のハードルを大きく置き換えてやろうと考えていた矢先だった。
正直これがとてもいいきっかけを、もらったんだなと今思う。
誘ってくれたスタッフさんが私にくれたきっかけは本当に大きかった。これが私の心の支えの話になるわけだが、それはまた今度。

嬉しいお誘いに二つ返事で飛びついて、チケット抽選にまとめて申し込んでもらったのは、

大人計画「もうがまんできない」
下北沢!本多劇場!
下北なんて降り立つのは何年振りだろうか、しかも本多劇場。
久しぶりも久しぶり、10年以上ぶりの観劇である。それにしては豪華すぎる。
言って、どの劇場であっても贅沢に思えるくらいには楽しみでたまらない。
しかもこの抽選で、スタッフさんはなんと最前列を引き当てたのだ!これはすごい!

そんなわけで、おそらくは学生時代以来となる下北沢で、大人計画のお芝居を観るのである。

大人計画、その名前はもちろん知っていたしどんなお芝居をするのかもまったく知識がないわけではなかった。それでも驚くには十分すぎる展開と演出。舞台の上にいちから空間を創り上げるその興奮と感激がそこにあった。

幕は降りておらず、舞台装置は既に見えていて、ここでどんな物語が展開するのか。照明が落ちて、キャストが現れる。

舞台装置にも登場人物にも、とにかく気になる点が多すぎる。ちょっとすんなりと理解しきれない人物が次々現れては思いもよらない抱えた事情が露わになる。奇想天外な事情が、コントのようにテンポよく暴露されていき、どうするんだろうかとハラハラする。
そして、ヒヤリとする。コミカルに描かれたそれぞれの問題は、実は非現実的でもなく市井の人の中にあちこちで起きているような問題だ。
そう、みんな悩みも問題もいろいろに抱えながら日々を生きていて、そのために大小様々に我慢や諦めを重ねている。
能天気に平和な人なんて実はそんなにいないのだ。あの奥さんのようにカラリと陽気にひらひらとしていても。
みんな毎日、暗い顔をして生きてたって辛いだけだ。もちろん、そうならざる人だっている。しかし「そんな顔をしないで生きている人」が、みんな平和で楽しいパリピライフを送っているわけでもない。
思うようにならない日々を、時に叫びながら生きている。ギリギリの橋をわたりながらも、行く先にハッピーエンドが見えない舞台に立ちながらも。

仲野太賀と永山絢斗が衣装でマイクの前に立つ。いろんなものを隠して背負って、笑顔で大きな声で、笑いを目指して喋る。
この後ふたりはどうなるかなんて知らない観客がそのネタを聞く。笑う。
明日からふたりはどうなるのか、そんなことは誰も知らない。

そして、どうしようもなくても、夜は訪れてやがて朝になる。
鬱屈も未消化も取り返しのつかない出来事もみんな朝日の中だ。

舞台が終わる。
とにかく笑った。涙が出るほどに笑った。止めようにも止まらないほどに。

そしてそこには私の日常がある。
ドラマチックでもゴージャスでも波乱万丈でもない、平凡な私の毎日。
ああそれでも、これは私だけの人生だと。
輝くものを見つけるのは私次第だと。

触れるということはこんなにも心を動かすのだと思った。眼の前で演じる役者のエネルギーを肌で感じて、世界観に浸かり込む。
こんな素晴らしい空間があるのだ。
震えた。

ほんの数ヶ月前の出来事だが、間違いなくこの観劇が、久しぶりに私が鍵を掛けっぱなしにしていた扉を開けた。

惜しいと思うなら、今これからだ。

この春、私の新たな冒険のはじまりをここに。

さて次はどうする?

しかしその「次」はびっくりするほどすぐに訪れたが、それはまた今度。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?