見出し画像

カウンセリング役に立たなすぎワロタ

 今日、人生で初めてカウンセリングを受けた。

 前々から学校が苦痛に思っていたり、失恋したり、親からのプレッシャーだったりで、どうにもならない鬱屈を抱えていた。それに追い打ちをかけるように、高校で一番信頼していた友達からいきなり拒絶された。

 いつも移動教室で一緒だったのに、なんなら向こうから一緒に行こうという感じだったのに、いきなり何も言わずに移動してしまっていたからびっくりした。それで、単刀直入に「嫌いになったの?」と聞いたら、(個人的には冗談めかしていたつもりだったけど、失敗していたかもしれない)移動教室も帰りもいつも一緒っていうのはどうこうみたいなことを言われた。確かに鬱陶しいかもな、とは思う。が、正直タイミングが最悪だ。なにせそのときの私は世界のほとんどが自分の敵に見えているような状態だったのだ。彼女は悪くない。タイミングが全て悪い。

 で、咳も止まらないし、保健室に行った。そしたら相談室に通され、休ませてもらった。過呼吸気味になって、涙が止まらなかった。自分のほとんどを打ち明けて、大学に行っても続く仲だろうなと信じて疑わなかった相手からの拒絶は、真っ当なものであろうと弱った心には大きすぎた。

 いろいろつらくて仕方ない、ということを保健室の先生に話すと、カウンセリングをすすめられた。ちょうどスクールカウンセラーの人が来ているから、すぐに予約をとった。

 二時間半後、私の番がきた。カウンセラーの先生は男性だった。異性に対し若干の恐怖感があるので、ちょっと緊張した。しかし、話してみるとその類の緊張はほどけていった。

 ただ、話せば話すほど、次第に期待は薄れていった。というのも、カウンセリング時間は50分に限られているのにも関わらず、今どんなことが辛いのかは聞かず、私が小学校から中学、高校にかけてどんなことを経験してきたかとか、どんなものに興味を持ってきたかとか、そんなことばかり聞いてきて、いつのまにか時間切れとなった。

 おそらく、正しいカウンセリングには相談者がどんな人間か、きちんと知る必要があるのだろう。きっと、今日だけじゃなく、もっと時間をかけて、腰を据えて。そうじゃないと、適切なアドバイスができない。ああ、確かに真っ当だろうさ。だけど私は、今すぐにどうにか助けてほしかったのだ。明日は模試がある。私を拒絶してきた友達と、顔を合わせる。最悪だ。カウンセラーさんに相談すれば、魔法みたいに全て解決してくれるんじゃないかという淡い期待を抱いていたが、バカか私は。カウンセラーだって人間だ。

 最後に、なんでも願いが叶うなら何を叶えてほしいか聞かれた。こんなことを言う人は心配です、という記事をネットで見たなと思いながら、「私の存在をみんなから忘れさせた状態で、消えてなくなってしまいたい」と答えた。それは真実私の願いでもあったし、こう言えば、血相を変えて、全身全霊で心配してもらえて、全てから隔絶された場所に半ば強制的に入院させてもらえるかなと思ったのだ。

 そんなことは起こるはずもなく、ただ心配はしてもらえたようで、次のカウンセリングの予約を入れさせられた。二週間後だった。いやそんなに待てるかいな。

 失望だけを胸に残し、足早に相談室から去った。一年生の教室で帰りのSHRが行われるのを横目に、同じクラスの生徒と出くわさないよう祈りながら、早々に学校を出た。

 歩きながら、だんだんと思考が整理されてきた。やっぱりカウンセリングは何も救ってくれやしないということを再確認すると同時に、今度は惨めな思いが胸にのぼってきた。

 当たり前だけど、私が相談者である以上、相手の方が立場が上だ。自分より上の人間と話すのには、とてもとても、エネルギーを使う。自分より上の人間に素直な思いを打ち明けるのは、なおさらだ。弱みを晒した以上、立場の差はより明確になる。

 こういう考え方がいけないのだとつくづく思う。自分より上とか下とか、自分以下の人間としかまともに話すことができないとか。みんなが自分を嫌っているように見えるのも、自分がみんなを嫌いなことの裏返しでしかない。そんなこと、誰よりもわかっていたのにな。

 もう、カウンセリングは受けないと決めた。逆にストレスになる。私は他人に救ってもらうには少しプライドが高すぎた。そもそも他人に救ってもらおうという姿勢が間違いなのだ。私たち一人一人を取り囲む現実は、もやがかかって、重苦しく、赤の他人一人がどうこうできるものじゃない。自分の問題には結局、自分一人で孤独に戦い続けるしかないのだ。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?