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地元の生活③

美千代が、小学四年生の夏、父が政界への復活を果たした。

しかし、美千代の生活は、何も変わらなかった。
「先生のお嬢さん」という肩書が復活したことと、地元での生活になじんできたことで、町の人は優しくなったが、東京に帰ることは叶わず、地元での暮らしが続いた。

母は、東京に行くことが多くなり、美千代は、ほとんどの日をお手伝いさんと二人で過ごしている。
それでも、母は、ほんの少しでも美千代といられる時間があれば、地元に戻ってくる。
それにひきかえ、父や歳の離れた兄たちが、地元に来ることはほとんどない。
父たちがいる時は、「お父さま、お母さま」と言うが、母と二人の時は、美千代は衆子を「ママ」と呼び、衆子は美千代のことを「みいちゃん」と呼んでいる。
地元に引っ越してきたばかりのころは、言うことを聞かない美千代に手を焼くばかりだったが、今では、衆子のよき相談相手であり、女同士楽しくやっている。

そして、母は、東京で過ごす時間が長くなるにつれ、少しずつ髪を伸ばし、今では顎ラインのボブにまで伸びた。

しかし、美千代は、相変わらず町の床屋に通い、子どもらしいおかっぱ頭にされている。
母は、「女の子なんだから、髪くらい好きに伸ばさせてあげたい」と言うが、父が「床屋は、町の社交場なんだから、そこで、この町の子らしい髪型にするべきだ」と言い、美千代が髪を伸ばすことも、町の床屋以外で髪を切ることも許さなかった。

襟足から耳の上あたりまでを短く刈り上げられ、その上に被せるように耳たぶが少し出るくらいの長さで揃えられたおかっぱ頭は、「子どもらしい」というのが最高の褒め言葉で、とてもじゃないが褒めるところなど見つけることはできないものだった。

大きくなるにつれ、美千代自身も、その現実を理解していた。
みんなが言ってくれる「子どもらしい」は、決して褒められているのではないということを。
耳上まで刈り上げられた後頭部を触ると、ジョリジョリしていて全然、女の子らしくない。
おでこの真ん中で真っすぐに揃えられた前髪は、恥ずかしくて、手で必死に押さえてみるが、どうやっても眉に届くことはない。
それでも、美千代は、床屋で泣くことはなくなった。
泣いたところで、髪を切らなくて済むわけでもなく、下手をすれば「泣いた罰」として更に短くされるのが関の山。
夜、ベッドに入ると、刈り上げられたばかりの後頭部が枕にあたってザリザリし嫌でも涙が溢れてくるので、その時まで我慢することにしている。

そんな美千代も、中学入学を機に、衆子の意向で髪を伸ばし始めた。
それでも、肩より長く伸ばすことはなく、長めのおかっぱ頭と言ったところだった。
衆子は、「もっと、長くすればいいのに」と言うが、なんとなく気が進まず、今は、2~3か月に一度、町の美容院で揃える程度に切ってもらっている。

そんなある日、美千代の家では小さな事件が起きた。

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