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承徳で感じるチベット文化

明清の古より皇帝の夏の避暑地として使われてきた承徳。少数民族との融和のために部族長の会合もこの地で行われてきたらしいが、確かにこの場所は不思議な場所であった。遠くの方まで山々が連なる高原地帯にある承徳の山の上には遠くからでも見える巨石がある。この絶妙な目印がこの地を差別化し、集まるにはもってこいの場所になったのではないかと思える。

ここには皇帝の避暑地の周りにチベットにあるポタラ宮のスモールスケール版があるということで、付近を散策をしてみると、皇帝たちがいかにチベット仏教を寵愛していたのかということがよく分かることになった。

ミニポタラの外装はチベットにあるポタラ宮と似せており、それはここを訪れるポタラ宮の主であるダライラマのために皇帝が作らせたものとのこと。宮殿の中にはダライラマが滞在時に座る玉座が真ん中にある。内部にはダライラマが属すゲルク派の開祖でもあるツォンカパの像が至る所にあり、当時の信仰を思わせる。

と、ここまでは事前に把握していたが、ここからが驚きの連続であった。見学を終えると隣にも離宮があるとのことで1㎞ほど山を下るとそこに少し小さめの宮殿があった。なんとこれはパンチェンラマの宮殿であるシガツェのタシルンポ寺を模したものであるとのこと。山腹にへばりつくように建築されたその宮殿も個性がある。タシルンポ寺には訪問したことはないが、もしかしたら似たような建築方法をとっているのかもしれない。

観音菩薩の化身とされるダライラマと薬師菩薩の化身とされるパンチェンラマはチベットではいずれも大事な存在で、それぞれラサのポタラ宮とそれより西側のシガツェのタシルンポ寺で執務に当たっていた。より東側で生活するダライラマは東は太陽が昇る方角であることから来世を司る観音として、より西側で生活するパンチェンラマは太陽が沈む方向であるため現世利益を司る菩薩としても認知されている。薬師菩薩はチベットでは青色などで描かれることもあるが、日の沈んだくらい方向、西側には当時も今もラピスラズリがとれることからこれに因んだとか聞いたこともある。

タシルンポ寺を見学して普寧寺を訪問する。ここはチベットのサムイェ寺を模したものになっている。サムイェ寺はチベット仏教では重要な寺で初めに建立された寺と認識されており、境内と寺そのものがチベット仏教の世界観となっている。ご本尊のある寺が真ん中に位置しておりそれがチベット世界の真ん中にあるスメール山を体現しており、それを囲むように四大部洲としての白塔などがたっている。この建設スタイルをそのまま受け継ぎ、四隅に尖塔を設置し、中央に仏殿を構えるという構成をとっているのが普寧寺であった。休憩がてら遠くの山々を見ていると、春の風が吹いてきて心地よい。

ちなみに、北京の頤和園にも香岩寺というのがあるが、これを中国語読みするとサムイェ寺となる。こちらも本家サムイェ寺と同じコンセプトでつくられている。

まだ他にも寺はあったので見学してみたかったが、今回の旅行の収穫としては十分だと思った。皇帝がどれだけチベット文化に傾倒しその族長であるダライラマやパンチェンラマを大事にしてきたのか残った建築物から強く感じることができた。


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