無が空性の関門をくぐり現す。
自然と呼ばれる営み。
万物がこれに当てはまる。
が、“私”が強いと自分が何者かを忘れ、
理から離れてしまう。
それでは何もしたことにならない。

呼吸を眺めるのが一つの助けとなる。
動かそうとしなくとも動く生命維持。
コントロールは不要だと気付くか。

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