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サンタフェと父。


街に元気のあった1991年

1991年は僕の小学校入学の年。子供ながらに強烈にチャゲアスなどの勢いのあるJ-POPに時代を感じていた。大分のような田舎でも街中の商店街には本屋がいくつもあってどこも賑わっていたのを覚えている。ある日、父とそんな本屋の中のひとつに入った。当時存在した大分東宝でゴジラの映画を見た帰りか何かだったのか、さすがに本屋だけのために街に出てきたわけではなかったと思う。その数日前ぐらいに父の広げた朝日新聞にサンタフェの広告が大きく出ていた。いや、自分だけで新聞を見て驚いたのだったかその辺記憶が曖昧だが、とにかくあの宮沢りえがヘアヌード写真集を出すという凄まじいインパクトだけは感じていた。
そして、本屋の入り口には平積みになったサンタフェが。サンタフェ入荷!!みたいな紙もあったような。ある種のお祭りだったような気がする。
僕はうわーこれがサンタフェかと恥ずかしがりながらも表紙をチラ見していた。そんな中、父が「買ってみようか」と僕に話しかけてきた。割とふざけたことも言うけれど真面目な教員の父が突然そんなことを言うので僕は驚いた。周りに人もいるからすごく恥ずかしかったのを覚えている。僕は顔を真っ赤にしながら無言で頷いた。父は「お母さんには秘密な」とも言った気がする。かくしてあのサンタフェが我が家にもやってきた。

全くチンピクしなかった裸婦像のような美しさ

家に帰り父は教員仕事の道具一式が詰まった事務机の一番下の大きな引き出しにサンタフェを入れ「ここにあるからいつでも見ていいよ」と言った。
それは父と息子の男同士の秘密だった。
小1の段階の僕はというと薄々と男が好き。というか大人の男性の体の方に興味を持ちはじめていたのは感じていて。けれど、まだ女の子をかわいいとか思う気持ちはあったし、普通に恋愛もできそうな気がしていた。
両親がいないことを確認してある日の午後、あのサンタフェを見た。正直なところ、全くエロさを感じなかった。まるで宮沢りえのそれは西洋画から出てきた美しい裸婦像そのもので変ないやらしさは本当に感じなかった。普通に考えれば大自然と女体だけというのはシュールなはずだが、そんな感覚もなかった。今となっては自分がゲイだからかとも思うのだが、本当にチンピクしなかったな。まぁ小1だからまだ立たないんだけども。
父はあれを見てオナニーしたのだろうか。仕事も忙しくて子供も3人いて祖母とも同居していたからそういうことはしたくてもできなかったのかもしれないが。

男同士の秘密の結末

今、父とは同じ屋根の下に暮らしながらほとんど会話はない。子供の頃は割と仲が良かったと思うが、自分自身がゲイだと自認してからこちらから距離を置くようになってしまった。
普通に酒を酌み交わして普通の父と息子をやりたかった。あの日の男同士の秘密も僕がストレートならいい笑い話になっていただろう。酒を飲みながらの思い出話にちょうどいいし。
でも、できない状況を僕が作ってしまった。繕ってそれっぽいことはできるかもしれない。いや、もうできないか。それぐらいの状況だ。
去年の夏、街中の商店街にあった最後の大型の本屋が潰れた。サンタフェを買った本屋はとっくの昔に無くなってもはやどこにあったのかさえわからない。
元気だった街とサンタフェと。若かった父と小1の僕。
二度と戻れなくてもあの頃を思ってしまう僕がいる。



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