見出し画像

さよなら僕の同性愛サロン。

同サロの歴史

かつて同性愛板という板が2ちゃんねるで栄華を誇っていた。
厳密にいうとまだ今も同性愛板という板は存在しているが、かつてあった同性愛板はかなりの住人がいた板であった。本当の同性愛者もいればおそらくネカマ的に楽しむ人もいれば同性愛者をバカにしたいだけの人もいただのだろうが、わりかし平和な板だった。しかし、ある日2ちゃんねるの運営により同性愛板は3分割されることとなる。理由は不明ながら同性愛、同性愛サロン、大人の同性愛に分けられるとかつての活況が戻ることはなかった。旧同性愛板でも行われていた同性愛者同士の雑談を担う同性愛サロンがその後は中心の板となりおそらく今も続いている。これがぼくの知っている同サロの歴史だ。

感覚の共有は宝

地方のゲイにとって全国のゲイとの感覚の共有はすごく尊いものだった。
街まで出てもゲイ雑誌すら目にすることのない人間にとって男のことから芸能人のことからありとあらゆる雑多なトピックスがあふれる同サロには本当にエンターテインメントしかなかった。
他の板のようにニュース的なことも書き込まれてはいたけれど、あの容疑者を護送している時の横の警察官かっこいいとかそんなどうでもいいけど本当にゲイがそこにいるんだという感覚の共有がうれしかった。
同サロの中でも長寿スレであったTKスレ(小室哲哉プロデュースアーティスト全般について語るスレ)には一番長くいたかもしれない。どんだけニッチな内容を語るんだと突っ込みたくなる内容ばかりで自分もまだまだ知らないことが多いなぁと世界の広さを感じたものだった。

同サロは僕の中に

そんないろんなものをくれた同サロと昨年お別れをした。2ちゃんねるから5ちゃんねるに変わったりこれまでも様々な変化はあったものの、あそこまで長い期間見れないことはなかったと思う。今までは見れなくてもしばらく時間が経てば見れていたのに。昨年10月の騒動では5ちゃんねると似て非なる「Talk」という掲示板までできたのでもうどうなっていくのかわからないからいいやと1ヵ月放置してしまった。
これまでならまたどうしても見たくなってどうにか見ようと努力しただろう。実際見る方法は調べて分かったし少し見たりもした。しかし、自分の中の熱量がもうそこまで同サロを求めていないことに気づいてしまった。
たぶんずっと見続けていていてもそれなりに楽しいのだと思う。でも、もういいかなって。
もう僕の中に充分すぎるほど同サロは染み込んでいる。その視点や感覚は僕の中に生きている。
同サロは僕の中にある。だからもう寂しくない。たぶん、きっと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?