ゴマすりの、成れの果て

 自分より偉い人にゴマをすった経験、だれでも1度はあると思います。
揉み手をしながらお世辞を言ってみたり、上司の好物をサプライズで送ったり、人によってさまざまな方法があると思いますが、真冬に上司の家の庭にある池にふんどし1丁で入ってドブさらいをした強者がいました。

 すでに半世紀以上前のこと、わたしの父親が若いころ勤めていた会社に、Aさんという出世欲が非常に強い人がいたそうです。当時の会社は年功序列と身分と出身によって、出世できる最高位の階級があらかじめ決まっているルールがあったために、Aさんはどんなに頑張っても経営陣には仲間入りできない身分でした。悔しさのあまり、ならばせめて御用達として社長の隣に立ってみせると決意したAさんは、まず社長に自分の顔を覚えてもらうことから始めました。
 社長を送り迎えする運転手と仲良くなって社長の仕事予定を聞き出しては本人に会えるよう、自分の仕事の合間になにかと用事を作って社長室の前を頻繁にウロウロするようになりました。
 そして毎年のお盆やお正月にはかならず手土産を持って社長宅へご機嫌うかがいに行き、自宅を誉め、庭を誉め、出された料理のひとつひとつを誉めるのが毎度の事でした。仕事でもプライベートでも社長に尽くし、なんとしても引き立ててもらおうと必死にゴマをすったのです。

 数年後に社長が職場へかわいい孫を連れてきたときには真っ先にAさんがすっとんでいき、お茶菓子やジュースを出しました。しかし大人のお茶菓子が子供の口に合うはずがなく、そうなるとすぐさまAさん自身が近所のお菓子屋へ駆けていくので、職場の人たちも
「ゴマすりもあそこまでやればたいしたもんだ。」
「サル(豊臣秀吉)ほどのかしこさと上品さは無いが、あの図太さと根性はなかなかのもんだ。」
と、呆れつつもそれなりに認めていたそうです。

 そんなこんなでいつのまにか20年経ったある年のお正月、いつも通りAさんが年始のご機嫌うかがいに社長宅へ行くと社長が自宅の庭のことでグチをこぼしたのです。
「年末にな、うちの植木屋がタチの悪い風邪をひいちまってなぁ。庭の池のドブさらいができなかったんなぁ、鯉の元気がねぇんだわ。どうしたもんかなぁ。」
 それを聞いた瞬間、これはチャンスとばかりにAさんは叫びました。
「わたくしがやりましょう! わたくしにおまかせください!」
 その場で服を脱ぎ、庭師から借りたスコップをかついであっという間に、庭の池へ飛び込みました。唖然する家人にかまわず池から掻き出した大量の泥をエッサホイサと庭の片隅に運んでから刻んだ藁を混ぜていったのです。
 池から上げた泥は水分を多く含んだ泥なのでほったらかしにするとゆるゆると崩れて庭全体に広がってしまいます。それを防ぐために社長宅の近所を駆け回って乾燥した藁束を集め、細かく刻んだものをよく混ぜあわせて藁に水分を吸わせ、くずれないように固めて一件落着。

 後日、事情を聞いて泥を引き取りにきた植木屋はその手際の良さに関心し社長にこう言ったそうです。
「新年のあいさつに来ただけの者が真冬の池にふんどし1丁で、しかも自ら名乗り出て泥さらいをやるなんて正気の沙汰ではない。しかし社長のためにそれを実行してみせるほど忠義のあつい部下をお持ちとは素晴らしい。自分もそのような部下を持ってみたいものです。」

 この言葉が社長を非常に満足させたようでAさんは社長直属の御用達へと出世しました。出世を決意してから20年、ようやく念願の地位に、それもAさんが出世できる最高位の地位に就いたのです。

 普通ならばゴマすりだけで出世しやがってと足を引っ張る同僚が出てくるものですが、同僚たちは20年間Aさんがどれだけ頑張ってゴマをすり続けたかを見てきたので、異議を唱える者はひとりもいなかったそうです。
 むしろ、ある人はかわいそうにと憐れみ、ある人は一途な思い込みとは恐ろしいものだと呆れ果て、嫉妬の対象にすらならなかったとか。

 Aさんの出世に対してだれもケチをつけなかったのは、すでに先が見えていたからでした。社長は加齢と体調を理由に、今年の3月末で現役を退くと会社のみんなが知っていましたが、知らなかったのはAさんだけでした。
いいえ、聞いていたけれども本気にしなかっただけ。
 社長に取り入って顔を覚えてもらい、ひたすら尽くして尽くして尽くし続けることが出世への道だと頑張っていたAさん。まわりからお世辞野郎だの、金魚のフンだのと陰口を叩かれてもへこたれず、なんとしても出世頭になってみせると意気込んでいました。社長退陣の話も、自分に嫉妬している同僚たちが好き勝手に広めているデタラメだと信じきっていたのです。

 もちろん、職場のなかには
「社長退陣の話は本当だからおまえも社長直属の御用達ではなくなる。自分のつぎの進路を探したほうが良いぞ。」
と、Aさんに忠告してくれた人もいました。しかしまわりが何を言っても聞き入れなかったAさん。
 社長室に呼び出されて、社長本人の口から
「こんな老いぼれに尽くしてくれて感謝している。息子である次期社長にお前のことをよく話しておくぞ。今まで本当にありがとう。」
と言われて、そこで初めて本当に退陣してしまうことを理解して・・・。
放心状態になってしまったそうです。


 具体的にどうなったのかは聞きませんでしたが、なんとなく想像がつきます。現役社長が退陣する。じゃぁ、次期社長に取り入ろうでは遅いのです。次期社長にはすでに10年以上かけて信頼関係を築き上げた、Aさんとは別の御用達がいましたから。それも御用達ではなく社長秘書という肩書を持っていました。

 Aさんが放心状態になった理由のひとつに次の社長秘書が女性だったこともあるのでしょう。当時は完全な男尊女卑の時代ですから、自分が20年かけてようやく手に入れた地位をわずか3ヶ月足らずで失うだけでなく、その地位を『女』に取って代わられることに我慢ならなかったのです。
 放心状態になった翌日、復活したAさんは社長室へ駆け込むと社長に詰め寄りました。
「女を御用達に据えるとは何事ですか!女に御用達が勤まるわけがない! すぐに結婚していなくなってしまうでしょう! ならば自分を次の御用達するべきです!」

 ところが社長の口から語られた事実は、この社長秘書の女性は次期社長の奥さんでもあるというのです。すでに次期社長と結婚しているということを知ったAさんはますます激昂して
「ならばなおさら自分を御用達に! その女は子供ができたら辞めるはずですから、無駄な時間をかける必要はありません!」

「いや、もう子供はいるんだ。お前も何度か会っているだろう。ここに連れてきたとき、お前が孫のためにお菓子を買いに行ってくれたじゃないか。」

 孫? 確かに社長が小さな男の子を2人、孫だと言って連れてきたことがある・・・。黒胡椒のせんべいを出したら食べなかったので、自分が近所のお菓子屋へケーキを買いに行った・・・。 はぁ? あの子たち?

 社長は目を細めて遠くを見つめながら言いました。
「早いもんだなぁ。あのとき上の孫が5歳、下の孫が3歳だったのを覚えているか?あれからもう20年だ。」

 社長の息子である次期社長は18歳で結婚し、19歳で長男が生まれました。その2年後に次男が生まれ、その3年後に双子の女の子が生まれて2男2女に恵まれたのです。
 次期社長の奥さんは、社長の大口取引相手である電気会社の一人娘で19歳のときに嫁いできました。その後4人の子を産み、次期社長の相談役をしつつ家庭を円満に回してしていました。
 しかしこの奥さんは経済の動向を見極める目を持っており次期社長の相談相手として仕事のアドバイスをしていましたが、やがてこの奥さんが会社の実質的な経営者になるなど見事な経営手腕を発揮し始めました。
 それを見ていた社長は息子を後継ぎとしながらも経営は義理の娘に任せた方がうまくいくことを認めて、女でありながら経営に参加できるように取り計らったのです。会社役員やほかの経営陣を納得させるため、義理の娘に 『社長秘書』 という肩書と役職を与えて表向きは夫婦二人三脚で会社を盛り立ててしていくように命令し、実際は次期社長である息子のうしろから義理の娘が経営を取り仕切れるように整えたのです。

 だからこそAさんに残られたら困るのです。社長が引退するときに一緒に御用達を引退してもらわなくてはなりません。Aさんの仕事能力はそれほど高くないために社長の第一秘書としては使えず、それでいてプライドと出世欲だけは飛びぬけて高く、社長のためなら進んでドロをかぶってくれるほど何でもやってくれます。使いどころを間違えなければ非常に有能な人材ですが、これからの時代にはもう必要ない人材であることも確かでした。
 そんなわけで社長直属の御用達という肩書をチラつかせながら、引退間近まで小間使いとしてコキ使って最後の最後に、念願の社長直属御用達に出世させ良い思いを味わわせてから引退してもらう筋書きを予定していました。
もちろん、その後の生活に困らないように多めに退職金を包んで・・・。

 それでも社長は分かっていました。Aさん自身は引退する気が無く、すぐに社長へ抗議してくるはずです。しかしAさんがどれだけ抗議したところで社長も経営陣も、次期社長が夫婦二人三脚で経営に参加していくことを認めたためAさんにはその決定を覆す権力がありません。
 Aさんが次期社長の御用達になれる可能性が完全になくなった事と、プライドの高いAさんが今さら社長直属の御用達以外の仕事を素直に受け入れて働く可能性も0%に近いことでしょう。そうなるとAさんの次の行動も予想できます。
 社長は会社のトップを次期社長夫婦に譲るために、最後の汚れ役は自分が引き受けると覚悟を決めていたようです。

 やわらかい日差しのなかで桜の花びらが舞う春、新年度が始まって1か月が経ちました。社長室の一角に先日引退したばかりの社長の遺影が飾られています。遺影の中でおだやかな表情をうかべている社長とは対照的に、それを見つめる次期社長と社長秘書はきびしい表情を浮かべていました。

 Aさんが社長へ抗議しに行ったときに、社長はAさんに今まで尽くしてくれたことへの感謝と、退職金などできるだけの取り計らいをするから一緒に引退してほしい旨を説得したのですが、納得いかないAさんは大理石で作られた灰皿をつかんで振り上げ、何度も何度も社長に振り下ろしたそうです。

 警察の聴取でAさんは
「20年間、尽くして尽くして尽くし続けた結果がたったの3ヶ月で引退なんてどうしても納得いかなかった。女が後継ぎになるなんて社長に考え直してほしかった。」


 時代が時代だったといえばそれまでかもしれませんが、話の最後に父親がわたしに言いました。
「あの人もかわいそうな人だった。いいか、出世することだけが人生じゃない。人に使われるよりも自分で自分を使うようになれ。」
 憐みを含んだ悲しそうな声色が忘れられません。

                             おわり

 

 
 



 


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