血の繋がりって何なんだろう ~病棟からみた朝日に誓う~
2006年秋に子宮体がんと診断されました。特別養子縁組で0歳女児(2023年現在11歳)の親となるまでの備忘録です。
マガジンでまとめています。
2009年1月末、手術を受けるために入院した。
K大付属病院で長く診てもらっていたH医師が、別の病院へ異動となっていたため、わたしは手術を前に転院をした。
一世一代の手術は、やはり信頼している医師にしてもらいたかったのだ。
一度腹をくくったら、自分でも不思議なくらい動じなくなる。
手術前の説明の時でのこと、
開腹して子宮内膜以外にがんが及んでいなければ、卵巣を残してもらいたいとお願いをした。疑わしきはすべてを切除する治療が嫌だったからだ。
その当時から数年前、子宮頸がんを患ったタレントの向井亜紀さんが卵巣を温存し代理母出産をしていて、わたしも残せるものは残したかった(養子を迎えることは決めていたけれど)。
H医師は子宮体がんの場合は卵巣を残すことはできないと答えた。
具体的に何を言ったのかはもう忘れてしまったが、粘るわたしにH医師は言った。
「そんなことをしたら如月さんは天寿を全うできません」
普段は穏やかで感情的になることがないH医師。不釣り合いなそのせりふに、先生もこんなことを言うんだとちょっと驚き、わたしはもうそれ以上粘るのをやめた。
麻酔から覚めるとH医師はにこにこ顔で、以前手術した盲腸が癒着していたから、ついでにきれいに剥がしておきましたと告げた。
はぁ、ついでにですか。それより今は腹がジンジン熱いんですよ、とは言わなかったが(朦朧としていて声もでなかった)、先生のにこやかな様子に手術は問題なかったんだなと悟った。
あと数日で退院となったころ、早朝に目が覚めた。
まだ病棟は静まりかえっていた。
わたしは点滴ホルダーを携えながら、病棟の廊下を歩いた。
冬の晴れた朝。朝日が今まさに登ろうとしていた。
沸々と湧き上がるものがあった。
入院でずいぶん痩せてしまっていたし、まだ点滴も外れてもいないのに生きる力がみなぎっていた。
わたしはこのままでは絶対に終わらない。
朝日への決意表明だった。
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