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9/19 晴
9月も後半に差し掛かり、日によっては涼しいこともあるが、
まだまだ茹だるような暑さが続き、うんざりする反面、夏が終わってしまう寂しさも感じる今日この頃である。
4日ほど前に学生時代に働いていた居酒屋の同窓会があり、京都に行ってきた。
京都に住まう彼らはいわゆる完全な文化系であり、
美容師と映画の話をすればお世辞半分、
「へえ、すごく映画に詳しいんですね。」
と褒められ、まあそこらに歩いている大抵の連中よりか映画を見ているのではあるのだろうが、そういう私でも、この京都に集まる面々の中で映画や音楽、風土の話になると借りてきた猫のように、口をつぐみ、ただそこにちょこんと可愛く座るしかないさまである。
十人ほど参加したその同窓会には居酒屋の元店長と、従業員がいたわけであるが、その中の1ペアと二人は既婚者になっていて、この変わらない地で当時と同じようにモラトリアムの中に住まう(ように思える)彼らの中に、着々と強烈な社会的な意味付けがなされている事実に、なんとも形容し難い心もちになったものである。
ただ、そうした中でも、東京や大阪などの都会特有の忙しさやどこからやってきたかわからない責任感は彼らに微塵も見えず、全てを許してしまうおおらかさがあり、たまにこういう人たちと触れ合うのも心の栄養に必要であると感じたのだった。
この齢70過ぎの居酒屋の元店長は東京の大学を卒業後、大手証券会社に就職するも、半年で辞め、沖縄か北海道で二年ほどキャンプ住まいをし、それから京都に帰りこの居酒屋を開いたのであるから相当変わり者である。なんだか『森の生活』のソローを彷彿とさせる人物像であろう。
なんでもこの時代にはこういった変わり者もちらほらいたらしく、同じキャンプ住まい同士、月に一度特定の場所に集まっては、髪を切り合ったり、情報交換し、それが彼らの楽しみであったそうだ。
こういった変わり者の背中を見て育つ彼ら(居酒屋の従業員)には、変わりゆく時代の中でも目先のトレンドや利益に囚われることのない、少し諦観を帯びたセピア色の人生観が養われ、これらの集合体がこの「京都」という地を形成しているのであろう。
次回は、「窓辺ジャングル計画」について書こうと思う。あくまで予定
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