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日記 2024/05/31

※この記事は全文無料です。

 朝から死にたいという気持ちが高まっていた。自分を取り巻く現状が厳しく、ここから抜け出すのにはとても時間が掛かるというふうに思えた。そしてそのために自分が支払う労力のことを考えるとおそろしく面倒だと思った。面倒だと僕はすぐ死にたくなる。自分にこの先待っている面倒の総量を想像すると、とてもじゃないがやってられないと思ってしまうのだ。だったらもういま死んだほうがマシじゃないか、と思った。でも死ぬのは恐ろしく、死は遠いところにあった。自殺論にも書いたが、死ぬのにもエネルギーが要る。そのとき、死ぬことさえ自分にとっては面倒なのかと思って、少し笑えた。

 少しずつ自分のなかでときおり驟雨のように発生する不穏な気分と向き合う方法を確立できてきたという感触がある。しんどくて死にたくて仕方なくても、朝から身体を動かして、コーヒーを入れ、部屋を掃除できた。それからいまやっているバイトの作業をした。そのあいだも始終、胸のなかで嫌な気分が立ちこめていたが、その嫌な気分がそこにあることを認めてあげることができた。感情は選べないが、行動は選べる。それがいつからか僕のお守りのような言葉だ。この言葉を頭の中で発すると、少し楽になる。できるという手触りを感じることができる。

 夕方、とうとう財布に数十円しかお金がなくなってしまった僕はある決断をした。ずっと自分の執筆用として使ってきたMacBook Airを売ることにしたのだ。2015年モデルの古い型なので、そんなに高くは売れないだろうが一万か、良ければ二万ほどにはなるだろうと思った。これは最後の手段だったがもはやこうするほかなく、僕はパソコンのデータをiCloudに全て移し、初期化を完了させ、家電買取の店へ向かった。
 MacBook Airを紙袋に提げて店へ向かう道中、僕は感傷的な想いを感じざるを得なかった。このもはや相棒のようなパソコンで書いてきた文章のことを思い、その文章を書かざるをえなくさせた様々な体験について思った。パソコンを売ってしまえばしばらくは小説を書けないと思った。それから、いや原稿用紙でもスマートフォンでも書けると思った。でも原稿用紙が良いと思った。原稿用紙にペンで書いてゆく。そのオールドスクールなスタイルも悪くないと思えた。もしひとが文章を書きたいと思うのなら、デバイスによって制限されることはないんだ、と思った。それは救いだった。
 しかし買取店に持って行くと、さっきまでついていたMacBook Airは電源が上手く入らなかった。どうやら初期化の方法がまずかったらしく、そのせいで不良品ではないかと訝しむようなことを店員に言われ、買取価格もそんなに高くはならないでしょうと言われた。僕は愕然とした。でもそれは価格のことではなく、MacBook Airの電源が入らなかったことだった。それはまるでさっきまで生きていた友人がいま死んだということを告げられたかのようだった。店員はそれから説明書を読みながら、僕に向かってあれこれ何かを言っていたがあまり覚えていない。覚えているのは、作業に時間が掛かるので3時間程待つ必要があるということと、約五千円での買取になるだろうということだけだった。僕は夜に予定があったので、買取を辞退して帰ることにした。
 帰り道、結局お金も得られぬまま瀕死状態のMacBook Airを持って歩きながら、僕は泣きたい気分だった。なんて情けないだろうと思った。自分にとって相棒のようなパソコンを売ろうとしたが、手順を誤って状態を悪くし、しかも一銭も得られなかった。金曜日の夕方の三宮はちょうどひとが増えていく時間帯で、夕食の店を探す人びとで満ちていた。僕は途中、あるステーキハウスの店の前を通ったときにふと立て看板に書かれている価格を見てみた。ディナーコースで一万円ほどだった。いまの僕にはとても手の届かない金額だと思った。でも、と思った。いつかこの店で、何かのちょっとした記念に、彼女と夕食を食べたいなと思った。そしてそのときにこの日のことを思い出そうと思った。今日という日を伏線にしようと思った。

 家に帰ると、少し前から描き進めていた絵を完成させるために作業した。それはペン画とアクリル画を混ぜたような絵だった。僕はこのペン画の軽薄な色彩とアクリル画の鮮やかな色彩を混合させたら面白いような気がしていたのだった。それで鳥の絵を描いていた。鳥はどことなく神聖な感じがあるから、それが好きでよく描いている。なんとなく神さまっぽいといつも思う。ふさふさした毛の部分はアクリルガッシュで描き、それ以外の部分はペン画で描いた。やっているとペンが描く線の、直截的な二次元さとアクリルガッシュの深みのある色合いが同居している感じが奇妙でありながら面白いように思えた。結果として出来上がったものはあまり最初にイメージしていたようなものとはならなかったが、この描き方には少し面白味があると思えたので、少し継続してやってみようと思った。

 夜は知人二人と食事に行った。児童養護施設に入所していた頃の先輩とだった。先輩と言ってももう10以上歳が離れているし、施設内の知人はほとんど家族的な存在なので、彼らは僕にとっては単なる先輩というよりも、歳の離れた兄のような存在だった。
 美味しい水炊き鍋を食べながら、色々な話をした。ひとりの先輩が、今日、職場の同僚が飲酒運転で捕まったということを話していて、もう一人がそれに重ねるようなかたちで自分が10代の頃にオヤジ狩りをして鑑別所に入っていた頃のことを話していた。面白おかしく話すので僕も笑いながら聞いていた。でもそんな二人も結婚してもう10年が経つという。子どももいる。色々あったけど、それを経験にして今の彼らがあるのだと思うとなんだか泣きそうになってしまった。彼らはいわゆる普通の人たちからすると、駄目な人達なのかもしれない。でも愛情を持って僕に接してくれている。その事実だけで僕は彼らが自分にとってかけがえのない存在だと思えた。たくさんの与太話の後、食事は奢ってもらった。いつか彼らにこの恩を返す日のために頑張られねばと思った。

 家に帰りつくと、Twitterで見た画家らの絵をしばらく調べていた。アクセリ・ガッレン=ガッレリ、ヴィルヘルム・ハマスホイ、ホアキン・ソローリャ。はじめて知る名前ばかりだったが、どれも素晴らしい絵を描く画家だった。とくにヴィルヘルム・ハマスホイの風景画には感銘を受けた。のっぺりとしていて、平凡な野原の風景画なのだが、なんだろう、心を引く何かがあった。遠い異国の土地で流れている誰も知らない時間というものが描かれているような気がした。こんな言葉にしがたい絵を見て、僕もこんな絵を描けたら楽しいだろうなと思った。目指し出すとややこしくなるので目指しはしないが、ゆっくりと自分の速度で自分の絵を作り上げたいと思えた。

 Twitterの投稿では言葉を吐き出したい欲望が止まらなくなったときに、あまりに連投してしまうので、不定期でこの日記を書くことにした。言葉の面白いのが、吐き出すと、それが変換されたかたちで自分のなかに残ってしまうところだ。だから吐き出すことによって、僕は自分のなかの霧を水に変えているようなところがある。自分をできたら水でいっぱいのプールにしたいと思う。やがて海になればなおのこと良いと思う。うーん。突然だけど、よくわからなくなってきたので今日はこの辺で。

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