ウォーリーに〇をした女の子。
僕の生まれた地区には同級生は二人しかいなかった。
一人はSちゃん。もう一人はCちゃん。どちらも女の子だった。
Sちゃんの家は僕の家からもほど近くずっと隣にいたようないわゆる幼馴染という感じ。
Cちゃんの家は同じ地区の中でも離れていてSちゃんよりは心理的距離も遠かったが、狭い田舎で3人しかいない同級生だしよく遊んだりしていた。
Sちゃんの家は田舎の家にしては狭くあまり綺麗な感じではなかった。
でも、おばさんはいつ行ってもやさしいしSちゃんのお兄ちゃんはちょっといじわるだが僕は嫌いではなかった。
一方、Cちゃんの家は大きくて階段のカーブも床の光り方も綺麗な家だった。田舎の家にしてはセンスが良い感じがとにかくしていて掃除も行き届いていた。Cちゃんの家は共働きだったのでおばあちゃんがいつもいたが、品があっていつもよくしてくれた。Cちゃんには弟がいたが、年下でかわいいと思いながらも拭いきれない生意気さを感じていた。
さすがに小学生高学年にはもう他の地区の男の子と遊んだりしていたので幼稚園から小学校低学年ぐらいまでだったろうか。
3人でよく遊んでいた。やはり女の子二人の遊びによく合わせていたと思う。姉が2人いる中で育ったのでそういうことも僕は自然にできた。
あまり男の子のプライドのようなものはなかったと思う。
そんなに喧嘩をした記憶もないし仲よく遊んでいたのだとは思うが、明らかな権力勾配が幼い3人の中にも生まれていた。
よく覚えているのはCちゃんの家に遊びに行った帰りにSちゃんとCちゃんに対する愚痴のようなものを話しながら帰っていたことだ。
Cちゃんはナチュラルにわがままを言える子だった。
なんとなく気が弱いSちゃんと僕はCちゃんのそれに従っていた。
自然とCちゃんが一番強くてSちゃんと僕が下にいるという構図ができあがっていた。何か出来事があったとかではなく自然に。
けれど、女の子同士で思うところもあったのだろう。
割と何でも受け入れてしまう僕に比べてSちゃんはCちゃんに対してかなり不満を持っていたように思う。
3人でも遊んでいたが僕とCちゃん、僕とSちゃんという風に二人だけで遊ぶこともよくあった。大抵僕がどちらかの家に遊びに行くという形だったと思う。おそらく女の子だけでも遊んでいたとは思うが。
その日もいつものように僕がCちゃんの家に遊びに行っていた。
Cちゃんが折り紙をやりたいと言っていたのでじゃあ今度来るとき持ってくるよと、約束していた小さい折り紙100枚ぐらいの束を持って行った。
うちの親は教員だったのもあり、そういう遊ぶものはたくさんあった。
家から持って行っても別に何か言われるわけでもなかった。
小さなミスドのバッグにたくさんの折り紙を詰めてわくわくして持って行った。
わくわくして持って行ったのに。
Cちゃんは折り紙を返してくれなかった。あんなにあった折り紙はバッグごとCちゃんのものになった。
僕は行く前に半分ぐらい上げてもいいやぐらいに思っていた。
けれど、Cちゃんに全部ほしいといわれたのだと思う。
何か言い返せばいいのに気が弱い僕はいいよと言って全部あげてしまったのだった。
Cちゃんの家からの帰り道。僕は悔しくて泣いた。
Cちゃんに対するなんでという気持ちと何より簡単にCちゃんの言いなりになってしまった自分の不甲斐なさが悔しかった。
その日もCちゃんに言われたとおりにウォーリーをさがせを4冊持って行った。僕が小1ぐらいにウォーリーをさがせがめちゃ流行っていたので親にねだって買ってもらっていたのだ。
まさかあんなことになるとは思わなかったので手持ちのウォーリーを全部Cちゃんに見せたくて持って行ったのだった。
一緒に見たというよりも貸してあげたという感じでその日は帰った気がする。
Cちゃんがうちに返しに来た記憶はないのでたぶん返してもらいに僕がCちゃんの家に行ったのだとは思う。
広めのCちゃんの家の玄関で受け取ったときになんだか嫌な予感はしていた。
案の定、Cちゃんの家の門から出てページを開くとウォーリーにしっかり〇がつけられていた。それも全冊に。しっかりと。
僕はあまりに信じられない光景にショックを大きく受けた。
そして、また泣いた。前よりもっと悔しくて。
泣きながら家でウォーリーにつけられた丸を消しゴムで消した。
〇は消えたがウォーリーの絵も薄くなってしまった。
それを見てもっと泣いた。
本当になんでこんなひどいことできるんだと。
もしかしたら僕が生まれて初めて怒りというものを感じた瞬間だったのかもしれない。
ウォーリーの件からはCちゃんとも遊ぶことが少なくなった気がする。
まぁ徐々に小3、小4となっていくと他の地区に歩いて遊びに行き男の子と遊ぶことが増えたので当然といえば当然の流れだった。
小学生も高学年にもなると地区の行事で会うぐらいになり、中学になるとほぼほぼ3人の交流はなかったと思う。
3人とももちろん同じ中学だったがクラスも部活も違えば本当に会うこと自体がなく全く違う世界にいたのだと思う。
高校生になってから少しSちゃんとCちゃんに会う機会があった。
僕は自転車通学だったが、2人はバスと電車の通学だったようで今はもうないうちの前のバス停で朝たまにすれ違っていた。
2人がバスを待っている前を僕が通り過ぎる。
笑顔で挨拶ぐらいはしたが、こちらも朝は忙しいしあまり話はしなかった。
久しぶりに見たSちゃんとCちゃんはしっかり女の子という感じで違う制服を着ながらも対等に女子同士の会話をしていた。
2人は僕よりもかなり大人になっているように見えた。
バス停の2人からもう20年以上。
SちゃんもCちゃんも結婚して子供がいるようだ。
Cちゃんに関しては同じ地区に新たに店舗兼住宅のおしゃれ美容室を立てた。こんなところに建てて客来るか?と思っていたが、それが意外とかなり繁盛しているようだ。旦那さんもちらっと見たことがあるが、おしゃれサーファー風美容師という感じでかっこいい部類だった。
一方、僕といえばふらふらふらふら何もない四十路男になってしまった。
現世では多分僕はCちゃんに敵わない。
いい相手もいい仕事もいい家庭も。
三つ子の魂百までとは言うけれど、持って生まれた気の強さとか弱さとか思っている以上に影響し続けそれに支配され続けるのだなと感じている。
気の弱い僕は気の弱いまま生きていく。たぶんそれしかできない。
ただ他人のウォーリーに〇を付けるような人間にはなりたくはないのだ。
それだけは強く思う。
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