『二十五、二十一』 青春は遠くにありて想うもの
6歳年上の従姉が言った。「最近、高校生がキラキラしてみえる」
その時は共感できずにいたが、今なら分かる。ほんと、眩しいんですよ。
二十代の頃は、時折ユーミンの『卒業写真』の歌詞に妙に浸って(昭和生まれですから)、センチメンタルになったりもした。
三十代は家のことや子育て、上手くいかない仕事のことで、怒涛の十年だったが、やはり若かったのだろう。高校生が眩しく見えたりはしなかった。
地上波で放送される若い子向けの学園ドラマからはすっかり遠ざかり、若手俳優の名前も「知らんな~、分からんな~」ってな具合。
ところが、Netflixで今月上旬に最終回が配信された韓国ドラマ『二十五、二十一』には、心をもっていかれた。特に最終2話。主演俳優2人が涙を流せば、涙を流し、苦しめば、胸が苦しくなるしで、感情が忙しいったらありゃしない。
切ないって気持ち、こんなだったな。
遠くに置き忘れてきたものが、予期せず戻ってきた、そんな感覚だった。
なぜ『二十五、二十一』にハマったのか。
ドラマ視聴後もしばらく余韻に浸りたくて、分析してみた(以下、3つが分析結果です)。
1. 脚本・俳優が良かった。
これについては、言わずもがな。韓国ドラマが世界で人気コンテンツになっている理由だと思う。韓国俳優の演技力は優れている。ナム・ジュヒョクは感情の動きを繊細に表現していた。背が高く、スタイルがとにかく良いが、演技力もある俳優だ。韓国で人気があるのも分かる。前作主演の『スタートアップ:夢の扉』のナム・ドサンより、今作のペク・イジンの方が当たり役だった。
韓国では脚本家は「作家」と呼ばれている。脚本が陳腐なドラマはダメだ。韓国ドラマは王道ラブコメ、財閥系、サスペンス、ノワールからヒューマンドラマまで幅広いジャンルで視聴者を飽きさせない。脚本家が育つ仕組みがあるのだろう。
2. 主人公たちが出会う1998年は、当時私も大学生。その時の恋愛や「何者でもない」焦燥感に身に覚えがあった。
韓国と日本、国は違えど同じ1990年代後半にいわゆる青春を過ごしたわけで、ドラマ製作サイドの「誰しもの記憶のどこかにおぼろげに残る、美化された可笑しくもない、切ない青春時代」に、自分のあの頃を投影してまった。主人公の2人は別れを選択するのだけど、この結末には個人的には納得できた。十代に付き合った恋人とそのまま結婚したひとが、どれだけいるの?って話ですよ。結末には説得力があった。
3. 時代の波に飲み込まれたり、理不尽な境遇に追い込まれても、懸命に今を生きる主人公たちに共感したから。
大学生のペク・イジン(ナム・ジュヒョク)はIMF通貨危機で父親の会社が倒産。大学退学を余儀なくされた。自分の力ではどうにもならない時代のせいで、挫折を経験する。
1997年はわたしにとってもつらい年だった。当時大学3回生、就職活動を始めてすぐに、山一証券が破たんした。なんで今?と心底思った。山一証券の社長が記者会見で「社員は悪くありません」と謝罪した映像を観たとき、就活生にも謝って欲しいよと、ひとりごちた。ペク・イジンのやり場のない諦観は、当時のわたしのそれと同じだった。
『二十五、二十一』。ハマった時間は最高だった。あの頃にすっかりに戻ってしまった。
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