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大切なものを失った。「本当の自分」で生きていなかったから。その⑤

私の中にあったのは「この生活はいつまで続くんだろう」という思いだった。

何もかも揃っていると思うのに。
なぜ自分は満足できないんだろう。
周りには、ご主人が家事や育児に全く協力的でなかったり、二世帯住宅ならではのストレスを抱えていたりというママ友もいた。
けれど、大なり小なりの問題がありつつも、みんなそれをきちんと受け入れて子育てを純粋に楽しんでいるように見えた。
私は明らかに、彼女たちとは心の置き場所が違っている。
彼女たちとはいろんな話をしたけれど、私は心に被せた厚手のカバーを外すことはできなかった。

2人目が生まれてからは、自分の食事もろくにとれない日が続いた。
下の子が寝たと同時に上の子と一緒に大慌てでお風呂に入る。
お風呂のドアを開けっぱなしにして、耳をそばだてながら自分と子供を洗う。
湯舟でゆっくり遊んであげることもできなかった。

もっと適当に、肩の力を抜いて暮らすことができたらよかったのだろう。
床を這いまわる子供たちのために毎日掃除をし、天気を常に気にして布団や洗濯物を干し、朝食後は夕飯の下ごしらえを済ませてから子供たちを遊びに連れていく。
そうしないと、自分の気が済まなかった。
「もっと手を抜いていいんだよ」
そう言われても、「きちんとした生活」を手放すことがどうしてもできなかった。
「そうしなければならない」と思っていたのではなく、「きちんと行き届いた空間」にいたかったのだ。
子供たちと遊ぶことよりも、そのことの方が大切だったのだ。
そんな自分のこともまた、責めずにいられなかった。

主人との溝も、当然のように埋まることはなかった。
家事と育児でクタクタになって、ようやく子供たちを寝かしつけた直後に帰宅する主人を疎ましく感じた。
異動して格段に忙しくなり、毎日疲れ果てて帰ってくる主人をねぎらってあげるべきなのは分かっている。
でも、そのときの私にはあまりにも余裕がなさすぎた。

2人目が生まれて1か月ほど経った頃だったと思う。
いつものように深夜に帰ってきた主人が、私の布団に入ってきた。
その日の私は、夕飯にバターロールをひとつかじるのが精いっぱいだった。
ようやく寝静まった子供たちの隣で、じんとする頭を横にして固く目を閉じていた。
主人に触れられ、じっとこらえていたが、涙があふれてきた。

それに気づいた主人は、キレた。

2人目がお腹にいるときからずっと我慢してきたのに、と。
その間、何の気遣いもしてくれなかった、と。

その夜から、主人は口を利かなくなった。
それからほどなくして、主人の浮気が発覚した。

主人の携帯を盗み見ることなど、それまで一度もなかった。
テーブルの上に無造作に置かれていたそれを覗く気になったのはなぜなのか、今でも分からない。
主人もまた、私が見るとも思っていなかったのだろう。
携帯にはロックがかかっていなかった。
そこには明らかな証拠が残っていた。
体ががくがく震えて止まらなかった。

驚くことに、主人はひどくうろたえ、謝罪した。
私は、主人の浮気は自分が原因だと思っていた。
ショックを受けたことには違いなかったけれど、彼を責める気持ちはわいてこなかった。
ただ、その後の彼を信じる自信が持てなくなっていた。
疑いの気持ちを持ち続けたまま一緒にいるのは、どんなにか苦しいことだろう。
信じたくても信じられない。こんな苦しさがあったとは。

もう、二人の間だけでは関係を修復することができなくなっていた。
私達は双方の両親を呼び、話し合った。

主人からは、浮気の事実について口止めされた。
将来、子供たちが知ったときにショックを受けてほしくないからと。
私は、だまってその申し出を受け入れた。

私の母は女性の立場から主人に意見をぶつけ、主人はそれに対して激しく反発した。
主人の母は大切な息子を傷つけられたという思いを、控えめながらもはっきりと口にした。
それぞれ自分たちの息子・娘の味方になり、それぞれ違う思いを抱きながら向き合った。

私達夫婦はそのとき、新しい家を建てているところだった。
上の子の幼稚園入園に合わせて引っ越しをする準備をしている最中で、家の間取りを設計士さんと相談し、建具の展示会に行き、幼稚園の下見にも通っていた。
そんな状況を見た上で、双方の両親は努めて冷静に対応してくれたと思う。
私はまたしても考える時間を与えられた。

主人ははっきりと言った。
「別れることになったとしても、子供たちは自分がきちんと育てるから。」
私の結論も、ほぼ出ていた。
当時3歳と0歳の子供を置いて家を出ることなど、やっぱり出来なかった。
どんなに辛くても。

数か月後、私達は家族4人で新居に引っ越した。
少しでも家の雰囲気が明るくなるようにと、主人は柔らかい黄色のカーテンを選んだ。
毎日眺めていたその黄色は、今も目に焼き付いている。

主人とは、お互いに歩み寄ろうと努力する日々が続いた。
けれど、夫婦生活についてはどうすることもできなかった。
「2週間に1度」という「決まり」を作って実行してみたこともあったが、当然のごとくうまくいかなかった。
主人はぎりぎりまで我慢を強いられ、私は次の約束日まで恐怖のカウントダウンをする毎日。
事が済んだ後、シャワーを浴びてから夜中の冷蔵庫を開けて大好きなバームクーヘンを口に押し込み、気持ちを静めた。

辛い時間に耐えたある日の夜、自分の中でぷつっと何かが切れた。
私、このままではおかしくなる。
はっきりとそう感じた。

そのときの私にできることは、家を出ることだけだった。
両親の不仲が原因で、子供たちの心に影響を及ぼすことだけは避けたかった。
夫婦が離婚すると、母親側が子供を引き取るのが普通だと考える人の方が多いと思う。
けれど私は、例え自分が引き取ったとしても、自分のような人間に子供たちをきちんと育てられるわけがないと確信していた。
主人もまた、子供たちを手放す気は毛頭なかった。

私にとって、主人はどこまでも強く、正しい存在だった。絶対に敵わない人だった。
そして、深い愛情を持っている人だった。
子供たちに対しても、私に対しても。

離婚届を提出してきたことを告げると、主人は私を抱きしめた。
「とてもすっきりした顔をしてる。これで良かったんだね。」

最後まで厳しく、強く、私を愛してくれた主人。
今でも、涙があふれてくる。

続く。

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