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出来なくても、間違えても、毎日ひたすら繰り返すことの効果。

新しい仕事を始めてきょうでちょうど3か月半が経った。

きょうは仕事休みの日。
普段通り朝4:30に目が覚め、6:30頃起き上がって洗濯機を回す。
昨日洗った食器を片付け、空になった食器カゴとシンク・コンロ周りを掃除して、使い捨ての布巾を取り換える。
そこでふと思い立ち、捨てようとしていた布巾を使って、ずっと気になっていた窓サッシの掃除を始めた。
古歯ブラシで土埃を取り除き、水を流す。
洗濯物を干す前にガラス窓も磨いてしまおうと思ったところで、霧吹きが壊れていたのを思い出して残念な気持ちで諦めた。

シンク掃除に使ったメラミンスポンジがまだ生きていたので、ほぼ毎日履いている白いスニーカーを磨こうと思い立つ。
その間に靴紐を漂白剤につけておく。
このあたりでようやくお腹が空いてきて、ご飯・お味噌汁・納豆・チーズの朝食を摂る。
締めのデザートは、破格の値段で売られていたシャインマスカット。
980円にしては粒も房も大きく生き生きとしていて、ここ数日の楽しみになっている。

夜のおかずとして高野豆腐の唐揚げ風を作ろうと思い立つ。
高野豆腐を水で戻して一口大に切り、だしその他の調味料を含ませて片栗粉と薄力粉をまぶす。
そこで包丁とスプーンの曇りに気づき、これまたメラミンスポンジで丁寧に磨く。
ついでに包丁と果物ナイフを軽く研ぐ。

サッシ掃除に使った布巾を他のゴミと一緒に袋にまとめて集積所に出し、洗濯物を干し、掃除機をかけ、畳のカビ防止のためアロマオイルを混ぜたアルコールをスプレーする。
早めに使い切りたい薄力粉で簡単なクッキーを作る。

ふっと浮かんできた「やりたいこと」を、気の向くままに、満足するだけの時間をかけてひとつひとつこなしていく。
どれも小さいことだけれど、自分のペースで自由に動いている自分を実感する。
エネルギーを取り戻した、というより、しぼんでいたエネルギーが膨らんで体中に充填されてきたという感じがする。
ほんの数日前までは、全く違う自分と共にいた。

酷暑が続いていた夏の間の休日は、掃除・洗濯・1週間分の食料の買い出しと作り置き・その他の最低限の用事を午前中に済ませ、あとの半日はひたすら寝るという過ごし方が定着していた。
それなりに時間ができても、頭も体もぼうっとして何もする気にならない。
暑さのせいもあっただろうが、集中力を日々の仕事で使い果たしてしまっていたようにも思う。

仕事の日は、「さっき朝の通勤電車に乗っていたのにもう帰りの電車に乗っている」と思うくらい、1日があっという間である。
そんな調子で1週間が瞬く間に過ぎていき、気づいたら1か月が終わっていた。
このまま1年が経ち、5年が経ち、知らないうちに還暦を迎えているのかも・・・
「生きるための仕事だけで人生を終えてしまうのか」というある種の恐怖心と寂しさを感じる瞬間さえあった。

手取り足取り仕事を教えてくれていた20代の女の子が7月末で退職した後は、業務が回らずパニック状態になることを覚悟しながら毎日びくびくしていた。
ところが、3日経っても、1週間経っても、大きな事件は起こらなかった。
もちろん、小さなミスや取りこぼしはたびたびあったが、ベテラン女性や他の社員さんに聞いたり自分で考えたりして何とか解決し、それなりに毎日を終えることができた。
それをひたすら繰り返すうちに、苦手だったことがいつの間にか出来るようになっていることに気づいた。
作業のスピードが少しづつ早くなって時間に余裕ができ、その分落ち着いて考えられるようになったので、作業の手順を変えてみたり、優先順位を入れ替えてみたりすることもできるようになった。

分かることが増えてきたので、取引先や社員さんとのやりとりも少しずつスムーズになってきた。
疑問や懸念、お願い事、困り事なども躊躇せず伝えやすくなり、ぐずぐず考え込んでしまうことが少なくなってきた。

1か月前くらいまでは「いつまで続けられるだろうか」「向いていないと感じるなら早めに見切りをつけるべきなのではないか」と日々悩んでいた。
仕事に行くのが怖い。
心臓がどきどきする。
毎朝抱いていたその恐怖が、いつの間にか薄らいでいることに気づいた。

出来なくても、間違えても、毎日ひたすら繰り返す。
そうしていたら、ここまで来ていた。
そんな感じだ。

出来なくても、間違えても、毎日ひたすら繰り返す。
それを可能にしてくれた、辛抱強く見守り続けてくれた方々の存在がある。

折りに触れて様子を聞きにきてくれる上司。
私の仕事の進捗を黙って観察し、絶妙なフォローをしてくれるベテラン女性。
私のミスの尻ぬぐいに奔走してくれる複数の社員さんたち。
退職した後も私の質問にLINEで&リアルタイムで丁寧に答えてくれる女の子。
そして、私の無職→就職を喜んでくれて、「仕事はどう?」とメッセージをくれる友人や先輩たち。
近くに住む年老いた両親もまた、さりげなく気にかけてくれている。

毎日頑張り続ければ何とかなる、と言いたいわけではない。
今の私は、たまたまそれが可能な環境に恵まれただけだと思っている。
実際、前の職場では、頑張り続けることが難しいと感じる環境だった。
今の職場は社員さんの異動が頻繁にあるようなので、環境はどんどん変わっていくであろうことは覚悟している。
今はただ、与えられた環境に感謝して過ごしていくことだけを考えている。

今の私の仕事は、毎週木曜日が一番忙しい。
明日はその木曜日であり、且つ、月初の仕事も重なっていて、さらにやり残している月末の仕事もある。
それでもたぶん何とかなる、と思えるようになったのは、「きょうやらなくていいことはやらない」を徹底しているベテラン女性のおかげである。
言葉をもう少し補うと、「今やるべきことだけをやる」ということである。
今の職場は次から次へと降ってくる仕事をこなしていくのが精一杯で、先回りしたり事前準備をする余裕はほぼないと言っていい。
けれど、「今」を確実に乗り越えていけば、先回りや事前準備は必須ではないとも言えるのだ。
私はトロくてイレギュラーな事態が苦手なので、先回りや事前準備がどうしても必要なタイプだ。と思い込んでいた。
その思い込みを捨てざるを得ない環境に置かれ、今まで使っていなかった筋肉を使って鍛えているという感じである。
この考え方は、もしかしたら私の人生全般に対する考え方にも影響を及ぼすかもしれないとも思っている。

きょうは久しぶりに「昼寝をしない休日」を過ごした。
ふっと浮かんだことを、気の向くままに、十分に味わいながらやってみる時間が訪れた1日。
こんな日を、こんな時間を、時折であっても取り戻すことができれば、自分はきっと大丈夫。
そう思えた。

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