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地元の生活 〜衆子の覚悟〜

秘書からの電話を切ると、衆子は溜め息をつき、スマホをソファーに投げつけた。
夫が、女性との写真を週刊誌に撮られ、明日には発売されるという。

妻がいる身でなんてことを・・・と、清いことを言うつもりはない。
もともと、夫とは、家同士が決めた結婚だし、衆子の周りには、そんな人ばかりだったせいか、結婚なんてそんなものだと思ってきた。
とはいえ、自分以外の女性に手を出すとは、釈然としない。
それに、遊ぶのなら、どうしてもっと上手くできないのか。
浮気なんて、所詮、家庭の問題であり、モラルの問題だが、ここまで公になってしまうと、方々に頭を下げて回らなくてはならなくなり、それは、妻である衆子の務めになる。
いろんな意味で、妻の不徳の致すところと言う訳だ。

再びスマホが鳴り、慌ててソファから拾い上げると、義母からの電話だった。
すぐに来るようにと言う呼び出しだ。

自宅から、歩いてすぐの夫の実家に行くと、義母が不機嫌な顔で迎えた。
延々と小言が続くのだろう・・・衆子は、ここでもひたすら頭を下げ、時が過ぎるのを待つつもりだった。

案の定、義母は「妻がしっかりしないから、こういうことになる」と衆子を責めた。言いたいことはたくさんあるが、衆子は「申し訳ございません」と言って頭を下げた。
義母は、「反省は態度で表さなくてはならない。頭を丸めるくらいの覚悟を持って回ってきなさい」というと、「あなたも、今日は忙しいだろうから」と言って、衆子を解放した。

思っていたより早く解放され、衆子は、足取りも軽く義実家を後にした。

それを見計らったかのように、再び、秘書から電話だ。
今夜、後援会長のところへ行くから用意をするようにという。
衆子は、いつもの通り、ダークスーツにアクセサリーは付けず、化粧は薄目にという忠告だと思い、返事をすると、「床屋の手配は必要ですか?」と聞かれた。
床屋?なぜ、床屋なのか?
衆子が聞き返すと、幸子さん、つまり義母から聞いていないかと反対に聞き返された。
「えっ・・・」
衆子は、義母の言ったことは、てっきり「それくらいの気持ちで」という、精神的なことを言っているのだとばかり思っていたが、本当に頭を丸め、坊主頭を下げて回れということらしい。
秘書は、はっきりした答えのない衆子にしびれを切らし「床屋を手配しますから、場所と時間は追って連絡します」と言って、電話を切ろうとした。
衆子は、慌てて「自分で行くから、床屋はいらないわ」と電話口に叫んだ。
秘書は「6時にお迎えにあがりますから、それまでに必ず準備を整えておいてください」と念を押すと、電話を切った。

衆子は、もう何も考えられず、感情が追い付いていかない。
夫の不始末を詫びて回らなくてはならないだけでなく、反省を込めて坊主になれなんて・・・しかも、どうやっても逃れることなどできるわけがない。
時計は、午前11時を少し過ぎたところで、あれこれ考えている時間すらない。
衆子は、行きつけの美容院に電話をすると、無理を言って早い時間に予約を入れてもらった。

いつもなら、車でさっと行ってしまうが、今は、自分で運転できる自信も、一人で車内の静寂に耐えらえる自信もなく、電車に飛び乗った。

予約の時間は、刻々と迫ってくるが、少しでも時間を稼ぎたいとの心理が働くのか、一つ前の駅で降りて、敢えて人通りの多い道を通ってみた。
平日だというのに、通りは若い子で溢れかえっている。
修学旅行生なのか、ちょうど美千代と同じくらいの歳の子たちが楽しそうにしている姿を見ると、衆子は、急に、胸が締め付けられるような思いがした。
自分が坊主になったら、美千代はどう思うだろう・・・
きっと、父親のこともすぐに知ってしまうだろうし、頭のいい美千代なら、すぐに全てに気づいてしまうだろう。
多感な年頃の美千代のことだけが気がかりだが、そう思えば思うほど、母親の自分がしっかりしなくてはいけないと思い、なんとか自分を保つことができた。

覚悟を決めて、美容院のドアを開ける。

通いなれた店のはずなのに、いつもとはまるで違う景色に見える。
アシスタントの李帆が通してくれたのは、店の奥にある個室で、衆子がこの部屋に入ったのは、ずいぶん前に1度だけ。
地元に引っ越す前に、生まれて初めて短く刈り上げたショートカットにした時だった。
ほどなくして、スタイリストの歩子が入ってくると、ドアをピタリと閉め、部屋の中には、衆子と歩子、李帆の3人だけになった。

衆子が「急に、本当にごめんなさい」と謝ると、「気にしないでください。ちょうど、この部屋も空いていたし、いいタイミングでよかったです」と微笑んだ。

とうとう、この時が来た。
義母の家を出て、2時間も経っていないが、衆子は、自分の口から言わざるを得ない時がきた。

「実は、事情があって・・・・坊主にしてほしいの・・・・」と精いっぱいの気力を振り絞って衆子が言うと、歩子は、黙ってうなずき、答えた。
「精一杯、やらせていただきます」

普段、この3人が一緒になれば、賑やかなおしゃべりタイムが始まるが、歩子も李帆も、必要以上に踏み込んでくることはなく、衆子も、ここにいる時だけは、一人の女性として心からリラックスすることができる。歩子や李帆の方が、だいぶ年下だが、心から信頼していた。

歩子は、美容院にしては、ずいぶんと大ぶりなバリカンを持ってきた。
「たぶん、長い髪がなくなっていく時が一番辛いと思うので、さっと刈ってしまってから、ハサミで整えたいと思うんですが、いいですか?」
歩子の心遣いが本当にありがたく、衆子は、声を出すと涙が溢れ出しそうになり、黙って頷き、目を閉じた。

歩子が、「衆子さん、ここには私たち3人しかいませんから。我慢しないで思いっきり泣いてください。我慢しないでくださいね」と言って、バリカンのスイッチを入れるとジーというモーター音と、刃の動くカタカタという音がし、「いきますね」という合図とともに、おでこのあたりがくすぐられるような感じがして、一気につむじのあたりまで移動してきた。

「あー。もう後戻りできないんだ。坊主になるんだ」
と、衆子は、不思議な感覚の中にいた。
バリカンの音と、頭が軽くなっていく感覚があるだけで、刈られた髪が落ちて行く音や重さを全く感じない。
後で知ったことだが、衆子が、長い髪を失う感覚を少しでも感じないよう、歩子が刈った髪を李帆が受け止めていてくれたのだった。

明かに頭が軽くなり、バリカンのスイッチが切られると、衆子は、恐恐と目を開けた。
鏡に映る自分の姿に、一瞬、ぎょっとした。
頭の形そのままに、真ん丸な坊主頭の自分の姿が映っていた。
「うわぁあ・・・」と苦笑いすると、「衆子さん、頭の形キレイだからここまで短くしても似合ってますよ。でも、これから、もっとカッコいいバズカットにしていきますから!」と言って、歩子は、衆子の坊主頭をハサミと櫛を使って更に短く刈り込み始めた。
衆子は、更に短くなっていく自分の頭に不安になり、思い切って聞いてみた。
「坊主とバズカットて、何が違うの?」
歩子は、手を休めることなく答えた。
「意味は同じです。でも、坊主ていうと、女性がするには、ちょっとという感じもするんですけど、バズカットというと海外セレブがしていたりして、おしゃれな感じなので、衆子さんは、バズカットにしますね」

どんどん短くされているにも関わらず、バリカンで刈っただけの坊主頭よりも、ずっと女性らしさがあり、スッと馴染んでいくような不思議な感覚だった。

「ロングヘアのエレガントな衆子さんも、もちろん素敵ですけど、ここまで短く刈り込んだバズカットも、とってもお似合いです。意外かもしないですけれど、しっかりメイクをすればスーツもドレスも似合うし、とってもセクシーですよ!」
そういうと、歩子は、大きな鏡を出して、衆子の後ろ姿を見せた。

際を短く刈り、トップに行くほど長さを残したバズカットは、歩子が言う通り、とてもセクシーだった。
衆子は、手を伸ばして自分の後頭部を触ってみると、シャリシャリとして、なんだか気持ちよかった。

夫や息子たちは、きっとなんとも思わないだろう。
もしかしたら、私が坊主になったことすら気づかないかもしれない。
でも、衆子はそれでもいいような気もしてきていた。
歩子が心を込めて切ってくれたスタイルを自分も気に入ることができて、変りたかった自分に変われたような、少し自信が持てたような気がして、美容院を出ると、前を見て、胸を張って歩けるようになっていた。

夜、後援会長の元へ向かうために夫と合流すると、衆子の頭を見た夫がたじろぎながら「なんて頭にしたんだ」と言ってきた。
「お義母さまが、頭を丸めて謝りにいけ、ておっしゃったから」というと、夫は黙ってしまった。

家に帰るとどっと疲れが押し寄せてきた。
明日からは、衆子一人で、頭を下げて回らなくてはならないが、なんとかできそうな気もしている。

ふとスマホを見ると、とんでもない数のメッセージが入っていた。
全て、美千代からだ。
どうやら、向こうにいる秘書から、事の顛末を聞いたようだ。

「お父さまなんて、だいっきらい!」
「サイテー」
「顔も見たくない」

散々な言われようだ。
そこに続くように、
「ママ、大丈夫?きっと、大変だよね。無理しないでね。」
と優しい言葉が続いた。
衆子は、髪を切ったことは、会って伝えようと思った。
今なら、明るく言えそうな気もしたが、どんな風に伝えても美千代にショックを与えてしまうことに変わりはないのだから。

「みいちゃんも大変になっちゃって、ごめんね。週末には戻るので、もう少し待っててね!」
と送ると、送られてきた!!大量のハート!

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ママ、大好きだよ!
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