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CROSS ROAD〜悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ〜における「悪魔」について(考察)

はじめに

ツイッターでも色々と書いていたのですが『CROSS ROAD〜悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ〜』というミュージカルがあまりにも民俗学好き兼オカルト好きの心をくすぐるような絶妙な悪魔の設定を世に出してきたので、思わず考察好きの血が騒いでしまい、せっかくなのでまとめてみようと思い立ったのがこの記事です。
さて、一般的に「悪魔」と聞くと様々なイメージが出てくると思いますが、藤沢先生が博識かつ語学に堪能で、さらに海外生活が長いからか、アムちゃんのキャラクター造形は日本人が想像する「悪魔」というよりも西洋のおとぎ話や悪魔学の本に出てくる古典的な悪魔っぽいなと思ったので、自分の知識の整理がてらここで「悪魔」について少し解説してみましょう。
と偉そうに言ってみても民俗学と伝承文学とオカルト好きな一般人がなんとなく調べたことですので「そんな説もあるのか」とゆるくご覧になっていただければ幸いです。
なお、参考にしたのは『地獄の辞典(コラン・ド・プランシー著、床鍋剛彦訳)』『悪魔と悪魔学の事典(ローズマリ・エレン グィリー著、金井美子訳)』『ファウスト(ゲーテ著、手塚富雄訳)』
特に『地獄の辞典』は1818年に初版が発行され、現在手に入りやすい日本語抄訳版は1863年出版の第6版なのでパガニーニの時代(1782年〜1840年)の悪魔観をなんとなく知れるような気がしておすすめですよ。
古い本なので古書で手に入れるしか入手方法が無いのですが、稀少本という程でもなく図書館でも借りられますので、手ごろに当時の悪魔観を知れるので面白いです。

西洋における「悪魔」とは?

人間の敵、人間を堕落させるもの、反キリスト的なものを指すことが多いとされている一方で、ソロモン72柱に「元は天使」という設定の悪魔が結構いたり、『地獄の辞典』ではエジプト神話のアメン神が「アモン」という悪魔として描かれていたり、異国の神から設定を借りたらしき悪魔もかなりいます。
「そもそも非キリスト教圏の神が悪魔とされたのでは」という説もあるくらい実は悪魔の存在は結構アバウト。CROSS ROADの劇中でもアムドゥスキアスが「お前たちが俺を悪魔にした。」というセリフがありますし、本作のアムドゥスキアスは聖職者すら操るくらいの能力があるので(1幕最後の教会のシーンより)アムちゃんは非キリスト教の神的な存在(要は祀ろわぬ神)なのではないかとふわっと考えています。アムドゥスキアス自体が書籍によっては「堕天使」となっているのでもしかしたらCROSS ROADの彼も元は聖なる存在だったのでは?と思わせるのはさすが演・中川晃教さんといったところ。
なお、悪魔が人に化けるときに黒いマント姿なのは、一説には地位がある存在と見せるために上流階級の格好をしているかららしいです。
まぁCROSS ROADのアムドゥスキアスはあの恰好が一番似合うからああいう格好をしているような気はしますが…。
また、悪魔は不完全だからこそ体の一部が不自然とされることがあり、ゲーテの『ファウスト』でもメフィストフェレスの足が不自由というのはこの迷信によるものらしいです。
ちなみにこの「不完全性」はお話によって「天国から落ちたから足が不自由」であるとか「変身が不完全で足が動物の足(蹄のようになっている)」であるとか色々なバリエーションがあります。
なお、なぜ悪魔であるアムドゥスキアスが「公爵」なのかというと、地獄でも宮廷があってそれぞれ力のある悪魔は軍団を持っているし、爵位を持たない騎士階級の悪魔もいれば、地獄の公務員の給与支払い係のメルコムなんていう悪魔がいたり、地獄の設定がものすごく階級社会で現実的だったりするから。
だからなのかニスロクという「美食による誘惑と食事の楽しみを司る地獄の宮廷の料理長」という悪魔とか存在します。
どういう設定なんだそれ。
なお『地獄の辞典』によると地獄の宮廷の公爵はアムドゥスキアスを入れて23柱いるとのこと。

「アムドゥスキアス」とは?

CROSS ROADで大活躍のアムドゥスキアス。
そもそも彼はアムドゥシアス、アムドゥスキアとも呼ばれる悪魔で、ソロモン72柱のうちの1柱です。
パガニーニとの契約シーンでも「我、ソロモン72柱〜」と名乗っていましたね。
さて、ソロモン72柱というのは『ゴエティア』という魔術書に記載されている「ソロモン王によって真鍮の容器に閉じ込められた悪魔」のこと。ゴエティア自体が17世紀頃に成立したようなので、彼らは悪魔としては古くから知名度があるとも言えますね。ちなみにアムドゥスキアスの袖にある紋章は『ゴエティア』に記載のあるアムドゥスキアスの紋章なので意匠自体は結構古い。
なお「序列67」とか書かれるのはソロモン王に真鍮容器に閉じ込められた順番なので実はあまり重要ではなかったりする。
ソロモン王によって閉じ込められた悪魔たちは、中身が宝物だと信じて真鍮容器を壊した後世の人々によって世に放たれた…というのがだいたいのお話らしい。中川晃教さんがアムドゥスキアス役なら絶対ほかのミュージカルスターもソロモン72柱にいそうなので藤沢先生にはぜひアムドゥスキアスとグラシャ=ラボラス以外の配役も教えて欲しいところ。
なお、アムドゥスキアスは29の軍団の長だけど、地獄の軍団は各軍団に6,666の構成員がいるそうなので多分19万3,314くらい部下がいる。
劇中では「音楽の悪魔」と呼ばれていますが、アムドゥスキアスは「音」に関する逸話が比較的多く、もしかしたら藤沢先生はそこから着想を得て創作のヒントにされたのかもしれないですね。
なお「音楽の悪魔」という名称は参考にした書籍では確認できませんでした。悪魔に関する英語のサイトでは「音楽の悪魔」と書いてあったり日本語のウィキペディアでは「後世では音楽的な性格をもつ悪魔」と書かれていますが私の知識では出典が確認できず、そもそも日本語で読める悪魔学の本が限られていますので、洋書が出典なのかもしれません。
ですから「音楽の悪魔」としての名称が日本で有名になったのは朗読劇版のCROSS ROADが初出という可能性も無きにしもあらずですね。
さて、書籍によって参照している文献が違うからか、アムドゥスキアスの能力に関しては少しちぐはぐな印象を受けますが、特徴は大体下記のとおりです。
・一角獣の姿を持つが、召喚の際は人間の姿で現れる。
・人間の姿を取る時に目には見えない楽器の音が聞こえてくる。
・周囲の木々がアムドゥスキアスの声に合わせてお辞儀する。
・木を倒す力や優れた使い魔を与える。
『地獄の辞典』によれば注文に応じて音楽会を開催してくれるそうなので、2幕で指揮をしているのはつまりそういうことなのかなと勝手に思っています。ちなみに『地獄の辞典』で「音楽の悪魔」とされているのは『未来日記』でもお馴染みのムルムル(ミュルミュール)で、ラッパ手を伴って現れてラッパの音に合わせて行進するとのこと。
ちなみにアムドゥスキアスが本によって「大公爵」「大公」と書かれているので色々と調べたところ、英語では「Great Duke」とも呼ばれているらしく、階級的には公爵でよいらしいです。
偉大なる公爵のようなニュアンスなのでしょうか…

なぜ「十字路の悪魔」なのか

十字路というのは東西を問わず怪異が起こりやすい場所と信じられていて、特に西洋では精霊や悪魔を呼び出す場所とされています。
十字路はサバトが開かれる場所とされる一方で、サバトに赴く魔女や魔術師の通り道ともされ、悪霊が旅人を迷わせる場所という迷信もあるので、劇中で十字路が「人生の分かれ道」に例えられていたのはこういう要素なのかもしれなと勝手に納得しています。
エリザの「ワインがしゃべったと思って許してね。」などキャラクターのセリフがとても「西洋的」だなと思うので、藤沢先生は西洋の迷信とかを参考にされているのかなと。
なお、十字路は悪霊から逃れられる場所、エネルギーが交差する場所という意味もあるので、劇中のパガニーニが練習場所として十字路を選んだのは、誰も来ない場所だというほかにこういった要素があったからとも考えられます。
森という場所もおとぎ話では異界や非日常という象徴的な意味合いを持っていて、おとぎ話のなかでよく猟師が登場するのは、異界と現実を行き来するという意味があるからという説があるそうです。そういえば日本のおとぎ話でも猟師はお助けキャラ的な場面が多いような気がしますね。
ちなみに初期のファウスト伝説においてファウストが悪魔を呼び出したのは、森の中の十字路とされているので、もしかしたらアムドゥスキアスがパガニーニに森の十字路で声をかけるシーンはファウスト伝説のオマージュか、もしくは『ナイメーヘンのメアリ(作者不明の16世紀のお話。途方にくれた女性が助けを求めたら悪魔が現れてしまい契約するが、信仰心で悪魔を遠ざける話)』などの物語を藤沢先生が着想を得たのかもしれないなと勝手に予想しています。

悪魔との契約とは

ゲーテの『ファウスト』ではメフィストフェレスはファウストに血を滴らせた契約書の取り交わしを求めます。
しかし、悪魔学的には契約の方法はたくさんあるらしく、臨機応変というべきかアバウトというべきか、悪魔恐るべしですね。
困ったときに悪魔や悪い精霊がやってきて助けてくれるが大きな代償を要求される…というのはおとぎ話でよくあるパターンですが、人間側が契約を結びたい時に悪魔を召喚する方法というのは色々とあるらしく、代表的なのが、呪文を唱えて召喚する方法か、十字路で生贄を捧げるという方法。
悪魔が現れたら契約を結びますが、契約書に血で署名するやり方もあれば「暗黙またはそれに類するもの」でよいとされるので、劇中で描写された「アムドゥスキアスの手を取る」というのはどうやらこれに当たるようです。
契約内容についても、悪魔を一方的に奉仕される方法と、条件を付けてそれに違反したら契約者の肉体と魂を没収する契約があるそうなので、劇中の最終対決でアムドゥスキアスが「地獄に落ちていけ」というのはそもそも契約違反に対しての警告だったのかもしれません。
ちなみに初期のファウスト伝説では、ファウストが悪魔から提示された条件が「一定期間終了後に悪魔の所有物となること」「契約に血で署名すること」「キリスト教を捨てキリスト教信者の敵となること」であり、ファウストへの見返りは「あらゆる欲望を満たし」「精霊の肉体と力を授ける」なのでアムドゥスキアスがパガニーニに提示した3つの条件もこういった伝説から取られた可能性もあるのかなと思います。
なお、契約破棄の方法は一般的に「贖罪」とされており『ナイメーヘンのメアリ』やゲーテの『ファウスト』といった物語の中では信仰心により悪魔を退けている一方、CROSS ROADでは至高の音楽を生み出すことで悪魔と決別するというのはとても非キリスト教圏のお芝居だなぁ…と勝手に思っています。
ただ、魔術書では高位の悪魔は直接呼び出せないので、その副官的な悪魔を呼び出せばよいとされています。
劇中のアムちゃんが自由に色々なところをうろうろしているのは単にフットワークが軽めなのかもしれないし、そもそもアムドゥスキアスが森のことを「ここは私のものだ」と言っているので、パガニーニがアムドゥスキアスの領域に迷い込んでしまったという見方もできるのかなと。
そもそも『地獄の辞典』によると侯爵は日没から夜3時までの時間に呼び出す、伯爵は人の来ない荒れ地であれば呼び出せるとありますがそもそも公爵は呼び出せるものでは無さそうなんですよね。
つまり飛んで火にいる夏の虫だったパガちゃん…。もしくは「悪魔に見出された」と言うべきだったのかもしれないですね。
なお、実際のパガニーニは自己プロデュースに非常に長けた人で、当時の悪魔ブームに乗ったのではないかという話があるくらいなので「実際に悪魔と契約した」という設定はクラシックファンからみてもとても興味深いと思います。

おわりに

色々と好き勝手書きましたが、そもそもCROSS ROADの劇中で描かれるのがあまりにもマニアックだったり雑学的なネタが多すぎて考察がしきれない感じでしたし、クラシックファン的にもオカルトファン的にも大変楽しかったので再演お待ちしております。
また、どこかの十字路でお会いできますことを!
→再演おめでとうございます!

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