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本物のギャンブラーへ

 父親が慢性心不全で亡くなった。
父親は若いころタバコを毎日1~2箱吸っていたせいか、60代のとき心筋梗塞を起こして緊急手術を受けた。それ以来タバコをやめたけど70代になってから心不全で入院してまた手術をした。そのあと加齢による慢性心不全が悪化していき、最後は腎不全を併発して眠るように亡くなった。

 父親は本物のギャンブラーだった。
30代のとき、いきなり会社勤めをやめて株の相場師1本で食べていくと決めたそうだ。このとき私は保育園の年長組だったが、父親は当時勤めていた電気会社を退職したあと、毎日ずっと家にいてダイヤル式の黒電話を片手に売った買ったとやっていたのを覚えている。

 父親は生まれつき、天性のギャンブルの才能を持っており勝負師としての直感力と、勝負事の見極めどころがずばぬけていた。視える人からはこんなことを言われた。
「あなたのお父さんはツボ振りのツボとサイコロだね。直感力がすごいね。お父さん、すごく勘が良いでしょ?」
 
 たしかに父親は勘が良い。パチンコ屋へ行くと台を見ただけで出るか出ないかがなんとなく分かったそうだ。もちろん情報を拾う目もずばぬけていたけど、それ以上にとにかく勘が良かった。パチンコの勝率は7~8割ぐらいだったらしい。父親がパチンコ屋へ行くときは私に、おこずかいを投資するか?と声をかけてから行くことが多かった。
 私が自分のおこずかいを500円~1000円あずけるとほぼ毎回2倍になって返ってきた。しかし時々
「今日はパチンコの神様に全部取られちまった。仕方あんべぇ。」
と、なにも返ってこないときもあった。
 だからパチンコ屋の店内には神社のような境内があって、そこに大黒様のような顔をしたパチンコの神様が座っていて、人間がお金を渡すとその日の気分でお金を増やしたり減らしたりしてくれるのだと、小さいときは純粋にそう信じていた。大人になってから父親にそう言ったら
「だからおまえは賭け事に向いてねぇんだ。世の中に悪人はいねぇと思ってんだべ?」


 父親は、他人が決めた物差しや暗黙のルールには一切興味なかった。
信じるのは『自分の目』と『信念だけ』を一途に貫いた人生だった。
 株の売買に関しても、良いものは良い。悪いものは悪い。ダメなときはダメ。 ものごとへの割り切りが人一倍早く、損切の判断も早かった。そのかわり『コレだ!』と決めたものにはなにがなんでも食らいついて離さない、頑固で貪欲なしぶとさも持ち合わせていた。

 ある日父親は、右肩下がりの低空飛行をしている銘柄に目をつけた。
それを買い取ろうとしたとき、証券会社の人たちはみんな口を揃えて
「あんなもん買うのはやめた方がいい。地獄に引きずり込まれるぞ。」
と、買わないよう説得した。しかし父親は
「いや、買う。俺は買うんだ。」
と、頑固に主張して買い取った。そして約10年後、地獄に落ちると確実視されていたその銘柄は買い取ったときの2倍に値上がりして利益が出た。さらにリーマンショックでトヨタとホンダが赤字に転落して日本経済が大暴落したとき、いち早く持ち直したのがその銘柄だった。株価はどんどん値上がりしてコロナ禍の不景気にも負けなかった。

 反対に、とある電力会社の株だけは絶対に買わなかった。
戦後の昭和時代、めざましい経済成長を続ける日本で電気冷蔵庫、電気洗濯機、電気炊飯器などさまざまな電化製品が大量に作られた。世の中が人力から電化製品に代わっていった時代、電化製品を支えたのが電力会社だった。日本経済がバブル期で沸いたときも、バブルがはじけて落ち込んだときも、世間一般の人たちが買い求めたのは絶対に揺らぐことない、とある電力会社の株だった。
 父親はマツシタデンキ、サトームセン、スカイラークなどを次から次へと買い占めていった。それを見ていた証券会社から何度も何度もしつこいほどに、とある電力会社の株も買ってくださいと勧誘を受けたが、父親の返答は一貫して
「あれはダメだ。絶対にダメだ! いずれ分かる。」
としか答えなかった。
 なにがダメなのか、なぜダメなのか、そもそもあれほど大きな電力会社が暴落するなんて絶対にありえないだろうと、その当時お世話になっていた証券会社から陰でさんざんバカにされていたそうだ。
「あいつは安定の電力会社を買わずにそこそこの銘柄ばかり買う臆病な腰抜け野郎だ。」
と、笑われていたらしい。

 その結果がどうなったか、答えが出た。
企業でもなんでもない一般庶民が、自宅で太陽光発電を使って電気を作り出せるようになった背景を考えれば・・・ねぇ。おそらく父親は技術進歩による太陽光発電が単なる家電として広く普及する未来が見えていたのかもしれない。
 いずれそうなることが分かっていたから、だから電力会社の株を買わなかったんじゃないかと思う。今となっては何が真実なのか分からないけどね。


 私の記憶のなかにいる父親は、毎日毎日ダイヤル式の黒電話を手元に置いて、難しい顔をしながら四季報と日系ビジネス、日経新聞を愛読していた。
しかもウチでたった1つしかないトイレに新聞を持ち込んで熟読し、電車通勤に追われる息子や電車通学に忙しい娘の、朝のトイレを大渋滞させて家族を泣かせ続けたガンコ親父だった。
 とくに思春期の娘は、毎朝しかたなく駅のトイレで用を足していたらいつの間にか駅員に顔を覚えられてしまい、恥ずかしくてしょうがなかった。
 お父さんの株予想は子供たちのトイレ事情のうえに成り立っていたのだと言ってやりたい。それがもう叶わないことも分かっているけど。

 そんな父親はお金に関する教育だけはとても厳しかった。
他人の前で金勘定するな。 人を見たら泥棒と思え。 相手が誰であろうと絶対に保証人になるな。 借金をするな。 買い物は現金払いで買え。 金を貸すな、借りるな。 貸した金は返ってこないものと思え。 金を貸すなら失っても惜しくない金額をくれてやれ。 分不相応なものを持つな、買うな、羨むな。 金で物を買えても、金で人や命を買うことはできない。
自分で扱いきれない金額を持つな。 金に振り回されるような生活をするな。 お前は賢くねぇから賭け事には絶対に手を出すな。 金が欲しけりゃ真面目にコツコツと働け。

 父親はケチではなかった。文庫本や図鑑、学校の勉強に必要なものはなんでも買ってくれたけど、おこずかいで買ったお菓子や漫画本が見つかると
「またそんなムダなもん買ったんか。もっと使えるもんを買ったほうがよかんべぇ。ろくでもねぇ。」
と、必ずといっていいほど毎回言われた。まぁ、こんなぐあいに散々言われたおかげで、金に狂う生活とは無縁の人生を送っている。

 父親が何度目かの入院をしたとき、母親にむかって
「あの世にゃぁ、金を持っていけねぇよなぁ・・・。」
と、こぼしたという。そして母親に、自分のサイフからいくらかのお金を渡して好きな物を買うといいと言ったそうだ。
「どうせあの世にゃぁ、持っていけねぇんだからよぉ・・・。」


 慢性心不全の末期症状で、医者からこれ以上治療できない状態と言われ、その次の日に旅立った。母親が言うには
「あの人はねぇ、あの世にまでお金を持っていったのよ。だってお父さんが死んだ日にね、お父さんが持っていた銘柄だけがぜーんぶ下がったんだから。それを見たとき、あぁ、この人はあの世にお金を持って行ったんだってすぐに分かった。最後の最後までお金の人生だったのよ。」

 呆れたような口調で話す母親はさっぱりとした表情と、やっぱりなという表情が半分づつだった。


                       おわり

 




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