格上? 格下? そして婚活

 わたしが高校卒業後に就職した工場は日系ブラジル人の派遣社員が大量に雇われていた。
 彼らの間には独自のルールがあって、仕事の共用の道具を使う順番などにそれなりの力関係が反映されていた。それを見るたびにわたしは、仕事なんだから誰がどの順番で使ってもいいじゃないかと思っていたけど、彼らの間では絶対的なルールだった。

 その順番の格付け条件も日本語検定の取得階級や技能検定の階級、日本に何年住んでいるかなど、かなり細かかったのを覚えている。その中で男性も女性も日本人と結婚して、日本国籍を取得できたかどうかが大きな分かれ目だった。
 つまり日本国籍を取得できた人は仕事能力が低くても格上のグループに入れてもらえて、仕事道具などを優先的に使わせてもらえる。しかし日本国籍を取得できていない人は、たとえ日本語検定や技能検定が最上級でも、日本に長く住んでいたとしても、自動的に格下グループ扱いとなってしまう。

 さらに格上グループのなかでも日本人との間に子供を作って、その子供を日本人として日本の学校に通わせている人が偉いとされていた。さらにそのなかで次世代の受け皿になった人が一番偉いとされており、日系ブラジル人の派遣社員のボスとして敬われていた。
 つまり日本人と結婚して子供を作って、自宅に自分の甥っ子や姪っ子、その友達なども一緒に呼び寄せて共同生活をしながら、同じ派遣会社に登録させて同じ工場で働かせる。そこで日本語検定や技能検定の上級を勉強させて受験させる。そのついでに母国語であるポルトガル語や英語を自分の子供に教えさせて、かわりに子供から日本語の日常会話を教わるのだ。自宅では英語、日本語、ポルトガル語が飛び交っており、呼び寄せた友達によってはフランス語やスペイン語が飛び交うこともある。

 彼らの話を聞くたびに、小さな島国で育ったわたしは驚きの連続だった。
 いくつもの言語を 『勉強する』 という考え方ではなく、生活の一部として当たり前に学んでいく環境に驚いた。『勉強ではない』という考え方が存在すること自体に驚いたし、自分がいかに狭い世界にいるかを思い知らされた瞬間だった。彼らに
「わたしも今から海外へ働きに行けば英語も、ポルトガル語もペラペラになれますか?」
と、聞いたら
「あなたは日本人だから無理です。あなたは海外に行くべきではない。」
と、言われた。それも一人ではなくほとんどのブラジル派遣社員から、あなたは行くべきではないと言われてしまった。

 職場にいる彼らの大多数が口を揃えて言うことに、若い時は日本に住んで働き、子供が巣立ったらブラジルへ帰りたいと。
 日本に限らず、海外で働くことは必ず外国人として差別を受ける。現地人と同じだけ働いても給料が安かったり、踏み倒されたりすることもある。
 母国とは違う食べ物や生活習慣で大変な苦労もある。宗教上の理由で理不尽な扱いや命の危険にさらされるときもある。それでもあまたある外国のなかでは日本に住みたい。日本で働いて生活したい。理由はいろいろあるけど一番大きな理由は子供が誘拐されないから安心して子育てできるそうだ。

 誘拐されないと言われてもピンとこないことが顔に出ていたのだろう。
彼らはみんな笑いながら、わたしに言った。
「だからあなたは日本人です。あなたは海外へ行けません。」
と、何度も言われたことを覚えている。


 彼らの格上グループのなかに、マリーさんという女性がいた。
約30年前に日本人と結婚して、高校3年生の一人娘がいるマリーさんは色んな意味で大きな人だった。高く尖った鼻、パンチパーマのようなくるくるの巻き毛、体型も縦横だけでなく前後にも大きかった。そして考え方、価値観、懐の広さと肝っ玉、女性としての物事の見方、人間としての経験値と行動力など、なにもかもが大きい人だった。

 職場にいるときは誰にでも話しかけて、家族自慢、休日の過ごし方、日本人の長所短所など口から産まれたと思わせるほど、とにかく賑やかだった。日本語も堪能で、ほかの派遣社員が日本人と話したいときには通訳もしていたし、部長や課長からの信頼も厚かった。
 新しく来たばかりの日本語が得意ではない派遣社員にはいっしょに銀行やATMへ行って使い方を説明したり、市役所へ付き添って、さまざまな手続き書類の書き方を教えていた。
 そういうことは派遣会社の担当者もきちんと説明してくれるけど、言葉も文化も違う異国での生活は、マリーさんのようなビッグマザーが彼らの心の拠り所になっているようだった。

 マリーさんにとって、わたしが普通の人と少し違うと見抜いていたらしく、顔を合わせるたびに話しかけられた。マリーさんが言うには
「自分の娘よりも2~3歳年上だけど、この子は正直すぎるし、本人に悪意がない不愉快な言動が多すぎて危ない子だ。誰かがきちんと世間を教えてやらなきゃね。」
と、思っていたそうだ。

 朝、出勤してマリーさんに会うと
「じゃぁがイモ。お~はよう。あ~なたはちょぉっとおかしいね。今日もアンテナ立ったのぉ?」
 最初の頃は、子音が間伸びするような独特な日本語口調に慣れなかった。
このセリフを翻訳すると
「じゃがイモ。おはよう。髪型がおかしいわよ。今日も寝グセが立っているから直してきなさい。」

 日本に住んで30年、この職場に勤めて10年以上のマリーさんにとって若い日本人は娘や息子のようなものらしい。言葉はきついけど声と口調に優しさがにじみ出ているせいか、きつく聞こえないのだ。まるで母親が子供に言い聞かせているような、悪意やイヤミが一切ない柔らかさを感じる。
 マリーさんを含めた彼らは、日本人のように遠慮や謙遜、遠回しな言い方をしない。あいまいにぼかす日本語を知らないせいもあるけど常にストレートな表現を使うので、良いものは良い、悪いものは悪いと好き嫌いがハッキリしていて分かりやすい。
 マリーさんも、日本の車は小さいのばかりでイヤと言い、55歳になっても私はまだ女よ!と豪語し、若手の男性社員の挨拶『どうも。』に対して『どうもじゃぁないでしょぉ!あ~なたと私は友達じゃぁないのよぉ。きちぃんと挨拶しなさぁい。』とダメ出しをする。


 わたしが婚活で出会った今の旦那と付き合っていたときに、マリーさんにお願いして会ってもらったことがある。マリーさんは人を見る目があるし、なんでもハッキリ言ってくれるから信頼できるので、旦那がどんな人間か見てもらおうと思ったのだ。
 マリーさんと同じ職場の同僚、マリーさんと同年代のナディアさんにもお願いしてわたしと旦那、マリーさん、ナディアさんの4人でバイキング形式のレストランへ行った。
 旦那には、ブラジルから来た外国人の肝っ玉母さんだよとあらかじめ伝えておいたら、当日の席で自発的にレディファーストを実行してくれた。

 レストランのテーブルへ案内され、席に座ろうとしたマリーさんとナディアさんの椅子を、旦那が後ろから引いて着席を勧めた。
そうしたらナディアさんはビックリして
「日本の男の子がレディファーストしてくれるなんて!」
と、目を見張って驚いた。マリーさんは
「あ~なた、レディファーストを勉強してくれたのね。あ~りがとう。」
と旦那の手を取ってお礼を言った。

 各自で料理を取ってきて、さぁ食べようとなったとき突然ナディアさんが旦那に言った。
「あなた、自分で料理する人でしょ?そうでしょう?」
マリーさんも旦那に
「わぁたしも同じこと思ったよぉ。しかもとてもキレイよぉ。」
このセリフに旦那はビックリ! なぜなら初対面でほとんど会話もしていないのに、なぜ分かったのか不思議そうな顔をしているとナディアさんが大笑いした。
「お皿を見ればすぐに分かるわよ。ねぇ?しかもあなた、とっても几帳面な性格でしょ?よく分かるわ。」
「そうでしょ、そうでしょ。あ~なたは盛り付けがキレイだし、とても丁寧だからすぐに分かったよぉ。」
 確かに旦那は料理好きで、自分でいろいろな料理に挑戦したり、お皿の盛り付け方を研究しては、携帯電話のカメラで撮って職場の人に見せたりしていた。
 マリーさんもナディアさんも旦那のことを、自分の娘が彼氏を連れてきたという母親目線でと、旦那の人柄を見極めようと大人目線で見ていたそうだ。その結果が、自発的なレディファースト、同席する相手への気遣い、料理の盛り付け方、几帳面で誠実な性格など、会話をする前の行動や、たった1枚の皿に全部出ていたのを見てとったのだ。
 会話よりもはるかに雄弁な1枚の皿。それがバイキングレストランの良いところであり、同時にとても怖いところでもある。


 週明けに出勤すると、マリーさんとナディアさんから『早く結婚しなさい!』攻撃が始まった。
 あの男の子なら結婚しても大丈夫よ。おかしな人じゃないから安心よ。早くしないと・・・早くしなくてもいいかもね。あの子はたぶん女性に慣れてないでしょう?ガツガツ攻めてくる女性が嫌いなタイプだから騙されにくい人ね。真面目そうだし、慎重な奥手な子だから早くつかまえなさい。だってあの子も婚活なんでしょう?急がないとほかの女性に目移りしちゃうかもしれないよ。落ち着いてゆっくり時間をかけて、早くつかまえなさい。

 急げと言われたり急ぐなと言われたり、毎日2人からダブルスピーカーで聞かされて少し疲れた。でも間違ってなかったのよ。現在はその旦那と結婚して、平凡だけどとても穏やかな幸せな結婚生活を送っている。
 マリーさん、ナディアさん、その節は大変お世話になりました。 本当にありがとうございました。

                         おわり




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