様々な人種と、終わらない差別

 アメリカで人種差別によるリンチが犯罪と認められる法案が可決された。
この法案が1900年に初めて提出されてから1世紀ちかくも経って、ようやく可決されたのだ。肌の色が黒いというだけで大多数の黒人が無慈悲な暴力と殺人にさらされてきたアメリカの在り方に一筋の光がさしこんだ。

 アメリカでは肌の色による絶対的な人種差別がある。その差別意識は黒人だけでなく、黄色人種に対してもはっきりと向けられている。しかし日本人は小さな島国に住む単一民族であるせいか人種差別にうとくて、白人と黒人の関係性についてもそういうものなのだと受け入れきってしまっている節があると思う。
 
 私が小学校に入学したころ、母親に連れられて映画館で観た白黒映画、『風と共に去りぬ』の字幕版を覚えている。アメリカの南北戦争時代に白人女性のスカーレット・オハラが活躍する映画で、後世に残る名作映画と言われていたそうだ。
 しかし幼かった私にはスカーレットが黒人の召使に、大声で怒鳴りつけて命令するシーンしか記憶にない。そしてなぜか一番印象に残っているセリフは、黒人の召使がスカーレットについた小さな嘘がバレたとき、その召使に対して激怒したスカーレットの
「この嘘つき! ムチで叩いてやるから!」
という字幕だった。
 後世に残る名作映画であると同時に、白人が黒人をムチで叩くという動物のような扱いをすることが日常で当たり前のように行われていたと象徴する映画だった。

 私が中学生のときの英語の授業では毎回、日本人の英語教師のほかにもうひとり、アメリカから来たという補助講師がついたが金髪に青い目、白い肌の典型的な白人女性だった。その女性は当時の私たちに英語で言った。
「白人女性は黒人の男性にシャワーをのぞかれてもなんとも思わない。なぜなら黒人は牛や馬と同じで、動物にシャワーをのぞかれるのと同じことだから動物にハダカを見られてもなんとも思わない。」
 今の時代にこんなことを言おうものなら間違いなく教育委員会が出てくるだろうけど、まだ映画に白黒放映があった当時はこういうことをあたりまえのように公言していたのだ。日本人の英語教師も彼女の言い分を正確に通訳して生徒たちに聞かせていたし、まだ何も知らなかった私たちは白人とは、黒人とはそういうものなのだと刷り込まれていった。

 小さな島国に住んでいる私は、英語をしゃべるのはアメリカの白人だけという思い込みがあった。当時は外国人観光客が気軽に日本を訪れる時代ではなかったし、海外の映画やドラマはアメリカのものばかりで、それも白人がメインキャストとして出演して黒人は召使やワキ役でほとんどセリフがない役柄ばかりだったから、英語をしゃべるのはアメリカの白人だけと刷り込まれていったのだと思う。
 だからこそ高校卒業後に就職した会社では、外見が日本人と全く変わらない日系2世3世のブラジルから来た派遣社員が英語をしゃべっていたので、びっくりした。しかも彼らは英語だけでなく、ポルトガル語、スペイン語、フランス語で日常会話をしており、このときはじめて英語がアメリカの白人だけのものではないと実感したのだ。
 彼らから世界規模の広い世界を教えてもらい、自分がいかに世間知らずでいたかを自覚したのだ。


 日系ブラジル派遣社員は、あいまいにぼかす日本語を知らないので何でもハッキリと言う。その彼らが、世界でもっとも優遇されているのは外見が白人である者だと言い、どんなに賢くてもどんなに大金持ちでも、外見が白人でない者は負け組だと言い切った。
 そのように言った彼らの外見は日本人と同じアジア人そのもので、故郷のブラジルでは仕事も結婚も日常生活も、権力者以外は白人ばかりが優遇されるから生活しにくいのだという。さらに子供の誘拐が日常茶飯事なブラジルでは、自分の子供がさらわれても警察が本腰を入れて捜索するのは白人の子供と権力者の子供ばかりで、黒人やアジア人の子供は後回しにされることが多いそうだ。
 彼らのほとんどが言うには
「日本では子供が誘拐されないから、安心して子育てができる。」
「若いうちは治安が良い日本で子育てをして、子供が巣立ったらブラジルへ帰りたい。」
「日本人は外見での人種差別が白人ほどひどくないから住みやすい。」

 そう言っていた彼らも、このあと・・・。
リーマンショックで世界中が不景気になったとき、真っ先に解雇されたのは彼らだった。解雇通達を受け取った直後はみんなパニックに陥っていたのを思い出す。仕事がなければ日本で暮らせない。特に日本で就職したばかりの派遣社員は、渡航費用などを借金して日本に来たのに今、クビになったら借金まみれのままブラジルへ帰るしかないじゃないかと泣き崩れていた。
 彼らは直属の上司や派遣会社に解雇ではなく一時的な休業扱いにしてほしいと要求したが、なにひとつ受け付けてもらえなかった。そして解雇通達から1週間後、彼らは職場からいなくなった。
 当時の上層部は
「こういうときの為にクビにしやすい安い外国人労働者を雇っているんだ!クビにして何が悪いんだ!?」
と大声で話していた。経営陣としては正しい判断だったのだろうけど、現場としては色々と後味の悪い思いだった。

 インターネットが発達して、SNSやインスタグラムを誰でもあつかえる世の中になった今、英語も人種差別もどのように教えているのだろうか?

                          おわり

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