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50代、無職生活、ついに脱出(たぶん)。

やっと、仕事が決まった。

無職になってから8か月が過ぎようとしている。
相当に長い時間だったはずなのに、振り返るとびっくりするほどあっという間だった。

パワハラ職場を辞めてすぐに次の仕事を紹介してもらったのは昨年9月の中旬。
けれど、面接でそれなりの手ごたえを感じたにも関わらず、結果は不採用だった。
その直後に家事代行会社の面接・研修を受けて無事通過し、おそるおそる仕事を始めた。
最初の依頼は、精神疾患を持っている女性が使用した後荒れ放題となってしまったワンルームマンションの一室の掃除だった。
部屋の持ち主且つ依頼者はその女性の叔母にあたる人で、私が到着するなり壮大な身の上話を始め、私はただただ圧倒され、依頼された3時間のうち実際に作業をしたのは1時間ほどだった。

彼女は初対面から私をとても信頼してくれた。
精神疾患の姪っこさんの話を聞きながら、私が過去に臨床心理士の資格取得のための勉強で得た知識をお伝えしたら「そんなことを知っている人、分かってくれる人は(自分の周りでは)なかなかいない」と言った。
彼女自身もまた、壮絶な過去の体験に囚われて苦しんでいた。
私は、彼女の口からあふれ出てくる言葉・感情をひたすら受け止めた。

それ以降は、数日おきにマンションに通い、話を聞き、部屋の片づけをして帰るというパターンができた。
そのマンションは仕事用に借りているもので、しばらくすると彼女は自宅のある地方都市へ帰っていった。

その後も彼女とのやりとりは続いた。
彼女は「みまりいさんのおかげで去年よりも体調がいい。ありがとう」と、繰り返し感謝の気持ちをメールで送ってくれた。
そして、この出会いをずっと大切にしていきたいとも言ってくれた。
(一時期は私を彼女の自宅に呼び寄せたいという話も浮上していた)
思い切ってチャレンジした家事代行での初めての出会いがこれだった。

それから5か月ほどは、失業給付に助けられながら家事代行の場数を踏もうと必死で働いた。
様々な出会いがあり、嬉しいことも悲しいことも同じくらいあった。
整理収納アドバイザーの資格取得のため通信教育も始め、動画でも勉強できると気づいてYouTubeにもハマった。

昨年からフリーランスという選択肢を勧めるメッセージに触れることが増えていた。
家事代行で出会った経営者の女性たちからも同様の話を聞き、これまでとは違う価値観を身に着ける必要が出てきたということなのかな・・・と思い始めた。

YouTubeを含めたSNSの世界に触れたことの影響は大きかった。
SNSを通して、世の中には本当にいろんな生き方や価値観があるんだなとしみじみ思った。
毎日電車に乗って同じ会社に行ってパソコンを打たなくても、お金を稼ぐ方法はいくらでもある。
「会社に行かずに稼ぐ」=「楽して稼ぐ」という考えに偏りすぎないよう注意することは必要だと思うけれど、「働き方」への思い込みははずしてみてもいいのかもしれないと思った。

では、どんな働き方が自分に合っているのか。
家事代行をやってみて分かったことは、「私は仕事を取りに行ったり依頼を待っていたりするのが辛い」ということだった。
私の場合はやはり、本業となる定期的な仕事を柱にして空いた時間を副業にあてるというスタイルが安心できるようだ。
子供たちの将来のための貯金をしたい、その一心で収入を増やすことに囚われていて無理のある仕事ばかりを選んでいた。
けれど、収入がそれほど多くなくても安心・安定して働ける方が、長い目で見ると結果的に多くの収入を得ることになるのでは、とも思った。
私よりずっと大変な状況にあるシングルマザーの方のように頑張れない自分を責めていたけれど、私には無理なんだ。
ようやく諦めがついた。

そこから改めて、家事代行と並行してできるフルタイムの仕事をひたすら探した。
決まったらすぐに働けるように、家事代行の依頼はしばらくの間セーブすることにした。

そうしたら、それまでほぼ定期的に通っていたお宅からの依頼が来なくなった。
もともとご依頼者様はベビーシッターも希望されていたのだが、このタイミングで掃除も料理も出来て私よりもご自宅に近い方が見つかったのだ。
私を信頼してくださっていたことが嬉しくて、これまで頂いたご依頼は全て引き受けてきた。
でも、片道2時間近くかかる通勤はやはり厳しかったので、理想的な方が見つかったことで私自身がホッとした。
ちょっと寂しい気持ちもあるけれど。

そうしたら、今度は某派遣会社から仕事の紹介が来た。
その求人は私の希望条件をほぼ満たしていたので、迷わず「お願いします」と答えた。
お話を頂いてから約2週間後、無事に採用通知を頂くことができた。
この2週間が無職生活の中で一番長く感じられたかもしれない。

そして。
採用の連絡をもらった日、幼稚園時代の幼馴染から連絡があった。
彼のお父様が歩行困難(要介護)状態になってしまったそうで、家事代行として食事の世話や掃除を頼めないかという相談だった。
彼の実家は私の自宅から歩いて行ける距離にあるが、彼自身は結婚していて家族もあり、住まいも遠く仕事も忙しいのでサポートすることは難しい。
彼は私が離婚したときから私をずっと気にかけてくれていた。
私自身の心にやっとゆとりができた今こそ恩返しができる、そう思った。


無職だった8か月の間、家から一歩も出なかった日も何日もあった。
「きょうも何もしなかった・・・」と自分を責め、朝から考えすぎて落ち込んで、這い上がれないまま夜になった日もたくさんあった。
そんな中でも、占いやHSP向けの動画をむさぼるように観て元気をもらったり、本の中の一節に励まされたりした。
noteを始めたのも、そんなもがきの渦中だった。

正直なことを言うと、文章を書くことを副業にするには?と考えたのがそもそものきっかけだった。
でも、一方的な発信で終わるのではなく「お互いの作品を読んで相手を知る」というコミュニケーションの方法の魅力を知って、noteへの向き合い方が変わった。
「読んでもらう前提」で書くことで、自分の考えや感じ方に変化が起こる事にも気づいた。

ここまでの無職生活がなかったら、noteの世界に出合うことはなかったかもしれない。
自分の人生が今よりももっとうまくいっていたら、noteを始めようとは思わなかったかもしれない。

暗黒の8か月・・・と思いきや、振り返ってみると意外と充実していたのかも。
ようやく、そう思えるところまで来た。
(またパワハラにあいませんように!(笑)

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