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坊ちゃん刈り

彩音は、母親に背中を押されると弟と一緒に店の中に入っていった。

母が、カットのチケットを2枚買うのを呆然と見ていた。

店の外にある混雑具合を示すサインは、黄色。
彩音は、母と弟と一緒に待合の椅子に座った。

彩音は、肩まで伸びた髪を触ると、キューっと胸が痛くなってきた。

本当は、もっと長く伸ばしたかった・・・・。
しかし、母が髪を伸ばすことを許してくれなかったため、彩音の髪は、いつも顎のあたりで揃えられ、肩くらいまで伸びてくると、母の行きつけの美容院で、また顎のあたりまでサッパリと切られてしまう。その繰り返しだった。

昨日の夜、母から「明日は、塾に行く前に髪切りに行くから、寄り道しないで早く帰ってきなさい」と言われていた。
せっかく、肩まで伸びた髪をまた、顎までのおかっぱにされてしまうのかと思うと、なんだかやるせなかった。
そして、学校から帰ると弟も一緒に髪を切りに行くというから、何かおかしいと思ったら、連れて来られたのはいつもの美容院ではなく、早くて安いがウリのカット専門店だった。

カット椅子が一つ空くと、母は、先に弟の康太に座るように言って、理容師にチケットを渡し、弟の髪型を注文している。
「暑くなってきたんで、いつもより短く刈り上げた坊ちゃん刈りにしてください」
康太は、坊ちゃん刈りと聞いて嫌そうな顔をしている。
小学校中学年になり、お椀を被ったような坊ちゃん刈りではなく、もっとカッコいい髪型にしたいと康太は言っているが、母は、「康ちゃんは、坊ちゃん刈りが似合うからね」と言って、若干の長短はあれど、年中、坊ちゃん刈りだ。

理容師は、バリカンをセットすると康太の耳回りから襟足を短く刈り上げていく。刈り上げが短くなればなるほど、トップの髪のお椀具合が強調される。地肌が透けるほどに短く刈り上げられ、前髪もいつもより短く切られると、康太は鏡に映る自分の姿を見ながら顔をしかめている。


彩音は、康太の後ろ姿を見ながら「あの頭は恥ずかしいよ」と心の中で思っていたが、次に席が空けば自分がどんな髪型にされてしまうかわからず、弟の心配をしている余裕はなかった。

康太のカットも仕上げに入り、シェーバーで揉み上げや襟足を剃られている時、席が空き、彩音が座らされた。
理容師は、彩音の首にペーパーを巻くと、大きなカットクロスをかけ、「どのくらい切りますか?」と聞いてきた。
1ミリたりとも切りたくない彩音が何も言えずにいると、母が来て「隣にいる弟と同じにしてください」と言った。

彩音は、絶句した。
「弟と同じ、て・・・・・」
「あんなに短くしたくない・・・。それよりも、あんな恥ずかしい髪型嫌だ!」
彩音は、必死に声に出そうとしたが、理容師と母の間で話はついたようで、母は、待合の椅子に座っているし、理容師は、彩音の髪を簡単に梳かしたかと思うと、右耳の上に櫛を入れると、そのままざっくりと肩まであった髪を切り落した。

ジャクッ、ジャクッ、パサッ・・・・・・

15センチほどの髪があっけなく切り落とされた。
彩音は、無意識に切り落とされた髪がクロスを滑り、床に落ちるのを見ていた。
しかし、理容師に頭を上げさせられ、鏡を向かされると、そのまま左側も耳上でバッサリと切られた。
間髪入れず、後ろ髪も襟足ギリギリでジャキジャキッと切り落とされると。耳や首にスーッと涼しい空気が当たる。

彩音は、心がついていかない。
目には、涙が溢れ、ぽろぽろと落ちてくるが止めることができなかった。

10分で、ボブから坊ちゃん刈りまで仕上げなくてはならない理容師は、泣いている彩音に構うことなく、こめかみのあたりで髪を取り分けると、もみ上げから上に向かってバリカンを入れた。
粗切りはされているが、まだ、ある程度の長さの髪が刈り落され、ボトボト落ちてくる。
両耳の上を剃ったかのように短く刈り上げられ、そのまま下を向くよう頭を押さえつけられ、襟足から、かなり高い位置までバリカンが上がってくる。
バリカンのくすぐられるような感覚に、彩音はとうとう耐えられなくなり、口からも泣き声が漏れ出した。
後ろから母親が「いい歳して恥ずかしいから、静かにしなさい」と叱るが、声を殺しても涙が止まることはなかった。

理容師は、バリカンを置くと、ハサミを持ち、刈り上げた部分がしっかりと見えるように切っていく。
彩音が女の子だから気を使ってくれたのか、前髪を康太よりは少し長めに、眉の上でアーチ型に丸く厚めに揃えた。
毛虫のような太い眉が丸見えで、ダサさが更に増した。

最後にシェーバーで、もみ上げと襟足を剃られ、掃除機のようなホースで毛くずを吸われると、ケープを外された。

店を出ても泣いている彩音に、母は、「中学受験まで、あと半年ちょっとしかないんだから、この夏はサッパリした頭で気合入れて勉強しなさい」とぴしゃりと言った。

そのまま塾に送り出された彩音は、ジョリジョリに刈り上げられた恥ずかしい坊ちゃん刈りと泣き腫らした目で教室に入っていった。
その変わり果てた姿に、みんなヒソヒソ言っている。
先生が、「お、近藤、夏期講習に向けて刈り上げて来たのか!気合入ってていいぞ」と言うと、みんながドッと笑った。

やっとの思いで家に帰りつくと、彩音は、この髪型だけは絶対に嫌だと母親にお願いした。
しかし、母の答えはつれない。
「第一志望が確実になったら考えてもいいわよ」

成績が上がらなければ、ずっと、こんな恥ずかしい髪型でいなければいけないのかと思うと、顎までのおかっぱだった頃が、急に贅沢に思えてきた彩音だった。


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